映画『乱』(1985年)は、シェイクスピアの『リア王』をベースに、戦国時代の武将とその3人の息子の破滅を描いた壮絶な人間ドラマです。
出典:(C)1985 KADOKAWA/STUDIO CANAL
先日、アンソニー・ホプキンズの『リア王』(2018年)を観て思い出し、10年ぶりに『乱』のDVDディスクを引っ張り出しました。
気軽にちょっとだけ鑑賞するつもりが、2時間40分をあっという間に最後まで観切ってしまい、しばらくは、映画の余韻で頭が興奮状態に。。。
いやはや、これは空前絶後の大傑作、自分の生涯ベスト映画の1本であることを改めて感じました。
映画を観て感じたことを(余韻の醒めないうちに)以下に書き記します [注意:ネタバレ満載の内容です]
1. 映画『乱』
あらすじ(Wikiより引用):
戦国時代を無慈悲に生き抜いてきた猛将、一文字秀虎は、突然隠居することを表明し、長男の太郎、次男の次郎・三男の三郎に3つの城を分け与え、自身は客人として静かに余生を過ごしたいと願う。
「1本の矢はすぐ折れるが、3本束ねると折れぬ」と3本の矢を以て兄弟の団結の要を説くが、三郎は示された3本の矢を力ずくでへし折り、父親の弱気と兄弟衝突の懸念を訴える。秀虎は激怒し、三郎とそれを庇う重臣の平山丹後をその場で追放する。
家督と一の城を継いだ太郎だが、太郎は父を呼び出し、今後一切のことは領主である自分に従うようにと迫る。立腹した秀虎は家来を連れて、次郎の二の城に赴くが、太郎から事の次第を知らされていた次郎もまた「家来抜きであれば父上を迎え入れる」と秀虎を袖にする。秀虎は失意とともに、主を失って無人となった三郎の三の城に入るしかなかった。
そこに太郎・次郎の大軍勢が来襲する。三の城は燃え、秀虎の家来や女たちは皆殺しにされる。更にどさくさに紛れ、太郎は次郎の家臣に射殺される。繰り広げられる骨肉の争いに、秀虎は半ば狂人と化して城を離れる。。。
4K予告編
監督:黒澤明
出演:仲代達矢、寺尾聰、根津甚八、隆大介、原田美枝子、ピーター
黒澤明監督が構想に10年・製作費に当時の日本映画としては巨額の26億円をかけて制作されました。
1985年の公開当時は、国内では賛否両論を巻き起こしましたが、アカデミー賞では監督賞、撮影賞、美術賞、衣装デザイン賞の4部門にノミネートされ、衣装デザイン賞(ワダ・エミ)を受賞しました。
この年の監督賞は、シドニー・ポラックが受賞(『愛と哀しみの果て』)しましたが、黒澤明監督がノミネートされたのはこの年が唯一でした。
Amazonのレビューは4.1と、国内では評価が特に高くはありません。
2. リア王
物語は、シェイクスピアの「リア王」をベースにしています。
リア王では、英国(ブリテン)の老王が、長女と次女に国を譲ったあと、娘達から裏切られて国を追い出されてしまいます。半狂乱となったリア王ですが、勘当した末娘(フランス王妃となってブリテンに乗り込む)に助けられ、よりを戻して末娘と一緒に長女・次女と戦いますが、結局敗北してしまい、最後には3人の娘たちも王もみな命を落とすという悲劇のストーリーです。
私は、WOWOWで放映されたアンソニー・ホプキンズの『リア王』(2018年)をたまたま観たついでに、『乱』をもう一度観たくなったのでした。
アンソニー・ホプキンズの『リア王』
映画『リア王』は、これまでも何度もリメイクされており、伝説となっているユーリー・ヤルヴェト主演のソ連時代に製作されたモノクロの『リア王』(1970年)が有名です。
アンソニー・ホプキンズの『リア王』は、長女役のエマ・トンプソンをはじめとした豪華絢爛なキャストでAmazon StudioやBBCなどが共同製作した劇場未公開の作品でした。
ハンニバルのレクター博士役のイメージが強烈ですが、『リア王』でも最大の見どころは、アンソニー・ホプキンズの鬼気迫る見事な演技に尽きるでしょう。
黒澤明の映画『乱』とシェイクスピアの『リア王』については、こちらのサイトに論文にまとめられています。
3. 見どころ
黒澤明監督の『乱』は、冒頭からエンディングまで見どころ満載で、どこが見どころなのか抜粋するのは大変です。
全体を覆う雰囲気は、血で血を洗う戦国時代の壮絶な時代背景を描きつつ、どぎついほどビビッドなカラー(3人の息子は赤、黄色、青に明確に分かれている)と、日本かと目を疑うほど荒涼とした風景の強烈なコントラストが、この世とは思えない生き地獄を演出しています。
こちらのレビューサイトでは、『乱』に登場する城や舞台が、砂漠のなかに孤立したようで、庶民の城下町など周囲の環境が皆無であり、あまりに非現実的だと指摘しています。
その指摘は正しいのですが、映画に登場する人物がことごとく現実離れしているため、砂漠のような非現実的な舞台セットは、ひょっとしたら監督の意図的な仕掛けではないでしょうか?
1000人規模のエキストラを動員した合戦シーンは、もちろん迫力抜群なのですが、嫌というほどCGのスペクタクルシーンを見慣れてしまった現代には、むしろ新鮮に映るほど撮影はシンプルです。
しかし、合戦シーンは、静寂な葬送曲のような音楽が流れるだけの大音響とは無縁の演出で、これは悲惨な殺戮シーンを一層際立たせる効果があります。
これぞまさに映像芸術。
サム・ペキンパー監督のスローモーションを駆使した暴力描写にも共通したものがありますね。
そして、シェイクスピアの『リア王』と違って、セリフが現代風に簡素化されているので、大衆文化としてのエンターテインメントにアレンジされているので、とても理解しやすくなっています。
『乱』のような日本映画を観ると、私が真っ先に連想するのは、今は亡き祖父母の家です。
その平屋建ての母屋には、至るところに日本の古い伝統や歴史の跡が残っており、訪れるたびに懐かしい気持ちになりました。
戦国時代の血で血を洗う抗争と、格式や儀礼を重んじるといった、現代では消滅しつつあるものが、『乱』では重要な要素として印象に残ります。
太平洋戦争での敗戦を経て近代化した現代の日本は、平和主義を貫きながらも、国民の幸福度は世界でも低いレベルにとどまり、政府に対する不満は高いにも関わらずストライキやデモなど反社会的な運動はほぼ皆無という不思議な国になりました。
『乱』のような映画を観ると、かつての日本への愛憎半ばするノスタルジーと、現代の日本への自己反省的な感情の板挟みになり、複雑な気分になります。。。
登場人物はみなそれぞれ強烈な個性ばかりです。
主演の仲代達矢と3人の息子たち以外でも、原田美枝子が演じる「楓の方」と、ピーターが演じる「狂阿弥」、そして野村萬斎が演じる「鶴丸」の3人は、特に強烈な印象が残りました。
「狂阿弥」と「秀虎」
当時の人気タレントだったピーター(現在は池畑 慎之介の芸名)が、実にのびのびと狂阿弥を好演しています。
狂阿弥
狂人と化した秀虎に「狂っている世の中で、狂っているのなら気は確かだ」というのは名セリフでした。
「楓の方」
楓の方を演じた原田美枝子は、こちらもアイドルっぽい存在だったのが、映画のなかで随一の怖ろしい役を見事に演じ切っています。
楓の方が「一文寺家が亡びる様を、わらわはこの目で見たかった」と真情を吐露した直後に、鉄(くろがね)にスパッと首を斬られて鮮血が飛び散るシーンは衝撃的でした。
全盲の鶴丸は、幼少時代に秀虎に両親を殺されて、両眼をつぶされたのでした。ここにも「リア王」との共通点が垣間見えます。
全盲の鶴丸
鶴丸が住んでいる家があまりにみすぼらしいのですが、自分の祖先もかつてはこのような簡易極まりない環境に住んでいたと思うと感慨深いものがあります。
秀虎が死ぬ場面の、「殺し合わねば生きてゆけぬ人間の愚かさは、神や仏も救う術はないのだ」という丹後のセリフは、現代の社会にも通じるものがあり、身につまされる思いになります。
もちろん、戦国時代とは違い、現代社会では殺し合いや城を焼いたり、策略で一族を破滅させるということは滅多にない事ですが、人間の性分である残虐性は、今でも何一つ変わっていません。
下は、秀虎によって命と引き換えに全盲にされた「鶴丸」が、無残にも殺害されて戻ってくることのない姉(末の方)を待ちわびながら、崖淵でよろめいた拍子に、お守り代わりの阿弥陀如来の掛け軸を落としてしまうラストシーンです。
鶴丸
弥陀如来の掛け軸
鶴丸の行く末を案じてグッときてしまうこのシーンは、『禁じられた遊び』のラストシーンにも通じる映画史に残る名シーンではないでしょうか。。。
他にも書き足りない部分がたくさんありますが、とにかく、この映画は何度でも観返してみたいと思うほど魅力が詰まっています。
黒澤明監督の作品は、「七人の侍」「羅生門」「影武者」「夢」と、どれも好みのものばかりですが、インパクトの強さでは、この「乱」が突出しています。
こんな衝撃的な映画はそうそう滅多にないでしょう。個人的には生涯1,2を争うベスト映画です。
これを観ずに死ねるか!は決して誇張ではありません。強くお勧めの1本です。
(2021年4月25日 追記)
三郎役を好演した隆大介さんが急死という悲しいニュースが入ってきました。享年64歳、頭蓋内出血とのことです。合掌。。。
これまでに映画レビューをブログ投稿したものを、自己採点ランキングごとに以下に総まとめ記事にしました。
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