映画『コラテラル』:殺し屋とタクシー運転手の宿命的な対決を描いたマイケル・マン監督の真骨頂

 映画『コラテラル』は、マイケル・マン監督、トム・クルーズ主演のサスペンス映画です。



マイケル・マン監督の作品は、共通して独特の「大人の(洗練された狂気の)世界」が描かれています。「ラスト・オブ・モヒカン」の自らヒロインの犠牲に志願して火炙りの刑に処せられる英国人や、「ヒート」でアル・パシーノ演じる犯罪を追いかけることだけが生き甲斐の刑事や、ロバート・デニーロ演じる犯罪から足を洗えない知能犯など、描かれている人物像は極めてエキセントリックながら、描写は非常に洗練されているものがあります。

この「コラテラル」でも、トム・クルーズ演じる国籍不明で冷酷な殺し屋と、犯罪に巻き込まれてしまった運の悪いタクシー運転手が、ロサンゼルスの夜から明け方の短い時間に実に様々な心境の変化を通して、救いようのない宿命に突進してゆく様が見事に(そしてスタイリッシュに)描かれています。

ちなみに「コラテラル」というのは、Collateral Damage(巻き添え被害)から来ており、文字通り、タクシー運転士が犯罪の巻き添えになっていることを意味しています。

私がこの映画を非常に気に入っているのは、殺し屋役のトム・クルーズの「信念に取り憑かれた生き方」に強烈に魅力を感じるからです。これは一般的には「サイコパス」と呼ばれる性格です。彼は、手段を選ばない冷徹な殺し屋なのですが、本人はそれを「天から与えられたミッション」のごとく、何の疑問も持たずに忠実に、そして文字通り命を賭けて遂行するわけです。そこには「金稼ぎのため」という欲望はなく、プロとして仕事をこなすという生真面目さしかありません。

トム・クルーズ演じる殺し屋

生計を立てるためであるものの、金を稼ぐというよりは、社会や所属組織のために手段を選ばずに献身的に働く。。。それって世の中大多数のサラリーマンと同じではないでしょうか?

それが、タクシー運転手との会話から、だんだん自分に迷いが生じて、それでもタクシー運転手を殺さずにずっと運転を任せたことで、結果的に命取りになってしまうという皮肉な結果になってしまいます。

映画「コラテラル」が素晴らしいもう一つの点は、シーンに見事にマッチした音楽のセンスです。ジャズクラブを訪れたときに流れる即興ジャズは、マイルスデイビスの「ビッチェズ・ブリュー」に収録されているSpanish Keyという曲です。見事にシーンにハマっています。

また、韓国系のナイトクラブで流れている曲は、Paul OukenfoldというアーティストのReady Steady Goという曲です。

Ready Steady Go

映画ではオリジナルと若干アレンジが変わっていますが、雰囲気はまったく同じです。韓国系のギャングとの銃撃戦も、如何にもロサンゼルスという雰囲気が出ていました。

私は映画のラストシーンで、トム・クルーズ演じた殺し屋の故郷の生活に思いを馳せずにはいられませんでした。彼には友人や家族が果たしていたのだろうか。。。故郷の国では、ひょっとしたら家族思いの良きパパとして全く別の顔を持って生活していたのではないか、など。。。

ジェイミー・フォックス

なお、映画でうだつの上がらないタクシー運転手を好演したジェイミー・フォックスは、高校時代はアメフトでクオーターバックをやり、大学ではジュリアードで音楽を専攻し、卒業後はコメディアンとなり、この映画と同時期に封切りされた「Ray/レイ」でアカデミー主演男優賞を受賞している超ハイパーマルチタレントなのです。この映画でも助演男優賞にノミネートされていたというから空恐ろしい才能の持ち主ですね。

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