『キャッスルロック2』では、小説「ミザリー」の主人公アニーが、娘のジョイとともにキャッスルロックを訪れるところから始まり、やがて不可解な事件が次々と発生。
終盤では、前回の『キャッスルロック』で登場した謎の青年と、街の呪われた過去が繋がり、衝撃の事実が明るみになります。。。
前回のブログで『キャッスルロック』第1シーズン(全10話)で繰り広げられる謎の出来事の解釈をまとめました。
[テレビシリーズ『キャッスルロック』の衝撃] スティーヴン・キングが描く戦慄のパラレルワールド
今回は『キャッスルロック2』(全10話)の私なりの解釈をまとめてみました。
注意:以下はネタバレ満載の内容です。
1. 作品の概要
スティーブン・キングの小説「ミザリー」の主人公アニーの若かりし日の物語です。アニーは娘のジョイとともに偶然にキャッスルロックを訪れるところから始まります。キャッスルロックはちょうど街の誕生400周年のセレモニーを準備しているところでした。
『キャッスルロック2』予告編(英語オリジナル)
ストーリーはざっくりと以下のような感じです。
アニーは故障した車を修理する間、キャッスルロックに娘のジョイと一緒に一時的に落ち着くことにしました。アニーには幻影を見る精神病を抱えており、それ以外にも、謎の暗い過去の影がつきまといます。
それに付け込んだ地元の悪徳地主のエースに娘をネタに脅迫されるのですが、逆に隙を突いてエースを惨殺、ショッピングモール建設予定地の工事現場に死体を遺棄します。
ところが、そのエースがなぜか蘇ります。アニーは精神状態が悪化、娘のジョイにも危害を与えてしまいジョイは保護施設にかくまわれます。それがきっかけでアニーのおぞましい過去が明るみに。。。なんとアニーは実の父親とその愛人を殺害し、二人の間に生まれた赤ん坊に人生の救いを見出し、彼女を連れて10年以上逃避行を続けていた身だったのです。
つまり、ジョイは実の娘ではなく、腹違いの姉妹、アニーが赤ん坊から育てたのです。
一方、エースは丘の上にある廃墟の屋敷マーステン館を拠点として、何かの準備を進めています。
実は、キャッスルロックという街は、17世紀の入植者たちが悪魔崇拝をしていた場所であり、当時の入植者たちは、自殺を図り、現代人の死体を器として悪魔とともに蘇るという世にもおぞましい計画を実行しようとしているのでした。
エースはアニーに殺害されたのですが、埋葬された場所がたまたまマーステン館の近くだったため、17世紀の入植者のひとりが、現代に蘇った化身だったのです。
しかし、その計画は、蘇生計画を企てた一味にジョイを誘拐されたアニーや、街で洗脳を逃れた一部の生き残り住民たちの手によって最後の瞬間で阻止され、悪魔(『キャッスルロック』に登場した謎の青年)は再びパラレルワールドに姿を消すのでした。
キャッスルロックを離れたアニーとジョイは、新天地で新しい生活を始めましたが、やがてアニーは様子の変わったジョイを疑い、悪魔に乗り移られたと勝手に思い込み、湖で溺死させます。
ジョイは実はアニーから親離れをしようと画策していただけだった事実を知り、アニーはジョイの亡霊を連れてベストセラー作家のサイン会に参加するシーンで終わります。
(ストーリーおわり)
前作『キャッスルロック』とは、終盤以外はほとんど関連しないので、シーズン2から観始めても何の問題もありません。
主演のアンを演じるのは、テレビシリーズを中心に活躍しているリジー・キャプランが見事な怪演です。ジョイはエルシー・フィッシャーという若手女優が演じています。
また、名優ティム・ロビンスがエースの叔父という重要な役で出演しています。
オープニングロール
2. 原罪
『キャッスルロック2』のメインテーマは、原罪だと思います。原罪とは、宗教関連の用語で、アダムとイヴから受け継がれた罪のことを指し、人間であれば誰もが持っている「罪への傾向性」のことです。
アダムとイヴが人類の先祖なので、地球上の人間はみな、内面的にアダム以来の「原罪」という「罪への傾向性」を宿して生まれてきました。
前作『キャッスルロック』で、ヘンリーの父親が息子に語った「罪の報酬は死なり」(ローマ書6章23節)は、まさにこの原罪のことを意味します。
以下、聖書入門からの引用です。
キリスト教の死というのは、「神との断絶」のことです。つまり、「原罪を宿したままでは、人は永遠の滅びに行くのだ」と警告しているのです。
私たちの今の状態は、先祖アダムに繋がっている状態です。イエス・キリストのことを「最後のアダム」、あるいは「第2のアダム」と言います。聖書が提供する「救い」は、最初のアダムとの関係を断ち切って、最後のアダムであるイエス・キリストに繋がりなさいということです。それが、イエス・キリストを信じるということです。
イエス・キリストに繋がるなら、この方の性質を自分の内に宿すことになるので、「原罪」の問題は解決されます。つまり、イエス・キリストを信じるということは、「最初のアダム」との関係を断ち切って、「最後のアダム」であるイエス・キリストと繋がることなのです。
(引用おわり)
アニーの母親は、極端な潔癖症から、夫の不倫を目の当たりにして、未成年であるアニーを「原罪から救う」目的で運転している車で池に飛び込んで無理心中を図ります。
アニーは生き延びましたが、彼女には母親の遺伝子としての「原罪」が引き継がれていたため、最終的には同じような理由で、この世で最も愛していたジョイを最後には殺害してしまうのです。
まさかアニーがジョイを殺害するとは。。。と想定外で驚きますが、私は、この娘殺しの展開を先読みできました。
アニーとジョイ
観客の意表を突く脚本のセオリーとして、「犯人はこの人では有り得ない」という人物が一番可能性が高いのは周知のとおりです。
再びデヴィッド・リンチ監督の『ツイン・ピークス』を引き合いに出しますが、誰がローラ・パーマーを殺したのか?という謎の答えは、まさかのローラを溺愛していた実の父親のリーランドでした。
『キャッスルロック2』は、スティーブン・キングの『ミザリー』の前日譚なので、アニーがジョイとハッピーエンドで終わるわけがないのです。
そういう読み線だと、アニーがジョイを殺すというのは、先読みできる展開だったのです。
話を映画に戻します。
ティム・ロビンス演じるポップは、ソマリアで無実の女性を銃殺してしまった原罪を抱えて生きています。
その女性の子供たちを養子に迎えて苦労して一人前に育てあげるのですが、その理由は決して明かすことはできません。
ポップ
登場人物はみなそれぞれの事情で原罪を抱えており、表向きには決してそれを明かすことができず、ひた隠しにして普段の生活を送っているのです。
これは我々現代人にも身に覚えのある状況ではないでしょうか?
誰しも、大なり小なり罪を犯しており、意識しているかどうか別として、その罪をひた隠しにして生きています。
悪魔は、その原罪を公衆の元に晒すことによって、人間社会の崩壊を招こうとするのです。
原罪を断ち切ることができるか、それとも悪魔の望み通り、この世が原罪で満たされてしまうのか、神と悪魔の対決が『キャッスルロック2』の主題ではないでしょうか。
3. 悪魔の再臨
エルサレムズロットの17世紀の入植者たちが、実は悪魔崇拝をしていたのが町の歴史的背景なのですが、その衝撃の事実は第7話で明かされました。貧困の極みを生きていた当時の住人たちにとっては、神を信仰することに限界を感じて、村長の娘であったアミティという女性が率先して悪魔崇拝に傾倒していったのでした。
アミティ自身が、不貞を働いたことで、村から追放された身だったのです。彼女自ら、400年前に新たな原罪を作り上げたのでした。
悪魔がエルサレムズロットに再臨したのは、まさにそのような新しい原罪の誕生を嗅ぎつけて、パラレルワールドからキャッスルレイクを通ってキャッスルロックに再臨したのだと思います。
ジョイのスケッチブックに描かれた悪魔
その悪魔の指図で、村人たちは400年の眠りにつくために自らの命を絶ち、棺のなかに収まったのです。
教訓として、私たち人間は、いつでも新しい原罪を生み出してしまうリスクを抱えており、それを悪魔は時と空間を超えて待ち続けているということです。
4. 終盤の無理過ぎる展開
ところが、アニーが殺人未遂を犯した相手の女性(リタ)がキャッスルロックを訪れるあたりから、無理のある展開が目立ってきます。リタはアニーに復讐するために、銃でアニーを脅して深夜の人気のいない空き地に連れ出し、そこでアニーを射殺しようとするのですが、アニーが土を掴んで投げつけることでそれを阻止してしまいます。
そんなアホなことで銃を構えた相手から逃げられるとはあまりにも不自然。。。
しかも、その場に突然現れたジョイがリタに注射をすることで、リタの手から落ちた銃が暴発して、あろうことかリタの胸に命中して。。。もはやここまで偶然や奇跡が重なるとジョークと思えるほどです。
ドタバタ劇はまだ続きます。
マーステン館での400周年セレモニーを開催しているなかで、アニーはやすやすと屋敷に潜入できてしまうし、そこで働いているゾンビたちも揃ってドジばかり踏みます。
銃をぶっ放しながら、アニーたちの仲間は誰一人犠牲になることなく、計画どおりに貨物列車の線路を超えて、後から追いかけてくるゾンビたちから逃れるシーンなど、出来の悪いハリウッドのB級アクション映画を観ているようでした。
ハルドールを摂取すると、一時的に取り憑かれた状態から正気に戻ることができるという設定も、正直興ざめでした。
ひょっとして、これは、製作総指揮を務めるJ.J.エイブラムスの意向ではないでしょうか??
J.J.エイブラムス監督の作品は、『アルマゲドン』(脚本)、『SUPER8/スーパーエイト 』『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』と、どれも典型的なハリウッド節の映画で、個人的には大の苦手としています。
誤解を恐れずに言うと、『アルマゲドン』、『SUPER8/スーパーエイト 』、『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』は、興行的にはまずまずでしたが、どれも中身の薄い子供向けの映画でした。
特に、『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』で、フォースの力で死人でさえ蘇らせることができるようにしてしまったのは、過去の輝かしいスター・ウォーズシリーズへの冒涜行為だったと思います。
『キャッスルロック2』では、『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』を完成させて暇になったJ.J.エイブラムス監督が積極的に製作に関与した結果、このような終盤の展開になってしまったというのは、勘繰り過ぎでしょうか。。。
まあ、あまりJ.J.エイブラムス監督の批判をしても意味がありませんが。。。
5. 『キャッスルロック』『ミザリー』との繋がり
キャッスルロックでなぜ不可解な事件ばかりが起こるのか、それと町の呪われた過去がどう関係するのか、という点では、これでようやく納得のゆく説明がつきました。しかし、『キャッスルロック』で残された謎はすべてジグソーパズルのように解き明かされたかというと、そうではありません。
例えば、「キャッスルロック」シーズン1に残された12の謎を考察」というサイトにある12の謎のうち、『キャッスルロック2』で明らかになった謎、白い人形、デジャルダン兄弟、無響室、ジャッキー、などなど。。。
なんと、1つも謎が解き明かされずに終わります。
この点に関しては、個人的には特に不満はありません。
映画はパズルではないし、ストーリーが理論的に破綻していても、観る側の感性に働きかければ、それで良いのです。数式のような正解を求める必要はありません。
映画は大衆芸術なので。。。
そして、『キャッスルロック2』の立ち位置は、『キャッスルロック』の続編というよりは、『ミザリー』の前日譚といったほうが正しいです。
『キャッスルロック2』は、『ミザリー』で、人気作家を自分の家に監禁して、自分が納得のゆくミステリー小説を強制的に執筆させるアンの人格形成を描いた映画なのです。
ミザリー予告編(英語オリジナル)
映画『ミザリー』は、1990年製作のアメリカ映画です。スティーヴン・キングの同名小説の映画化作品で、主演のキャシー・ベイツがアカデミー主演女優賞を受賞しています。
6. 『キャッスルロック3』はあるのか
果たして『キャッスルロック3』は製作されるでしょうか?私は、それは絶対にない、と思います。
なぜならば、『キャッスルロック2』でキャッスルロックの街の謎が解き明かされたので、もはやミステリーとしての要素がなくなったからです。
『IT/イット “それ”が見えたら、終わり』のペニー・ワイズの存在も、『キャッスルロック』の謎の青年の本性と同じで、既に解き明かされました。
いろいろな関連サイトで話題にされている『シャイニング』や『ショーンシャンクの空に』『スタンド・バイ・ミー』『クージョ』といったスティーブン・キングの作品との関連性は、それぞれの映画が自己完結しているので、どれも重要ではありません。
このようにスティーブン・キングの作品群が有機的に関連性を持っているというのは、面白かったのですが、個人的には「後付け」ではないかと思います。
スターウォーズ全9部作のように、製作当初から壮大な構想が描かれていたシリーズとは違うと思います。
それでも、『キャッスルロック』『キャッスルロック2』の全20話は、近年なかなか見応えのあるホラースリラーでした。
製作がハリウッドの大手スタジオではなく、Huluだったというのも、今後の映画産業の動向を暗示しているようで非常に興味深いです。
個人的には、もはやハリウッドは映画文化を担う役割を終えたと思いますが、この話題はまた別途ブログ記事にしたいと思います。。。
[テレビシリーズ『キャッスルロック』の衝撃] スティーヴン・キングが描く戦慄のパラレルワールド
(2020年11月20日 追記)
「J・J・エイブラムス×スティーブン・キングの「キャッスルロック」がシーズン2で打ち切り」というニュースが入ってきました。
果たして『キャッスルロック3』は製作されるかという問いに、私は、それは絶対にない、と本文で書きましたが、まさにその通りになりました。
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