[資本主義の将来はどこへ向かうのか] 人間の短期的願望への縮退を止めるには(『現代経済学の直感的方法』長沼伸一郎)

  

『現代経済学の直感的方法』(2020年)を読みました。



前評判通り、これまでの経済専門書とは違う理系思考的な解説のおかげで、経済学の基礎が良く理解できるようになりました。


また、近年の資本主義の暴走から仮想通貨といった最新のトピックまで大変わかりやすく解説されています。


特に印象に残ったのが、最終章の第9章「資本主義の将来はどこへ向かうのか」です。


著者は、資本主義の行く末が、石油などの資源の枯渇や、環境問題の悪化などよりも、さらに深刻な問題として、「縮退」というテーマを取り上げています。


資本主義経済の行く末が、人間の長期的願望(理想)は短期的願望(欲望)に縮退すると警鐘を鳴らして、これを如何に阻止すべきかヒントを提供しています。


テーマがあまりにもスケールが大きいので、具体的な解決策が果たして存在するのかさえわかりませんが、いろいろと思うところもあり所感をまとめました。

1. 現代経済学の直感的方法

この『現代経済学の直感的方法』(2020年)は、昨年のビジネス書大賞2020 特別賞(知的アドベンチャー部門)を受賞したベストセラー著作です。

著者の長沼伸一郎は、『物理数学の直観的方法』(2011年)がベストセラーとなり、一躍有名になりました。


図書館ではすべてが貸出中だったのですが、予約を入れたものがようやく順番が巡ってきました。

経済学の本は、これまでにもたびたび読み散らかしてはいるものの、経済学を体系的に学んだのはもう数十年前の昔の学生時代なので、年を取るにつれて記憶や理解度がいよいよ怪しくなってきていました。

前評判通り、これまでの経済専門書とは違う明晰なわかりやすさが特徴で、第1章「資本主義はなぜ止まれないのか」を読んだだけでも、思わず唸ってしまうほどインパクトがあります。

450ページほどありますが、文章が非常にわかりやすいので、経済学の書籍にも関わらず意外にスラスラと読めました。

あやふやになっていた経済学をもう一度しっかり理解するにはちょうど良いものでした。

個人的には、第8章の「仮想通過とブロックチェーン」が、これまでの仮想通貨や暗号資産に関するどの解説記事よりも圧倒的にわかりやすかったです。

以下は、最終章の第9章「資本主義の将来はどこへ向かうのか」についての所感です(以下太字は本文より引用)。

2. 資本主義の将来はどこへ向かうのか

今から40年以上前の1970年代は、オイルショックが発生した時代ですが、当時の資本主義の行く末は、「石油が完全に枯渇した地表を、人類がその一滴を求めてさまよう」と予想されていました。

しかし、石油の埋蔵量が当初予測されいたよりも遥かに多かったことと、消費量が予測ほど伸びなかったこともあり、石油枯渇の懸念は払拭されています。

それに代わる大問題として、「縮退」という概念を筆者は指摘します。

経済の「縮退」とは、GoogleやAmazonに代表されるような超巨大企業に利益が寡占化されて、他の多数の企業や商店はすべて淘汰されてしまう状態を指します。

生態系に例えると、ごく一部の生物(外来種のブラックバスなど)によってエコシステムが破壊されて、生体そのものの個数は増殖するものの、多様性が失われてしまう状態です。

著者はこの縮退を「システムが劣化した」状態と呼んでいます。

そしてまた、縮退が進行して希少性の低い状態に移行する過程で、しばしば金銭的な富が引き出されている特徴を指摘します。

これは、科学の世界では、「エントロピー増大の法則」として良く知られています。

巨大企業と弱小企業の間の話だけではなく、人間の長期的願望(理想)と短期的願望(欲望)にも同様のことが起きているというのです。

現代の資本主義経済は、その願望がどんどん短期化してきていることが見て取れる。

町の商店街はコンビニに取って代わられ、人間の行動はスマホの中で展開され、その内部だけが異常に活況を呈している。

そして、この縮退は、放っておいても元に戻らないのです。

市場万能主義の経済学では、物事というものは放っておけば「神の手」で最適な状態に落ち着くようになる、と考えてきた。
ところが、縮退は容易には元へ戻らないと考えられるのである。なぜなら、物理の原理に照らすと、先ほどの過程は不可逆過程なのであり、無理矢理にでも元に戻そうと思ったら、全体が一緒の大破局でリセットされて、更地から再出発するしかないからである。

これはつまり、事態を改善するためには、戦争や大恐慌のような大事件が発生しないと元には戻らないという、背筋がゾっとするような予測です。

著者は、巨大隕石による恐竜の死滅や、山火事による森林の再生などを例に挙げていますが、超新星爆発による新たな星群の誕生なども一緒ですね。

では、そのような縮退を避けるためには、世界を多様化すればよいのかというと、「多様化を進めようとすると逆に一強による画一化を招く」ことになってしまいます。

以下ちょっと馴染みのない用語ですが。。。

回復手段を失ったまま半永久的にそれが続くようになってしまっている状態を「コラプサー」と呼びます。

著者は、

縮退とコラプラー化の問題こそ、環境問題と格差問題の二つの背後にラスボス的に控える共通の源であり、これこそが人類が取り組むべき真の脅威

と指摘しています。

なるほど、これは目から鱗が落ちる鋭い視点だと思いました。

そして、実体経済と乖離する世界の象徴的なものが、マネーの流れです。

現在、実体経済では1日130億ドルが世界全体の貿易額なのに対して、投機のために移動する資金量は、1兆ドルにも達する。

そして、世界のマネーはそのように縮退することで、少なくとも短期的にはより多くの富を絞り出しているのです。

これは、以前ブログにも書いたのですが、「グレート・リセット」で、

産業の金融部門がGDPに占める比率が、1980年にかけては2%~4%で推移していたが、それ以降に急速に比率が上がり、2006年にはGDPの8.3%にまで急上昇した

という指摘とも一致します。。

ところで、なぜ世界は、このような縮退の問題を今まで放置していたのでしょうか?

著者によると、

「大勢の短期的願望(部分)を集めていけば、それは長期的願望(全体)に一致する」ということが一種の教義となっていた

からです。

これをさらにニュートンの天体力学を例に挙げて、

部分の総和が全体に一致する

という誤った考え方(特殊ケースにしか当てはまらない)によるものと指摘しています。

これは、一般には「要素還元主義」として知られているものです。

古い話で恐縮ですが、私がこの「要素還元主義」について知ったのは、「複雑系の経営」(田坂広志)という著書を読んだのかきっかけでした(20年近く前のことですが)。


そこには、「七つの知」の筆頭に、「全体性の知」として、

「分析」はできないから、全体を「洞察」せよ

という、「生きた魚」を分割した瞬間に、それは性質が全く変わってしまうことを例えて、「要素還元主義」と「システム思考」の違いが説明されていました。

人間の短期的願望(部分)を集めても、長期的願望(全体)になるどころか、行き着く果て(コラプサー)は、どんな形態を取るのだろう

著者は、かつて中国で阿片によって国全体がコプラサー状態になってしまった経緯も参照して、以下のような怖ろしいシナリオを予測します。

ここで一つの想像として、「快楽カプセル」というものを考えてみよう。つまり人間一人が入れるカプセルがあって、その中で仮想現実のゲームに浸っていると、そうした薬物の助けを借りて脳内の幸福物質(ドーパミン)などが最も効率良く分泌されるとするのである。そして両方の技術をどんどん洗練させていけば、肉体的に完全に無害なままで、カプセルの中で個人の短期的な幸福感が極大化されるようになるというわけである。

この場合、人々がずっとその快楽カプセルの中で過ごすようになれば、物理的なエネルギーも消費量も少ないので地球環境にかかる負担も最小限にできる。つまり環境問題に対する究極的な解決策だというわけである。

また、たとえ外の世界へ出れば経済的に関して格差問題がほとんど手の付けられないほどになっていても、国の予算によって無料でカプセル生活が保障されていれば、その中に留まっていたほうが本人としては幸せだということになるし、国も福祉予算をそれで安く一本化できる。

こうしてみると、環境問題も格差問題も解決されることになり、万々歳ではあるまいか?

こんなアホな話があるかという気もしますが、イスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリが、大ベストセラー書『ホモ・デウス 下: テクノロジーとサピエンスの未来』のなかで、非常に似たような予測をしています。

ハラリは、快楽カプセルに似たアイデアを、将来の人工知能(AI)が人間の仕事を奪ってしまい、大量の失業者が発生する行く末として描きます。

以下『ホモ・デウス 下: テクノロジーとサピエンスの未来』から抜粋します。

『やがてテクノロジーが途方もない豊かさをもたらし、そうした無用の大衆がたとえまったく努力をしなくても、おそらく食べ物や支援を受けられるようになるだろう』

『だが、彼らには何をやらせて満足させておけばいいのか?人は何かをする必要がある。することがないと、頭がおかしくなる。』

『彼らは一日中、何をすればいいのか?薬物とコンピューターゲームというのが一つの答えかもしれない』

(抜粋おわり)

快楽カプセルは極端かもしれませんが、現代社会においても、「楽をしたい、怠惰になりたい」という欲求を反映したエンターテインメントやサービスの種類が増えているように思えてなりません。

私はTVを基本的に観ないのでいくらでも悪口を言えるのですが、ソファでTVをながら見しながらボーっと時間を過ごすのは、まさに「快楽カプセル」に近い状態ではないでしょうか?

世の中のありとあらゆるものが便利になり、身体を動かさなくてもいつでもどこでも好きな食べ物をオーダーして食べて、好きな相手とチャットやビデオをやり、という現代人の生活は、もうすでに「快楽カプセル」に入る準備をしている状態なのかもしれません。

著者は本書の最後で、

経済世界に縮退を止められる力は存在するか?

という問いかけをしています。

著者の一つの答えは、囲碁の碁石の配置をヒントにした閉塞感からの打開というものです。


細かい説明は省きますが、上の図のBからAのような状況に変えることで、縮退しにくい社会になります。

「大きな物語」を用意して皆で共有することで、それを行ってきた。その際に「大きな物語」のテーマとして選ばれたのは、例えば宗教、国家への愛国心や郷土愛、あるいは歴史の物語や文明の進化に参加する感覚など、そのバリエーションはいろいろである

著者自身も、

大きな物語のどれをどんな形で採用すべきかは、ここでは到底本格的に論じる余裕はない

と認めていますが、そう簡単には縮退にブレーキをかけられるとは思えません。

本著は

一見絶望的に見えるこの難題にも一つの光明が見えてくる可能性が存在するのであり、その希望をもって本書の結論としたいと思う

と含みを持たせて締めくくっています。

3. 所感

以下は、本書(特に最終章の縮退問題)を読み終えた個人的な所感です。

終盤の「経済世界に縮退を止められる力は存在するか?」という著者の意見を読み進める前に、中断して、自分なりに縮退問題を考えてみました。

まず、頭に浮かんだのは、現在の金融機関や投資機関の格下げです。

(以下はあくまで私見です、念のため)

実質経済から乖離した金融機関(とその取引額)の肥大化は、明らかに是正されるべきであり、それは民間というより行政の責任、ひいては国際社会の政治の責任でしか解決できないでしょう。

最近、ソフトバンクグループが2021年3月期の決算で、純利益4.99兆円、国内企業で過去最大の純利益を達成したことがニュースになりました。

実体経済からの利益ではない投資利益がほとんどで、日本企業として過去最高の純利益を達成するというのは尋常ではないと感じました。

金融機関の本来の役目は、単なる経済活動の仲介者であるべきで、小さい存在で、本来の任務を果たせれば十分だと思います。

では、具体的にどのようにすれば金融機関(とその取引額)を小さくできるのでしょうか?

銀行の国営化?

規制の強化?

譲渡所得の税率を上げる?

債権の無効化?

IMFの権限強化?

。。。無い知恵を絞っても、答えはでませんね(当たり前か)

次に、人間の長期的願望(理想)が、短期的願望(欲望)を抑える(縮退を抑える)ためには、どのような仕組みが必要か考えてみました。

まず、始めに頭に浮かんだのは、「神の信仰」(宗教)でした。

私は、特定の宗教団体に所属しているわけではないし、特定の宗派に属しているわけでもありません。

しかし、(何度かブログにも書いていますが)実生活ではカトリックの信仰に基づいて生活をしています。

日本が宗教多元主義の国家から、特定の神を信仰するように社会が変革すれば、人間の長期的願望(理想)が、短期的願望(欲望)を抑えることに寄与するのではないかと考えてしまいます。

では、なぜ「神の信仰」が縮退を止められるのか?

それは、個人の経済活動の究極の目標が、自己の満足(短期的願望)から、神の国を築くという長期的願望に、つまり要素還元主義が成立するからです。

個々の活動が、全体の総和にならないということは、すでに指摘されている通り。

しかし、ひとたび人間の長期的願望(理想)が、神の国を築くという形になった途端、自己の満足(短期的願望)の総和が、全体に一致するのではないかと考えます。

個々人が神という太陽を中心に回っていれば、ニュートンの天体力学が通用するに違いないと。

個人の利潤を追求することも、欲望を追求することも、すべてが「神の信仰」という崇高な目的に叶った瞬間に、これまで成立しなかった要素還元主義が成立するのではないでしょうか?

こう考えたあと、本書を読み進めると、果たして、著者の「大きな物語」のテーマとして宗教という例示が見つかりました。

前に掲載したグラフでの①と②の高低差が重要ですが、「大きな物語」として「神の存在」ほど①に相応しい大きなテーマはないのでは、と思います。

宗教を「大きな物語」として、人類が向き合うようにできるかは、あまりにも壮大なテーマですが、少なくとも著者も同じような考えを持っていることを知り、自分の考えはそれほど的外れではなかったとホッとしました。


以上、いろいろ勝手な事ばかり書きましたが、我が身を振り返ってみると。。。

ショッピングは可能な限りAmazonなどのネットショッピングを利用しているし、洋服はユニクロ、日用品や食料品はローソン100均、もしくはマツモトキヨシと超大企業のサービスばかり利用しているので、経済活動の縮退に加担することばかりやっています。

一方、酒やたばこは一切やらないし、ギャンブルも無縁、TVは基本的に興味がないし、逆にトライアスロンのような持久系スポーツを趣味にしているので、快楽主義の人間ではないのは確か(なはず)です。

まあ、要は、自分自身は、ごく普通の一般的な市民ということですね。。。

最後は話が発散してしまいましたが、『現代経済学の直感的方法』は、文句なしにおススメの良書です。

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