映画「羊と鋼の森」と「蜜蜂と遠雷」は、どちらもピアノがテーマの日本映画です。
どちらも原作がベストセラーとなった、比較的地味で文芸的な作品ですが、実際にピアノを弾く(あるいは弾いていた)人にとっては、印象深い内容だったのではないでしょうか。
かくいう私自身、学生時代を最後に弾かなくなったピアノを、実に30年ぶりに再開して、突然思い付いたバッハコンクールに出場したという経緯もあり、映画を観て、登場人物の心理状況に思いっきり感情移入してしまいました。
「自分はなぜピアノを弾く(弾き続ける)のか」
「ピアノを弾くことで自分は何を目指すのか」
「誰のためにピアノを弾くのか」
プロのピアニストを目指している人でさえ自問自答して悩むテーマですが、私のように、趣味でピアノをやっている人にとって、ピアノを弾くという行為は一体何を目的としているのでしょうか??
1. ピアノとの出会い
ここで、僭越ではあるのですが、簡単な自己紹介をします。
私は、どこにでもいるような中年のサラリーマンで、妻と二人の娘と一緒に暮らしています。
音楽とは全く関係のない業界で仕事をしていますが、音楽鑑賞とオーディオは長年の趣味として続けています。
ごく普通のサラリーマン家庭で生まれ育ち、幼少の頃に近所のピアノ教室に通い始めました。ピアノ自体はそれほど好きでもなく、毎週のレッスンはイヤイヤ通うような感じだったと思います。
多くの子供たちと同じく、中学生になって部活や勉強に忙しくなり、ピアノは止めてしまいました。
ここまでは、どこにでもあるような話ですね。
運命的な出来事が起きたのは、確か中学3年生の頃、祖母の家でレコードを聴いていたときでした。
当時、私はプログレッシブロックにハマっていて、その影響で、クラシック音楽もあれこれと聴き始めたころでした。
祖母の家に遊びに行ったときに、たまたま、置いてあったバックハウスのベートーヴェンピアノソナタ全集のレコードを聴いたのです。
すると。。。
何枚かを聴いているうちに、ふと、どこかで聴いた覚えのあるメロディに出くわしました。
一体どこで聴いたのだろうか。。。
しばらく考え込んで、やがて、ハッと気が付きました!
そうだ。。。これは、ピアノ教室でイヤイヤ練習させられているベートーヴェンのピアノ・ソナタ第12番 変イ長調「葬送」の第4楽章じゃないか!!
祖母の家にあったバックハウスの古いレコードは、もちろんモノラル録音で、再生機器もお世辞にも良いものではありませんでしたが、流れ出すメロディがあまりに流暢で、自分が弾いていたのと同一の曲とは信じられない程でした。
まさに天国で音楽を聴いているような感覚。
演奏が上手いと同じ音楽でもこんなに生き生きと聴こえるんだ。。。
Beethoven: Piano Sonata No. 12 in A-Flat Major, Op. 26 - 4. Allegro
祖母の家で、偶然にもこのようなカルチャーショックな体験をして、そのとき生まれて初めて、こんな演奏が弾けるようになりたい、と強く思ったのです。
その後は、ピアノ教室の先生が驚愕するような恐ろしいスピードでピアノが上達してゆきました。
これまですっかり放置していたピアノを、毎日何時間も練習するようになったからです。
中学で一度止めかけたピアノでしたが、高校に入っても続けることになり、ベートーヴェン「熱情」、ドビュッシー「ベルガマスク組曲」、シューマン「子供の情景」、ショパン「華麗なる大ポロネーズ」とレパートリーを広げ、ついにはリストの「ハンガリー狂詩曲」を弾けるまでになりました。
まさに、好きこそものの上手なれ、ですね。
ピアノ教室で習う楽曲だけでは飽き足らず、ムソルグスキー「展覧会の絵」や、バッハ「ゴルドベルグ変奏曲」にまで手を出して、技巧的に無理のある曲でも、何度も何度も無謀な挑戦を繰り返す日々で、今から思い出しても良くやったなという感じです。
高校2年生のときは、部活は入っていなかったのですが、音楽部から誘われて、卒業記念公演でオーケストラ演奏されたストラヴィンスキーの「火の鳥」のピアノのパートを受け持ったりしたのも良い思い出です。
しかし、当時通っていたピアノ教室の先生も、本格的なピアノ指導というよりは、お稽古事のレベルを超えてはいなかったので、演奏技術は完全に自己流で、基礎的な練習も全くしませんでした。
高校を卒業して大学に入ってからは、ピアノを弾くことはほとんどなくなってしまい、ピアノへの情熱もすっかり醒めてしまいました。
2. ピアノとの再会
社会人になってから、ニューヨーク在住のとき、電子ピアノを買って再開したこともありましたが、帰国とともにピアノも弾かなくなり、ヘンデルの「調子の良い鍛冶屋」の楽譜が、弾かれることもなく何年もピアノの横に放置されているような状態が続きました。
やがて、結婚をして、子供が生まれ、その子供たちがピアノを習い始めて。。。と、ごく普通の人生のなかで、ピアノを弾くことはありませんでした。
転機が訪れたのは、ある日突然のことでした。
5年前にアイアンマンジャパンというトライアスロンのレースに出場、無事に完走しました。
アイアンマンレース完走という大きな目標を達成して、リラックスして過ごしていたある日のこと。。。
「次はピアノコンクールに出場しなさい」
突然、天の声のような命令が聞こえてきたのです。
ネットで調べたところ、ショパンコンクールアジア大会というのが一般人も参加できるようだとわかったのですが、応募期間がちょうど過ぎたところでした。
代わりに、バッハコンクールというものが応募期間中で、3か月後の年末に開催されるということを知りました。
バッハのピアノ曲は「ゴルドベルグ変奏曲」をはじめ、「フランス組曲」「イタリア協奏曲」など、以前から弾いてみたいと思っていた曲がたくさんあります。
さてどの曲を選ぼうか、と思案していたところ、
「『音楽の捧げもの』を弾きなさい」
と、再び、天の声が。。。
『音楽の捧げもの』は、確かにバッハのお気に入りの曲で学生時代から良く聴いてましたが、自分でピアノ演奏する対象として考えたことは一度もありませんでした。
というか、一般的にも『音楽の捧げもの』をピアノで演奏するというのは、かなりマニアックな選択です。
にも関わらず、もう頭の中では、『音楽の捧げもの』をコンクールで演奏するのが自分に与えられた天命であるというような気持ちに支配されてしまい、他の選択肢を考えることさえできなくなりました。
『音楽の捧げもの』はいくつかの楽曲から構成されているのですが、私がもっとも気に入っている楽曲は、『6声のリチェルカーレ』という曲です。終盤にかけてのドラマチックな展開が特に気に入っていました。
ネットでいろいろ調べたところ、どうやらこの『6声のリチェルカーレ』は、バッハの多くの楽曲のなかでもポリフォニーを駆使した最高難易度の曲だということもわかりました。
バッハコンクールまでは3か月しかありません。
しかも、30年ぶりのピアノ再開で、バッハの最高難易度の曲をゼロから練習してコンクールで弾くとは、どう考えても無謀です。。。
しかし、すっかり『6声のリチェルカーレ』を弾くという揺るぎない決意のもと、迷うことなくこの曲を選びました。
以降、3か月のうちに猛特訓で練習したところ、何とかこの10分近い大曲を弾けるようになりました(テンポは遅い曲なので決して難曲に聴こえないのですが)。
果たして『6声のリチェルカーレ』を技術的に正しく弾けていたかは怪しいのですが、この曲を弾いているときは、「神に祈りを捧げている」ような気分でした。
以下はコンクール2週間前に浜松町ベヒシュタイン・サロンで録音したものです。
J.S.バッハ 『音楽の捧げもの』から6声のリチェルカーレ
(注:ヒドイ演奏です)
バッハコンクール予選の本番では、緊張のあまり、膝はガクガク震えてしまい、ミスの連続で予選突破はなりませんでしたが、奨励賞というものをいただきました。
3. ピアノとの再々会?
バッハコンクール以降は、再びピアノから遠ざかってしまい、5年が経ちました。
そして、今回「蜜蜂と遠雷」と「羊と鋼の森」を観て、再びピアノを演奏しようという想いが沸き上がってきたのです。
しかも、今回も再び天の声が「弾きなさい」と。。。
それは、「羊と鋼の森」の高校生(上白石萌音)が弾いていた、ショパン ピアノ・ソナタ 第3番 ロ短調の第4楽章です。。。!
この曲は、ショパンの膨大なピアノ曲のなかでも、間違いなく最高難易度の曲の一つですね。
Pollini plays Chopin Sonata in B minor, Op.58 - 4. Finale
到底、ピアノ演奏の正式な教育を受けていない私に弾けるようなレベルのものではありません。
しかし、どうしても弾きたい!
以前、ショパンのバラード1番(これも難曲)に挑戦して、猛練習したところ、最後まで弾けるようになったことがありました(ニューヨーク在住時代)。
ショパン バラード 第1番 Op.23
(注:ヒドイ演奏です)
ショパンのバラード1番は、当時ピアニストの友人に聴いてもらったところ、「とにかく譜面通りに全然弾けていない」と散々の酷評でしたが、自分では弾けるようになっただけでも十分満足でした。
なので、例えセオリー無視のメチャクチャなヒドイ演奏であっても、ショパン ピアノ・ソナタ 第3番 ロ短調の第4楽章がどうしても弾けるようになりたいのです。
が、当然ながらそのためには、膨大な時間を練習に費やすという、大変な代償を払う覚悟が必要です。
果たして自分にその覚悟があるのか?
今回は、前回のバッハコンクールと違って、目標となる具体的なイベントも期限もありません。
案の定、「羊と鋼の森」を観た直後の情熱も、数か月経つと醒めてしまい、ピアノ・ソナタ 第3番の第4楽章の練習も、最初の1ページ目であっさりと頓挫してしまいました。
そんな状況で、先日「蜜蜂と遠雷」を観たのです。
映画では、コンクール優勝を目指してピアノと向き合う4名の若者の心情を丁寧に描いていました。
そして、ピアノ・ソナタ 第3番にあっさりと挫折中の私自身の気持ちも、彼らのようなプロを目指すピアニストの悩みと似ていると感じました。
「自分はなぜピアノを弾く(弾き続ける)のか」
「ピアノを弾くことで自分は何を目指すのか」
「誰のためにピアノを弾くのか」
4. 音楽は人に聴いてもらってこそ?
バッハコンクールのときに忘れられない記憶が、私以外の演奏者たちの実に素晴らしい演奏を聴いて、心から感動したことです。
それは、クラシックコンサートでプロの演奏を聴くのとは全く異次元の体験でした。
コンクールのときの聴衆の数は、ほんの数10人程度だったと思いますが、その聴衆の前で、自分の音楽を表現するという行為の心の準備が足らず、本番直前で完全に混乱してしまったのです。
それは、私の前の順番で弾いたほかの出場者の演奏が、あまりに素晴らしかったからでした。
今から振り返ると、私のピアノ演奏に対する姿勢は、「人に聴いてもらう」ことよりも、「自分が弾けて楽しい」ということに圧倒的な比重があったのだと思います。
ピアノを演奏するという意味はなんでしょうか?
演奏者の思いは、それを届ける相手がいて初めて成立するものでしょうか、それとも、自己満足や自己顕示欲が満たされれば、それはそれで良いのでしょうか?
プロの音楽家であれば、演奏することで人に感動を届けるという大義名分が成立しますが、私のように素人が趣味でピアノを演奏する場合は、人前で演奏する機会がそもそもほとんどありません。
コンクールに出場するか、発表会に参加することぐらいでしょうか。
以前、バッハコンクールに向けて練習した録音を、学生時代の友人に聴いてもらったところ、
「これだよこれ!〇〇君の演奏にはちゃんと自分のビートがある。強いタッチなのに音がつぶれない」
と(たぶん)褒められてビックリしたことがありました。
まさか、自分の演奏スタイルを何十年も忘れずに覚えてくれていたとは、自分の演奏が他人の記憶にそんなに残るもんだったとは、と純粋に驚いたのです。
やはり音楽は人に聴いてもらってこそ、なのでしょうか。
だとしたら、難曲のピアノ・ソナタ 第3番も、猛烈な時間と努力を伴う練習を伴うこともあり、コンクールを目指すか、発表会で弾くことを目標にするべきなのかもしれません。
では、ピアノを弾くというのは、他人に応援してもらうとか、感動してもらうということが目的であって、自己顕示欲のようなものと全く無関係かと言えば、必ずしもそうとも限らないと思います。
難曲が立派に弾けるようになれば、誰も聴かなくても、個人の達成感は得られるでしょうし、SNSなどで「オレはこんな難曲が弾けるようになった!」と自慢することだってできるでしょう。
また一方で、ピアノを趣味で弾くのは、良い気分転換になるからという意見もあります。
しかし、ショパンのピアノ・ソナタ 第3番を気分転換だと言って弾く人はさすがにそうはいないと思います(そんな人がいたら間違いないプロですね)。
しっかりと弾けるようになるには、猛烈な練習量(とそれに伴う大きな犠牲)が必要となるでしょう。
発表会というのは、もしかしたら、音楽の表現を通して聴衆にメッセージを伝えるという以外にも、日々の努力をお互いに認め合って、それを称え合うという側面もあるのかもしれません。
5. 弾きたいと思う曲の難易度
ショパンのピアノ・ソナタ 第3番第4楽章以外に、弾いてみたい曲は。。。
- バッハの『フーガの技法』から「コントラプンクトゥス 11 a 4」
- プロコフィエフのピアノ・ソナタ第7番「戦争」第4楽章
- キース・エマーソン(プログレッシブ・ロック・バンド)のピアノ協奏曲第1番
どれも自分の技術レベルをはるかに超えて難易度が高すぎるものばかりなのは果たして偶然でしょうか?
もっと気軽にピアノを弾けたら。。。と思って、ポピュラー音楽のスコアとかも買ったりしましたが、あまり興味が湧きませんでした。
たまに、ストリートピアノなどでさらっとジャズやポピュラーの定番曲を弾いたりできる人を見かけると、自分もああなりたいと、とても憧れるのですが、どうやら、私の神の声は、それを許してくれそうもありません(笑)
難易度の高い曲は、年齢とともに明らかにハードルが高くなるのは間違いないようなので、やはり、思い立ったが吉日で、挑戦できるうちに玉砕を覚悟してでもやってみたほうが良いのかもしれません。
結論がハッキリしない投稿になってしまいました。。。が、ピアノを弾くことは、実に素晴らしい体験であることは間違いありませんね。
コメント