10,000kmという距離は、東京からシカゴまでと同じなのですが、それだけではピンと来ません。が、フルマラソンを236回走ったと考えると相当な距離だと思います。
東京ーシカゴ(10,070km)
日曜日の今日(2019年4月21日)は春らしい行楽日和でした。
今日はジョギングをする予定はなかったのですが、あと20kmほど走ると累計走行距離が10,000kmに達することもあって、多摩川の河川敷を20kmほど走ってきました。
そして、12年間記録をつけてきたジョグノートで、累計10,000kmを超えたことを確認しました。
ジョギングなんてまるで縁のなかった私が、何故、走るようになったのか、そして、12年間も走り続けることになったのはどうしてでしょうか?
1.走るようになったきっかけ
私がジョギングを始めたのは2007年10月20日のことでした。不摂生で体重が70kgの大台を突破してしまいBMI値24.9でメタボの危機でダイエットを考え始めたころ、家族が不在の連休に、なんとなく近所の公園を走ったのがきっかけでした。Tシャツ1枚でちょっと走ってみたところ、大汗をかいてしまい、それでも何となく爽快な気分になったのを覚えています。
マラソンなんて辛いだけだし、自分に一番縁のないスポーツだと思っていたのですが、走り始めて体重がみるみるうちに減少するのが楽しくなり、いつの間にか早朝10kmのジョギングが日課になっていました。
今では信じ難いのですが、走り始めた当初の数ヶ月は、毎日タイムが伸びるのが楽しみで、朝起きたらすぐにジョギングに行くのが楽しみでした。走るつもりの日の朝に雨が降っていたりするとガッカリしたものです。
昨日のタイムより1秒でも速く、そして明日はもっと速くということで、同じコースを全力で力走して、ゴールした直後は疲れ果てて地面に倒れ込むほど追い込みました。
その甲斐あって、走り始めて1か月後には10kmを1時間切って走れるようになり、3カ月で5kgの減量にも成功しました。職場の仕事仲間にも「痩せてスッキリした」「いい感じ」と褒められて一層やる気が沸きました。
走り始めて4か月後には、21.1kmのハーフの距離を公園で試走して、1時間59分21秒と2時間切りのペースで走れるようになりました。
2.走るようになって変わったこと
ジョギングが習慣となると生活が激変します。走るのは主に平日の出勤前なので、朝6時起きの生活のリズムになり、夜更かしがなくなりました。
接待や飲み会で夜が遅くなる日も、翌日は身体の毒素を抜くために必ず走るようになり、そもそも飲み会に参加する頻度も減りました。
余計な間食や飲食は控えたおかげで、無駄な出費も減りました。
しかし、何よりもプラスだったのは、生活にメリハリがつくようになったことです。
早朝走っている最中に、その日の仕事の予定のことを考えて、頭を整理したり、仕事のアイデアが突然思いつくことも少なくありません。
また、負荷を高めて身体を追い込むように走っている最中は、苦しさのあまり、早くゴールすることだけを考えるので、すべての邪念が吹っ飛びます。
これもある種のストレス解消法ですね。
日常生活にジョギングのような苦行が入り込むと、普段の平和な生活への感謝の念が自然と沸き上がるようになりました。
普段何気なく口にしている料理も、美味しいと実感するようになりました。
そして。。。これは良くも悪くもあるのですが、ジョギングに費やす時間とエネルギーが増えたことで、ダラダラと観ていたTVの時間など無駄なアクティビティが削減されます。ジョギングをするための時間を捻出するために、メリハリのある生活習慣が身についたと思います。
しかし良い事ばかりではありません。
身体に負荷をかけ過ぎると脚も故障するわけで、走り始めの頃は、膝痛や、足首の痛み、腰痛などに散々悩まされました。
膝の痛みは、サポーターを巻いて走ったり、ロキソニンテープを使ったり、コエンザイムやコンドロイチンの錠剤を飲んだりと、いろいろ試行錯誤しました。
私は足底の形が重度の偏平足なので、アーチがすぐにつぶれてしまい、長距離のマラソンには不向きと整体の先生には言われてしまいました。
そこで、ランニングシューズの中敷きをカスタムインソールに代えて、偏平足を補うようにしたところ、膝の痛みはだいぶ軽減されました。
3.12年間のトレーニング記録
以下は12年間のジョギングの年間走行記録です。ジョグノートというアプリを使って記録を残していました。以下は毎年の累積距離をグラフ表にしたものです。だいたい年間800~1000km、毎月70kmくらいです。
累積距離
毎年の走行距離はバラツキがあり、トライアスロンをやっていた2014~2015年はそれぞれ1215km, 1163kmと年間1000以上走っていましたが、その後は年間500~700km程度です。
毎年の距離
年間毎のペースの推移に注目してみます。
早朝の10kmジョギングがほとんどで、速いペースのときはキロ5分を切って走ったこともありますが、平均するとちょうどフルマラソンのサブフォーペースのキロ5分40秒くらいだと思います(12年間の平均ペースは5分56秒ですが、これはトレランの走行記録が入っているためです)。
2009年には、年間1000km以上走って、平均ペースがキロ5分21秒と自分としては最速の時期でした。
フルマラソンでサブフォーを達成したのもこの時期です。
しかし、2009年をピークに、平均ペースは徐々に低下していきます。
2009年 キロ5分21秒
2010年 キロ5分29秒
2011年 キロ5分36秒
2012年 キロ5分57秒
記録を見ると、トライアスロン初挑戦の直前の2014年4月には、ジョギング150km、自転車500km、スイム27.8kmと猛烈なトレーニング量です(トレーニング休んだ日が2日しかありません)。
2014年4月のジョグノート記録
それが、アイアンマンを完走した2015年以降は、キロ6分を超えるまで落ち込み、2017年にはついにキロ7分台まで低下してしまいました。アイアンマンを完走して燃え尽き症候群となってしまったのか、ジョギングも嫌気が差してしまったのです。
2015年 キロ6分51秒
2016年 キロ6分24秒
2017年 キロ7分04秒
2017年になると、もはや追い込むような力走は皆無となり、ダラダラと走るだけのジョギングになってしまい、キロ6分で10km走ることさえ体力的にできなくなってしまいました。
そして、これまで頑なに守ってきた「出走したら必ず10kmは走る」というルールが、もはや守れなくなってきました。
私のように突然耐久系スポーツを始めた身体では、筋肉が落ちるのもあっという間のようです。
やがて、初めてジョギングの習慣を止めようかと考えました。
しかし、長年ジョギングを日課にしていたためか、ジョギングを止めてしまうと、体重が急激に増加してしまう体質になってしまい、止めたくても止められない状況になってしまいました。
仕方なく、ジョギングを続ける日々でした。目標もなく、ただ体形維持のためだけに走る毎日。。。辛い日々でした。
転機が訪れたのは、何となくいつもと違うルートを走ってみたことでした。
都会のなかに驚くほど豊かな自然が残っている場所を見つけたり、走るたびに新しい発見があり、早朝ジョギングが再び楽しくなりました。
こうして走るモチベーションが回復した2019年からは走力改善のためにビルドアップ走法など厳しいメニューも採り入れて、今のところ辛うじてキロ5分台を維持しています。
4.ジョギングは健康に良い
ジョギングを始めてからは健康診断の結果が改善され、特にトライアスロンを初めた2014年からは、毎年の人間ドック検査ですべての検査項目でオールA、経過観察項目もなく、健康診断結果はパーフェクトが続きました。血液検査の結果を見て、医師からは「サラサラの血液だ」と褒められたこともあります。
ジョギングを何年間も続けるのは、明らかに健康に良いことが証明されました。
マラソンを習慣にすると体重は減少しますが、走るのを止めると当然ながら上昇します。以下が過去11年間の体重の推移です。
40歳で70.2kg(BMI値24.9)が、2年後の42歳で60.1kgまで10kgの減量に成功しました。が、フルマラソンでサブフォー達成後に走るのを止めたところ、あっという間に44歳で65.3kg(腹囲84.5cm)までリバウンドしてしまいました。
トライアスロン挑戦を思い立ってトレーニングを始めてからは、体重は再び激減し、48歳で59.6kg(腹囲72.0cm)とついに60kgを切りました。
その後も体重は減り続け、初トライアスロンに挑戦した2014年(49歳)には、多重は57.2kg、体脂肪率は10%を切って9.9%となりました。
その後も体重は減り続け、初トライアスロンに挑戦した2014年(49歳)には、多重は57.2kg、体脂肪率は10%を切って9.9%となりました。
しかし、アイアンマン完走後には、再び体重が増加して、52歳で67.3kg(腹囲81.5cm)までリバウンドと、痩せたり太ったりの繰り返しでした。
5.マラソン大会の記録
私が過去12年間で出場したマラソン大会は、わずか8回です。
内訳は、10kmが2回、ハーフが3回、フルが2回、そしてウルトラが1回です。
おそらく10,000km走った市民ランナーのなかでは非常に少ないほうだと思います。
2008/3/2 ハーフマラソン(第26回早春ジョギング大会)
ジョギングを始めて6か月、ハーフマラソンに挑戦しました。
タイムは1時間57分13秒。
目標の2時間切りはなんとかクリアできましたが、後半の10kmは本当に辛く、ゴール後は足腰がグラグラの状態でした。
2008/11/16 フルマラソン(第3回湘南国際マラソン)
ジョギングを始めて1年、1,000km走り込み、満を持してフルマラソンに挑戦しました。
タイムは4時間12分29秒。
初フルマラソンでサブフォーを目標としていたので、残念ながら目標には届かず、しかもゴール後に高熱を発して事務局の車で病院送り、点滴を打ってもらったという情けない結果となりました。
地獄の苦しみとはまさにこの事。フルマラソンの過酷さを思い知りました。
2009/11/22 フルマラソン(第29回つくばマラソン)
サブフォー挑戦に失敗してから1年後、さらに1,000km走り込んでリベンジで再度フルマラソンに挑戦しました。
タイムは3時間56分06秒。
二度目のフルマラソンで何とかサブフォーを達成しました。
2010/12/5 10kmマラソン(第30回横浜マラソン)
フルマラソンでサブフォーを達成してからは急速にマラソンへの情熱を失ってしまいました。この10kmマラソンは軽い気持ちでエントリーしました。
タイムは53分17秒。
前半飛ばし過ぎで、凡庸な結果になりました。
2014/12/14 10kmマラソン(第10回駒沢ランナーズフェスタ)
2013年に突然思い立ったトライアスロンへの挑戦で、再び走るようになりました。2014年は年間1,200km走り込み、走力は過去最強だったと思います。
タイムは48分40秒。
目標の50分切りを果たしました。
2015/10/3~4 ウルトラマラソン(第4回所沢ロードtoモーニング)
2015年に念願のアイアンマンを完走し、その勢いでウルトラマラソンに挑戦しました。
タイムは12時間00分00秒で90km地点で時間切れ
所沢の航空公園を12時間の間に周回するレースで、耐久走扱いなので厳密には時間切れではないのですが、100kmに届かなかったのはDNF同然でした。
アイアンマンならウルトラマラソンも完走できるだろうという考えが甘かったです。ウルトラマラソンの次元の違う過酷さを身をもって痛感しました(足の指の爪4つが死にました)。
2018/11/11 ハーフマラソン(第13回世田谷区246ハーフマラソン)
2015年を最後にしばらく耐久系スポーツから遠ざかっていました。
その間も日常のジョギングは何とか続けていました。が、体力は低下の一途を。。
タイムは2時間6分59秒。
以前は難なくクリアしていた2時間切りには遠く及ばず、制限時間の2時間10分をギリギリクリアするのが精一杯でした。
2019/1/5 ハーフマラソン(第21回UP RUN川崎多摩川河川敷マラソン)
前回のハーフマラソンから2カ月後、再びハーフマラソン大会に出場しました。
タイムは2時間9分19秒。
6.40,000km(地球1周)に向けて
持病の腰痛は年々悪化していますが、不思議とジョギングをしている最中は痛みを感じることは稀です。
これからも、私は走り始め、走り続けるのか?
10,000kmの先には何があるのでしょうか?
10,000kmという距離は、地球1周が40,075kmなので、ようやく4分の1周です。
このペースで行くと、40,000kmまであと36年かかる計算なので、90歳のときに地球1周達成の予定です。先はまだ長い。。。
スピードではもはや過去の自分に勝てるとは思えません。
では、何を目標に走り続けるのか?
挫折したウルトラマラソンの完走を目標にすることも考えています。
しかし、ウルトラマラソンはあまりにハードルが高く、身体へのダメージも破壊的なので、ちょっと手軽には挑戦できません。
ハーフマラソンよりも長い距離を走るのは、健康増進というよりむしろ身体を酷使するだけです。
結局のところ、走り続けることに理由などなく、走りたければ走る、そうでなければ走らない、という極めてシンプルなことなのかもしれません。
7.(おまけ)ジョギングのお役立ちグッズ
以下に個人的におススメのものを紹介します。
7.1 ヘッドバンド
ジョギング中の額や頭の汗が目に浸みるのを見事に防いでくれます。暑い夏場だけでなく、オールシーズンで役に立っています。
7.2 リストバンド
ジョギング中に顔の汗を拭ったり、鼻水を吸収したり、リストバンドはかなり役に立ちます。
7.3 Pure Whey Plus Supplements, Chocolate Brownie
プロテインの栄養分を摂取できる粉末状のドリンク剤です。牛乳に溶かして運動の前後で飲むのですが、このチョコレート味は本当に美味しいです!値段も数年前には7,500円くらいしましたが、かなり値下がりしました。
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