映画『イレイザー・ヘッド』:全編モノクロのカルト映画、デヴィッド・リンチ監督のデビュー作

映画『イレイザー・ヘッド』は、デヴィッド・リンチ監督の作品です。


「イレイザー・ヘッド」

デヴィッド・リンチ監督の長編映画デビュー作。1977年制作、全編モノクロのカルト映画です。

ストーリーは奇妙奇天烈、どうひいき目に見ても美しい映像とは縁のないおぞましい情景の連続。主演のジャック・ナンスの髪型(イレイザーヘッド)もさることながら、極め付けは奇形児(というより爬虫類のような)の赤ん坊。。。

奇形児の赤ん坊

しかし、この作品は傑作だと思います。

映画を鑑賞するときの従来のエンターテインメントに大きな問題提起をしているように思えます。ソファに寝転がり、ワインとツマミを片手にのんびり。。。という鑑賞スタイルでは、この映画は退屈極まりないかもしれません。作品側から鑑賞者に視覚・聴覚的な刺激を与えるということが一切ないからです。

逆に、ひとつひとつのシーンについてその意味や背景をあれこれと想像して楽しむ能動的な鑑賞スタイルであれば、これほど面白い映画は滅多にないと思います。

作品がモノクロである理由は、主人公の悲惨な生活をテーマにしたこの作品には色彩の映像が余計だったからでしょう。

冒頭から現実離れしているシーンの連続なので、まともに筋を理解しようとすると面喰ってしまうのですが、これはリンチの世界、まさにここで描かれているものは現実のものではなく、空想の産物(あるいはヘンリーの夢のなか)であると捉えると理不尽なシーンはすべて理解できます

奇怪なものはすべてヘンリー(あるいはリンチ自身)の忌み嫌うものの象徴。どうやらリンチの過去(学生時代に子供を作って苦労した)が反映されているようです。

主人公のヘンリーが泣き叫ぶ奇形児をどうしても放っておけず、出勤を諦めて家で看病するシーンだけは、例外的に微笑ましいですね。

フィラデルフィアの工場地帯をモデルにしているせいもあり、ヘンリーの生活には余裕や充実といったものとはまったく無縁で、部屋のなかも寝ているベッドも狭ければ、通勤路も泥だらけで靴もドロドロになります。


主人公ヘンリーの住む工業地帯

天使が現れてヘンリーにささやきます。

「天国ではすべてがうまくいく」

一般社会から隔絶された知られざる世間で、このような境遇下で絶望している人々がこの作品のテーマです。

ヘンリーの夢のなかで、頭が床に転げ落ち、それを少年が工場に持ち込んで、生首のサンプルから鉛筆の消しゴムを作るシーンがありますが、これは文字通り「身を粉にして働いている」ヘンリーの日常生活を象徴しているのではと思います。

ヘンリーの夢の世界

妻に家出され、赤ん坊の育児に疲れ果て、挙句の果てには、性的な妄想を抱いていた隣人の女性が醜い中年男とデキていると知ったとき、ヘンリーの絶望は、激しい憎悪の感情に豹変します(このシーンでのヘンリーの表情は、これまでと全く異なる怒りに溢れています)。

そして、それをあざ笑うかのような赤ん坊の態度に、ヘンリーは遂にハサミで赤ん坊を惨殺してしまい、自分は天使に迎え入れられる(発狂したと解釈できます)シーンで終了しますが、宗教上の対立や、個人的な復讐、暴力と暴力の衝突といった題材の過激さだけがウリの映画が蔓延するなか、この映画のように圧迫された環境から放たれる静かな発狂には次元の違う強い説得力があります。

最後に一瞬画面に現れる狂人は、実は変わり果てた現実のヘンリーの姿ではないでしょうか?

変わり果てたヘンリーの姿?

これに似たテーマの映画としては、米国コロンバイン高校銃乱射事件をテーマにした「エレファント」(2003年公開)があります。主人公(主犯)の二人の高校生は、スポーツが得意なわけでもなく、内向的な性格が災いして学内でイジメの対象になり、やがて無差別大量殺人という形で世間に復讐を果たします。

映画「エレファント」より

「エレファント」が公開された2003年には混沌とした社会問題は既に目新しいテーマではなかったのですが、「イレイザー・ヘッド」が公開された1977年当時、このような前衛的テーマの映画が普遍的だったとはとても思えません。が、自主制作という困難を伴ってでもこれを完成させたデヴィッド・リンチという監督は、やはりタダモノではないと思います。

「イレイザー・ヘッド」は、公開当時は妊婦は鑑賞しないよう警告されたそうです。映画史に残る傑作なのは間違いありませんが、万人には決してオススメできる映画ではありません。

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