【没後500年目のダ・ヴィンチ】作曲家・音楽家としてのレオナルド・ダ・ヴィンチ

世界一有名な画家にして、あらゆる学問を究めた究極の天才であり発明家のレオナルド・ダ・ヴィンチ。

2019年は、そのダ・ヴィンチの没後500年となる記念の年です。

11月4日からは、NHKが「500年目のダビンチ」と称する一連の番組を放送予定と、ブームが再燃です。


ダ・ヴィンチについては、これまでにも雑誌やテレビ、美術館などで没後500年の記念イベントや特集が組まれてきました。

イタリアのルネサンス期を代表する芸術家であり、絵画や彫刻はもちろん、建築、数学、幾何学、医学、天文学、土木工学など様々な科学分野にも顕著な業績を残しました。

しかし、ダヴィンチの作曲した音楽はほとんど残っておらず、作曲家や演奏家としての素顔はほとんど知られていません。

ダ・ヴィンチは音楽を作曲したのか?楽器を演奏したのか?

今回のブログは、レオナルド・ダ・ヴィンチの作曲家・演奏家としての素顔を探ってみようと思います。

1. レオナルド・ダ・ヴィンチについて

レオナルド・ダ・ヴィンチは、1452年、イタリアのフィレンツェ郊外のヴィンチ村に生まれました。レオナルド・ダ・ヴィンチという名前は、「ヴィンチ村に生まれたレオナルド」という意味です。

ヴィンチ村(Wiki)

父親セル・ピエーロ・ダ・ヴィンチは有能な公証人、母親は農夫の娘であったカテリーナということで、ダ・ヴィンチは非嫡出子、つまり私生児として生を授かったのです。生後5年間はヴィンチ村で母と過ごしたという以外、幼少期の記録はほとんど残っていません。

13歳ごろからフィレンツェで画家としても有名なヴェロッキオの工房で修行を積み、そこで、絵画、彫刻といった芸術分野だけでなく、設計分野、化学、冶金学、金属加工、石膏鋳型鋳造、皮細工、機械工学、木工など、様々な分野について才能を発揮しました。

やがて30歳になると、ミラノ公国に移り、19年間の滞在の間に、最高傑作のひとつである『最後の晩餐』をはじめ、多くの作品を生み出しました。

48歳で再びフィレンツェに戻って、彼の最も有名な作品である『モナ・リザ』を描いたのち、64歳の時にフランス国王フランソワ1世に招かれてフランスに行き、そこで67年の生涯を閉じました。

ダ・ヴィンチは容姿にも優れ美男子だった(Wiki)ということですが、生涯結婚をせずに、独身を通しました。同性愛者だったのはほぼ確実(ナショナル・ジオグラフィック誌)だそうです。

2. ダ・ヴィンチの時代のルネサンス音楽

レオナルド・ダ・ヴィンチの時代には、イタリアを含むヨーロッパでは、フランスのジョスカン・デ・プレを代表としたルネサンス音楽が興隆した時期でした。

ジョスカン・デ・プレは当時の全ての作曲技法を見事なまでに意のままに操っており、存命中既に著名な作曲家であり、現在ではその時代の最も優れた代表者であったと看做されています(Wiki)。


ジョスカン・デ・プレの主な代表曲は、美しい合唱ハーモニーが特徴の宗教曲(ミサ曲)です。

ジョスカン・デ・プレ 「アヴェ・マリア」ヒリヤード・アンサンブル

ヴァイオリンやチェンバロの遥か前の、声楽による宗教曲が主流の時代でした。

他にもリュートの作品なども作曲されていますね。個人的には声楽のみの曲より、こちらのジャンルのほうが好みです。

Mille regretz by Josquin des Prez -lute & viols

ジョスカン・デ・プレは1450年生誕なので、ほぼレオナルド・ダ・ヴィンチと同世代となります。

『聖母マリアの夕べの祈り』で有名なクラウディオ・モンテヴェルディ(1567年生)の前の世代となります。

バロック音楽(バッハやヴィヴァルディ)が登場するのは、まだ200年以上も後のことですから、ダ・ヴィンチの時代の音楽は、まだ音楽が大きく進化する以前の時代でした。

ルネサンス音楽の詳細については、「ルネサンス音楽」のサイトを参照ください。

3. 横浜そごう美術館「レオナルド・ダ・ヴィンチ展」

2017年8~10月に開催された「レオナルド・ダ・ヴィンチ展」に、家族で訪問してきました(8月6日)。

ダ・ヴィンチ「手稿」の最新研究成果に基づいた大型模型約60点が、日本で初公開されたという点が見どころでした。


レオナルド・ダ・ヴィンチは、観察や実験の記録や思い付いたアイデアを、膨大な量の手書きメモ、いわゆる「手稿」として残しました。「手稿」は約8000ページが残っているそうですが、なんと、すべて鏡文字で記されているそうです。

ダ・ヴィンチが左利きだったから鏡文字を書きやすかったという説もありますが、驚くべきことに、図面やイラストもまた左右逆に描かれていたということなので、単に左利きだったという以上の理由があったようですが、真実は謎につつまれています。

ちなみに、ダ・ヴィンチは自分の手稿を生前は一切公開せず、死の直前に弟子に託したそうですが、残念なことに、ダ・ヴィンチの死後数十年の間に、3分の2から4分の3が盗まれるか紛失してしまったそうです。

そんな「手稿」に基づいて立体化された大型模型のなかから、本展示では、水力学、飛行、ロボット、楽器、機械などを中心に約60点が展示紹介されていました。






楽器としては、3点ほど展示がありましたので紹介します。

3.1 竜の頭の形をしたリラ

レオナルド・ダ・ヴィンチの時代、15~6世紀に、イタリアでは、リラ・ダ・ブラッチョというヴァイオリンのような楽器が使われていました。

リラ・ダ・ブラッチョ(楽器辞典より)

現在のバイオリンより大柄で、メロディ弦が5本で共鳴弦が2本の構成です。


リラの音色は以下のYouTubeを参照ください。

Marco Cara- lyra da braccio

展示されていたリラ・ダ・ブラッチョは、竜の頭の形をしたものです。

竜の頭の形をしたリラ

下に置かれた鏡を見ると、楽器の裏側に竜の顔がわかるようになっていました。

楽器を演奏するのに腕に固定させるためのものでしたが、仰々しい感じの鎧というイメージで、いまいち利便性が理解できませんでした。

3.2 機械仕掛けのドラム

オルゴールの爪と同じ構造で、予めセットした突起のパターンで、回転部が回ることによって太鼓(ドラム)が自動的に叩かれる装置です。

機械仕掛けのドラム

現代で言えばリズムマシーンでしょうか。アイデアとしては当時は斬新だったのでしょう。

3.3 ロボット・ドラマー

ドラムをたたく人間がそのままロボットに置き換わったような装置です。上の機械仕掛けのドラムの発展形という感じでしょうか。

ロボット・ドラマー

中心の回転部の歯車の仕組みで、ドラマーの腕が動くようになっています。

今から500年以上前に、このようなロボットに楽器を演奏させるというアイデアがあったことに驚きます。

ヨハネス・グーテンベルクによる金属活字を用いた活版印刷技術の発明が、1450年頃なので、ちょうどレオナルド・ダ・ヴィンチの生誕の時期と重なっていることを考えると、彼の存命中は、ようやく音楽の楽譜の印刷による普及というものが始まった時代だと思われます。

楽譜の普及がもっと早ければ、ダ・ヴィンチはおそらく楽譜の譜めくり機械などを考案していたのではないでしょうか。

レオナルド・ダ・ヴィンチは手稿に楽譜のようなものも残していたそうです。

リラ・ダ・ブラッチョは即興演奏しかしない楽器だったようなので、楽譜は残っていませんが、歌いながら即興演奏した名手でもあったようです。

「レオナルド・ダ・ヴィンチ展」を訪問して、ダヴィンチ自身がリラという楽器が得意だったこともあり、音楽とも深い繋がりを持っていたことがわかりました。

4. ナショナル・ジオグラフィック誌「色褪せない才能 ダ・ヴィンチ」

2019年5月号のナショナル・ジオグラフィック誌の特集「色褪せない才能 ダ・ヴィンチ」にも、音楽家としてのダ・ヴィンチの才能について記述があります。




以下雑誌から引用します。

「音楽の才能にも恵まれたレオナルドは、ドラムやベル、木管楽器など、さまざまな楽器も考案した。この図案は、鍵盤楽器と弦楽器を組み合わせた「ビオラ・オルガニスタ」のアイデアを描いたもの。これを実際に製作した現代のピアニスト、スラヴォミル・ズブリツキは「完璧な楽器を考案した」とたたえる」

「ビオラ・オルガニスタ」のスケッチ

ビオラ・オルガニスタを演奏するズブリツキ

なんと、ダ・ヴィンチは、新しいスタイルの楽器を考案していたのですね。

「ビオラ・オルガニスタ」を再現した楽器は、61鍵と4個の円形の弓を回転させて弦を弾く仕組みとして、ダ・ヴィンチの考案以来、500年の時を経て初めて製作されました。

Da Vinci Instrument Built and Played for the First Time, After 500 Years

ビデオの解説によると、この楽器の製作には、10,000ドルの費用と、5000時間がかかったそうです。

Da Vinci's 'Viola Organista' comes to life in Poland

楽器の音色は、鍵盤楽器の器楽というより、弦楽器に近いオーケストレーション的な感じですね。

5. ダ・ヴィンチ音楽祭 in 川口

2019年8月14日~17日にダ・ヴィンチ音楽祭が埼玉県川口市で開催されました。


私は参加できなかったのですが、オペラ「オルフェオ物語」の上演や、「音楽家レオナルド・ダ・ヴィンチ」と題したトーク・セッションなどがあったようです。

「オルフェオ物語」は、ダ・ヴィンチが作曲したものではなく、あくまでも当時の舞台演出家としてのダ・ヴィンチの芸術ということで、リラ演奏も盛り込まれて上演されたようです。

Music of Leonard da Vinci ダ・ヴィンチの音楽~アントネッロ

また、「音楽家レオナルド・ダ・ヴィンチ」と題したトーク・セッションについては、「ダ・ヴィンチが愛した楽器リラ、そして唯一残した譜面と歌詞は」という記事に詳しく紹介されています。以下は抜粋です。

ダ・ヴィンチは画家や数々の発明家として知られていますが、実は当時音楽家でもあったとか。確かにダ・ヴィンチが発明した楽器ヴィオラ・オルガニスタのスケッチなどは残っています。
それだけでなく、楽譜も演奏記録も残っていませんが、リラの名手であったようです。ルネサンス時代のリラといえば7弦のリラ・ダ・ブラッチョを指し、世界に数台しか現存しておらず、昨夜使われたリラは2年前に日本で復元制作されたものでした。
もっぱら即興演奏で使われたため、楽譜は残っていません。

ダ・ヴィンチが唯一残した譜面

ダ・ヴィンチは、音楽は(絵画や彫刻とは違って)即物的なものとして捉えていたようです。

なので、楽譜を残したり、時間をかけて作曲に励むということをしなかったのですね。

同世代にジョスカン・デ・プレのような偉大な作曲家がいたことを考えると、ダ・ヴィンチが音楽創作に情熱を傾けなかったことは、大変残念なことに思えます。

音楽家としてのダ・ヴィンチについては、「「音楽家レオナルド・ダ・ヴィンチ」音楽之友社刊を手にして」というサイトに詳しく紹介がありました。

音楽家レオナルド・ダ・ヴィンチ(上のサイトより)

「音楽家レオナルド・ダ・ヴィンチ」(音楽之友社刊)という本が発刊されていたようですが、残念なことに絶版となっており、アマゾンでは中古品がかなりの高額商品となって手が出ません。。。



作曲家・音楽家としてのレオナルド・ダ・ヴィンチは、リラを愛用して即興演奏や歌まで上手にこなす優れた演奏家であった一方、作曲家としての創作活動はほとんど行っていなかった(行う意義を見出していなかった)ようです。

絵画や彫刻といった芸術を、医学や建築学と融合させることで、様々な科学分野に偉大な貢献を果たしたレオナルド・ダ・ヴィンチが、音楽のジャンルだけは、そのような徹底した追求をしなかったというのは、意外な発見でした。

6. 【おまけ】ドキュメンタリー映画「レオナルド・ダ・ヴィンチ 美と知の迷宮」

2016年4月に公開されたドキュメンタリー映画「レオナルド・ダ・ヴィンチ 美と知の迷宮」は、各分野の研究家が、レオナルドが天才と称されるゆえんを解説する映画です。

また、当時の彼を取りまく人々の目線から見たレオナルドの多才さと熱意を、再現ドラマでわかりやすく説明します。



このドキュメンタリー映画のなかでは、ダ・ヴィンチの音楽に関しては触れられていませんが、ダ・ヴィンチが生きていた時代の政治背景や、当時の生活スタイルが良くわかるのでおススメの映画です。

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