映画『コンスタンティン』(2005年)は、悪魔との闘いがテーマのファンタジー・アクション映画です。
悪魔を見分けるという特殊能力を備え、超常現象を専門に扱う探偵を生業とする男の姿を描いた作品。キアヌ・リーブス、レイチェル・ワイズほか出演(「Oricon」データベースより)。
[注意:以下はネタバレ満載の内容です]
1. 映画『コンスタンティン』
あらすじ(Wikiより引用):
この世は、天国・人間界・地獄の3つの世界に別けられている。そしてそれぞれの住人は別の世界へと自由に行き来することはできない。しかし現実は、天使と人間・悪魔と人間の中性的な存在「ハーフブリード」が外観上人間と違わぬ姿を以って人間界に住み着いていた。
主人公は、末期の肺ガンで余命幾許も無い男ジョン・コンスタンティン(キアヌ・リーブス)。彼は人間以外のものを見ることができる特殊な力を持っており、強力なこの力を以って人間界で悪事を働くハーフブリードを始末する悪魔祓いを行っている。
ある日、悪魔祓いを行っていたコンスタンティンは少女にとりついた悪魔が人間界へ潜入しようとしたのを目撃する。互いの領域を侵さないことで成り立ってきた世界の均衛が崩れ始めようとしていた。均衡を保とうと試みるコンスタンティンとその仲間たちに不穏な殺害事件が起き始める。。。
予告編
監督:フランシス・ローレンス
出演:キアヌ・リーブス, レイチェル・ワイズ, シャイア・ラブーフ
この映画は、DCコミックス刊行のアメリカンコミック『ヘルブレイザー』(Hellblazer)が原作です。
悪魔祓いのアクションCGだけがウリのB級映画だろうと軽い気持ちで観たのですが、いやはや、この映画はかなりカルトで、天使と悪魔に現代ならではの解釈を盛り込んだ宗教色の強い個性的な映画でした。
Amazonのレビューは4.2と高いです。
監督のフランシス・ローレンスは、MTVのビデオクリップをたくさん作っていることもあり、映画はスタイリッシュで洗練されています。
派手なCGもふんだんに盛り込んでいるので、娯楽作品としても見どころは多いと思います。
主演のキアヌ・リーブスは、この作品をとても気に入っているようで、『コンスタンティン2』の制作が決定されたそうですが、スタッフ・主演・公開時期は現在でも未定のようです。
キアヌ・リーブスといえば、『マトリクス』シリーズや『ディアボロス』など、悪魔との闘いの宗教を題材にした映画によく出ていますね。
キアヌ・リーブス
ジョン・コンスタンティンは彼のハマリ役だと思います。
相手役のアンジェラを演じるレイチェル・ワイズは、『スターリングラード』(2001)でジュード・ロウの相手役だった女優です。
レイチェル・ワイズ
社会派ドラマの傑作『ナイロビの蜂』(2005)で第78回アカデミー賞助演女優賞に輝いた実力派でもあります。
2. 見どころ
映画では、「ハーフブリード」と呼ばれる天使と人間・悪魔と人間の中性的な存在のキャラが出てきますが、その「ハーフブリード」と、親玉である天使や悪魔たちから、コンスタンティンが世界を守る(のと同時に自分の運命も変えようとする)のが一番の見どころです。
天使のハーフブリード「ガブリエル」と、悪魔のハーフブリード「バルザザール」。
ガブリエル役は、ディカプリオ主演の「ザ・ビーチ」(2000年)で、自活集団のリーダー役を演じた個性派女優のティルダ・スウィントンが好演しています。
ティルダ・スウィントン
まあ、「ハーフブリード」というのは、聖書には登場しないコミックでの架空の登場人物なのですが。。。
冒頭のシーン、メキシコ人の発掘作業員が、槍の先のようなもの(聖槍、ロンギヌスの槍)を偶然に掘り出すのですが、これがすべての事件の発端になります。
うーーん、この展開、ちょっと『エクソシスト』(1973)をパクッてないですか?
終盤、アンジェラが悪魔に強引に拉致され、高層ビルの内壁を次々と突き破って窓の外に消えてしまうシーンは、封切当初予告編などで良く放映されていましたが、ちょっとド派手過ぎて、私はあまり好みではありません。
最初に観たとき(おそらく10年くらい前)、私はこの映画を、よくあるCGがウリなだけのDCコミック映画のひとつにしか思えず、あまり印象に残りませんでした。
しかし、最近、WOWOWで放送されたものを観たところ、随所に秘められた宗教的なアイテムに興味が湧き、いろいろ調べてみるうちに、この映画がすっかり気に入ってしまいました。
単なる悪魔祓いの映画ではないのはもちろん、ステレオタイプな悪魔や天使とは違う、非常に凝った描写をされています。
悪魔と天使の関係は?
そもそも「悪」とは何か?
などなど。。。
特筆すべきは、エンドロールが終わったあとに、意味深なシーンが挿入されているところです。
私は(予備知識なしに)たまたまエンドロールを最後まで観ていたので、このシーンに出くわしてビックリしました。
Constantine 2005 - after credits scene 720p HD
エンドロールのあとに重要なシーンが挿入されている映画といったら、『キャリー』(1976)が有名ですね。
このエンドロールのシーンの意味について、ネットでは「(ネタバレ)エンドロール後には何が?」で大きな議論になっています。
個人的には、チャドはハーフブリードでも天使でもなく、ただ普通の人間で、天に召されるのを見てコンスタンティンが「フッおまえは簡単に天国に行けていいよな」と苦笑した、と解釈しました。
ちなみに、このエンドロールの少年は、のちに『トランスフォーマー』シリーズでスターとなる若き日のシャイア・ラブーフが演じています。
シャイア・ラブーフ
ちなみに、コンスタンティンは超がつくヘビースモーカーで、ほとんどの場面でタバコを吸っています(それが原因で肺がんを患って早死にが決まっているのですが)。
2005年~2009年のアメリカの死者の20%近くが喫煙によるという衝撃的なデータがありますが、コンスタンティンのくわえタバコ姿はなかなかカッコいいので、映画が喫煙の抑制にはなりそうもないですね。
3. 悪魔の呼び名
悪魔といっても、「サタン」「ルシファー」「ディアボロス」「デーモン」「デビル」いろいろな名前で呼ばれます。
新約聖書では「サタン」「ディアボロス」の2語が主に使われています。
どう違うのでしょうか?
「サタン」は、ヘブル語のśâṭānで「敵対すること(opponent)」「敵対者(adversary)」「告発者」という意味があります。最初の罪を犯した堕天使です。
「ルシファー」は、元々はラテン語で「金星」を意味する言葉luciferosから派生した言葉で、歴史的な経緯から、サタンの別名として用いられるようになりました。
「ディアボロス」は、ギリシャ語のdiabolosで「敵対すること(opponent)」「中傷者(slanderer)」「道を塞ぐもの」という意味があります。英語名では「デビル」です。
「デビル」は、上記により「ディアボロス」と同じです。
「デーモン」は、英語のdemonで、悪霊のことです。悪霊は、人々に罪を犯させて神から引き離し、神の計画・目的を妨害します。デーモンの頭が「サタン」です。
ちなみに、昨年空前の大ヒットを記録したアニメ映画『鬼滅の刃』の英語タイトルは、『Demon Slayer』となっています。
呼び名はいろいろあれど、大意はすべて「悪魔」で同じ意味のようです。
4. 古代悪魔学
映画『コンスタンティン』を観て、悪魔について少し調べてみることにしました。
図書館から悪魔に関する本を3冊ほど選択。
真ん中の『古代悪魔学』は、Amazonのレビュー評点は4.9と高いので、これを中心に読むことに。
内容は、古代から現代までの悪魔に関する比較神話学の集大成で、古代神話からアウグスティヌスの神学体系まで、人類の歴史のなかで悪魔が果たしてきた役割や位置づけを網羅した700ページの大作です。
著者のニール・フォーサイスは、スイスローザンヌ大学教授であり、ミルトン学者(「失楽園」の著者ジョン・ミルトン)として、悪魔や聖書に関して膨大な博学です。
本著を読み進めるのは、ある程度の予備知識がないと、容易ではありません。。。
ネットや参考文献を頼りに、四苦八苦。。。以下ごく一部の箇所を抜粋しました(太字は引用)。
4.1 悪の起源
悪魔の定義は、ギルガメッシュ叙事詩といった古代の伝記に登場して以来、時代の変遷とともに大きく変わってきました。
特に、悪魔の代名詞として用いられる「サタン」は、新約聖書の時代にキリストを誘惑するのですが、それは
キリスト自身が人であると同時に神であるのと同様、サタンもまた邪悪な人であると同時に「堕落した」神だと言える
のです。
裏切りの場面に向けてサタンはユダの「中に入る」のであるが、いっぽう黙示録においてはサタンは竜であり、宇宙的規模で天使長ミカエルに敵対する
サタンの解釈は、時代とともにダイナミックに変遷するのですが、同じ新約聖書の福音書によっても異なります。
マルコ福音書とマタイ福音書では裏切り者ユダは金目当てに行動するが、ルカ福音書とヨハネ福音書では、サタンの手引で行動する
古代メソポタミアや紀元前二千年のカナンの神話に登場するサタンが、長い時を経て旧約聖書や新約聖書といった紀元前三世紀以降のサタン神話にまで伝達・伝承されたのは、アッシリアのニエヴェ図書館といったコレクションによって後世に伝えられたことからです。
スケールの大きい話に圧倒されます。。。
ユダヤ教の神ヤハウェは、全能であり唯一の神ですが、人間に対して極めて厳しい(容赦しない)のは有名ですね。
ヤハウェは、時にイスラエルの民に対して暴君のように振る舞うのです。
旧約聖書においては、サタンは天の宮廷のメンバーとしてヤハウェに仕え、人間が悪事を働かないように監視するのが役目でした。
それがなぜいつの間にか「宇宙的敵対者」になってしまったのか?
旧約聖書のヨブ記は、いつ、どこで書かれたか不詳ですが、唯一神のヤハウェが悪を生み出したとしています。
ヨブ記のサタンはまだ堕落天使ではなく、神に仕えていたのです。
前述のように、ヘブル語のśâṭānは、元の意味が「道をふさぐ」「じゃまをする」という意味で、それ自身に必要悪はありませんでした。
それが、時代を経て、「つまづきの石」(英語のstumbling block)という悪い意味に変わり、「つまづきの石」のギリシャ語skandalonは、英語ではscandal(醜態)やslander(中傷)という意味を伝えるようになってしまいました。
旧約聖書にダビデが登場するあたりで、おとり捜査官として神の代理をしているサタンが、
神の行為者であることをやめ、みずからの意志で行動する、つまり、神にとって代わったのである
これは第二サムエル記に明記されているそうです。
こうしてサタンは、天の法廷の役人から、独立した反逆者・敵対者へと変身しました。
ではなぜサタンはヤハウェに対して反逆を行ったのか?
「天国で仕えるより、地獄で統治せよ」"Better to reign in Hell, than to serve in Heaven"(ジョン・ミルトン『失楽園』)
映画『ディアボロス/悪魔の扉』(1997)で、アル・パチーノ演じるジョン・ミルトン(=サタン)のセリフは、この「失楽園」から引用されています。
サタンが神から与えられた使命に不満を持ったのは、天使よりも格が低い劣等な知的生命体である人間の守護天使に任命されたことが、サタンとなった天使の誇りを傷つけたために、神の創造の目的を挫折させて一矢報いたいと考えたのがサタンとなった天使の反逆の動機だったという説です。
サタンは、人間の監視役として、神の似姿をしたアダムとイブを拝めと天使ミカエルに言われたのですが、それを拒否したので、神に栄光の座から追放されてしまいました。
その反動で、快楽のうちに生活しているアダムとイブを恨み、自分たちが追放されたように、アダムとイブも巻き添えにした、というわけです。
しかし、本著「古代悪魔学」では、このようなサタンの動機とは別に、エノク書の解説に紙面を割いて、本文中唯一の図説まで挿入しています。
エノク書
「エノク書」というのは、紀元前1~2世紀頃成立と推定されるエチオピア正教会における旧約聖書の1つ。エノクの啓示という形をとる黙示である(Wiki)。
また、「悪魔辞典」によると、エノク書は、偽典(「七十人訳聖書」から除外された)としてオカルティズムな方面で最も重要性されているものとされています。
エノク書によると、人間を見張る天使たちが、人間のうるわしく美しい娘たちに誘惑されて、それが罪であることを知りながら肉体関係を持ってしまったとあります。
その結果、天使と人間の間に巨人ネフィリムが生まれ、天使が人間に与えた禁断の知識(鉄から武器=戦争をつくったり、金銀から装飾品=誘惑をつくること)とともに、地上のあらゆる悪行の源となりました。
そのネフィリウムを地上から追放するために、神がノアの洪水を起こしたというわけです。
「エノク書」について私は初めて知ったのですが、なかなか女性を悪者扱いでエキセントリックですね。
まあアダムとエバの物語も、悪魔に誘惑されてしまったのはエバなんですが。。。
元々のユダヤ教の「アダム書」では、エバを誘惑した蛇が、サタンとして初めて宇宙的敵対者として登場しています。
もう頭が混乱してきました。。。
つまり、サタンとは、ヨブ記では神に仕えており、第二サムエル記では、神に反逆した堕天使であり、エノク書では女性の人間に誘惑された天使であり、アダム書では、イブに知恵の木の実を食べるよう誘惑した蛇と、それぞれ解釈が異なるようです。
4.2 善と悪の世界
そもそも全能の神が、なぜ世の中にサタン、つまり戦争や飢饉といった「悪」を生んでしまう事態を阻止できなかったのかという疑問が沸きます。
キリスト教というのは、長い歴史でみると、
特異なメシア信仰を持つユダヤ教黙示的グループの一つとして始まった
ということで、実は、ユダヤ教から派生した別の思想がありました。
それが、グノーシス主義という、反宇宙的二元論です。
以下は、「グノーシス主義」からの引用です。
世界が本来的に悪であるなら、他の諸宗教・思想の伝える神や神々が善であるというのは、間違いであるとグノーシス主義では考えた。つまり、この世界が悪であるならば、善とされる神々も、彼らがこの悪である世界の原因なので、実は悪の神、「偽の神」である。そのため、彼らは悪の世界(=現実)は「物質」で構成されており、それ故に物質は悪である。また物質で造られた肉体も悪である。なら、「霊」あるいは「イデア」こそは真の存在であり世界であると考る
(引用おわり)
グノーシス主義は、二元論です。以下Wikiより引用します。
神学における二元論は、世界における二つの基本原理として、例えば善と悪というようなお互いが背反する人格化された神々の存在に対する確信という形で現れている。そこでは、一方の神は善であり、もう一方の神は悪である
(引用おわり)
この世には悪と善という二人の神がいるという二元論に対して、キリスト教は、この世には全能の(善い)神がただ一人しかいないと真っ向から対立します。
キリスト教は、ユダヤ教から派生した急進的カルトとして出発し、パレスチナの地域宗教に過ぎなかったのですが、やがてグノーシス主義は異端とされ、キリスト教が「正統派」として体系化されました。
以下私見ですが、冒頭の「全能の神が、なぜ世の中にサタン、つまり戦争や飢饉といった「悪」を生んでしまう事態を阻止できなかったのか」という疑問は、その問題提起自身が、人間を世界の中心に捉えた考え方から脱却していないのではと思います。
ヨブ記にあるように、人間は、神の計画の中心でも目的でもなく、神の活動の目的は人間の活動を超越したところにあるので、人間に災難が降りかかるのは、因果応報でもなければ、人間の知る由ではないのではと。。。
死海文書、創世記、ヨブ記、エノク書、グノーシス主義。。。サタンの神話学について調べるうちに、実に様々なことが明らかになり、現在の確立されたキリスト教だけでは知りえない深淵な世界を垣間見ることができました。
(以下ネタバレですが)映画『コンスタンティン』では、サタンだけでなく、天使のガブリエル(聖書に出てくる大天使ガブリエルとは別)までもが、人間への嫉妬のために、まさかの裏切りを行うという斬新なシナリオになっています。
天使や悪魔の位置づけが、時代の変遷とともに大きく変わってきたことを考えると、この映画で描かれているような、現代社会にマッチした新解釈というのも大いにアリではと思います。
5. 悪は根絶できるのか
モーガン・フリーマン『時空を超えて』は、NHKの教育テレビで放映されていたシリーズです。
その「悪は根絶できるのか」を観ました。
サイエンス番組らしく、登場する心理学者や神経科学者たちは、あの手この手の手法で、人間の心に潜む「悪魔」の正体を突き止めて、邪悪な衝動を消し去り、人間性を善なる方向に導く手段を探しています。
サイコパス(この番組では他人に感情移入できない人の意味で使われています)も、弱者に共感できるか?がテーマです。
無差別殺人者やヒトラーのような狂人の行動は、長い間、外部要因の「悪魔」の仕業だとされてきました。
しかし、今では悪魔とは単なる象徴にすぎず、悪魔とは私たちの心が生み出すものだと証明してきました。
実験の結果、自分の身体の痛みを感じるのと、(映像で観る)他人の痛みを感じるのは、情動的共感といい、脳の同じ部位が働いていることがわかっています。
個人差はあるものの、人の痛みを感じる能力は、すべての人に生まれつき備わっているものなのです。
人間の脳にある「扁桃体」は、脳の側頭葉の内側、海馬のやや内前方に左右対称に位置している、長さでは15~20mm程度のアーモンド型の器官です。
「扁桃体」は感情の中枢であり、原始的な欲求の源です。
セルフ・コントロールの要である「前頭葉」と「側頭葉」によって感情や衝動を抑制しています。
しかし、何らかの原因で、扁桃体に異常が起きると、セルフ・コントロールは失われてしまいます。
扁桃体
1966年、チャールズ・ホイットマンという若者がテキサス大学オースティン校のタワーに登って銃を乱射 計48人を死傷(15名死亡)させるという事件が起きました。
チャールズ・ホイットマンの死後解剖の結果、くるみ大の腫瘍が脳の扁桃核を圧迫しているのが発見されました。
この腫瘍が、扁桃核の働きを阻害し、暴力衝動を誘発していたと考えられています。
サイコパスは、良心の呵責を感じることなく他者に危害を加えることができます。極めて邪悪な存在と言っていいでしょう。
驚くことに、そのような人物は想像以上に多く、人口の3%にのぼると言われています。
長年脳の構造を研究している神経科学者のジェームス・ファロンは、サイコパスの殺人者は、独特な脳の構造をしていることを発見しました。
サイコパス的な脳の構造形成には、少なくとも40の遺伝子が関係しており、凶暴性や自己陶酔性 殺人を犯す傾向などに影響する遺伝子です。
しかし、神経科学者のジェームス・ファロン当人が、その独特な脳の構造を持っていることがわかり、本人は当惑してしまいました。
これだけ危険遺伝子があったにも関わらず、ジェームス・ファロンが犯罪者にならずに済んだのは、後天的環境に恵まれたこと、すなわち両親や友人が私を幸せに育ててくれたおかげだと結論づけています。
では、悪を排除すること=邪悪な行動をコントロールすることはできるのでしょうか?
番組では、薬物療法などさまざまな試みを紹介していますが、まだ検証段階のようでした。
人間は、生まれながらにして、自分と似たものを好み、異質なものを嫌うという性質があります(1歳の赤ん坊でも同じ)。
それが、人種差別や、集団主義、排他主義といった悪に繋がるわけです。
番組では、「学校の教育」と「メディアと交通機関の発達による距離の短縮」によって、人類を一つの集団として見ることができれば、道徳的な進歩が期待できると締めくくっています。
理想的には正しい考えかもしれませんが、教育にせよ、物理的な距離にせよ、これだけ世の中が格差社会になっている現在では、その効果には限界がありますね。。。
6. ヒロニエム・ボス
最後に、悪魔(サタン)と併せて「地獄」の光景です。
映画ではこんな光景でした。
15世紀のネーデルランドの画家ヒロニエム・ボスの絵画は、この「地獄」がテーマのものが多く、観る者の創造を掻き立てます。
『快楽の園』
この『快楽の園』の右側の地獄絵図は、なかなか迫力がありますね。
いやはや。。。こんなところ来世には行きたくないものです(笑)
「最後の審判」もあります。
「最後の審判」
現生では善行に励みましょう。。。
これまでに映画レビューをブログ投稿したものを、自己採点ランキングごとに以下に総まとめ記事にしました。
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