映画『バイス』(2018年)を観ました。
『バイス』は、アメリカ史上最も権力を持った副大統領と言われ、9・11後のアメリカをイラク戦争へと導いたとされるディック・チェイニーを描いた社会派エンタテインメントドラマです(映画.comより)。
出典:映画.com
この映画は、近年稀に見る傑作です。。。久し振りに、自分の生涯ベスト映画リストに加えました。
チェイニーというとてつもない野心を抱いた政治家が、一元的執政府論という理屈を武器に、莫大な権限を持った副大統領に昇り詰めるまでのストーリーです。
終始コメディタッチで描かれているものの、ストーリーは実話なだけに、アメリカという国家の底力と怖ろしさを見せつけられます。
同時に、超大物政治家(それも存命中)を徹底的にこき下ろすことのできる米国映画界の懐の深さにも驚きました。
以下に、映画『バイス』に関連するトピックを書き記します [注意:ネタバレ満載の内容です]
1. 映画『バイス』
あらすじ(Wikiより引用):
クリスチャン・ベイルがジョージ・W・ブッシュ政権で副大統領を務めたディック・チェイニーを演じた実録政治ブラック・コメディ。9.11同時多発テロを受けてイラク戦争へと突入していったブッシュ政権の驚きの内幕を、チェイニーの知られざる実像とともに過激かつ皮肉いっぱいに描き出す。
共演はエイミー・アダムス、スティーヴ・カレル、サム・ロックウェル。監督は「マネー・ショート
華麗なる大逆転」のアダム・マッケイ。
しがない電気工に甘んじていた若きチェイニーは、婚約者のリンに叱咤されて政界を目指し、やがて下院議員ドナルド・ラムズフェルドのもとで政治のイロハを学び、次第に頭角を現わしていく。そしてついに、ジョージ・W・ブッシュ政権で副大統領の地位に就くチェイニーだったが...。
概説(Wikiより引用):
ディック・チェイニーはジョージ・W・ブッシュの下で副大統領を務め、心臓の持病を抱えながらも、「史上最強の副大統領」「影の大統領」と評されるほどの影響力を発揮した。チェイニーの影響は今日の国際秩序にも及んでいる。
その一方で、チェイニーは「史上最悪の副大統領」と指弾されることもあり、毀誉褒貶が著しい人物であると言える。本作はそんなチェイニーの実像を描き出す一つの試みである。
原題の「VICE」は、単独では「悪」「悪習」「悪徳」などの意味であるが、接頭語として「VICE」を用い、「vice-president(vice president、ヴァイスプレジデント)」とすると「副社長」「副理事長」および「副大統領」の意味となる。
予告編
監督:アダム・マッケイ
製作:ブラッド・ピット
出演:クリスチャン・ベール、エイミー・アダムス、サム・ロックウェル、タイラー・ペリーほか
第91回アカデミー賞では、主要部門を総ナメに近い8部門(作品賞、監督賞、脚本賞、編集賞、主演男優賞、助演男優賞、助演女優賞、メイクアップ&ヘアスタイリング賞)でノミネートされましたが、メイクアップ&ヘアスタイリング賞のみの受賞に留まりました。
ゴールデングローブ賞は6部門でノミネート、主演のクリスチャン・ベールは、主演男優賞(コメディ部門)を受賞しました。
Amazonのレビューは3.8です。
2. 映画の特徴
本作品をカテゴリー分類すると、「社会派ドラマ」か「コメディ」になると思います。
しかし、同じく政治の実話をテーマにした『JFK』『大統領の陰謀』『ニクソン』最近だと『フロント・ランナー』のようなシリアスなドラマではありません。
むしろ、マイケル・ムーア監督の『華氏119』『ボウリング・フォー・コロンバイン』にも似た、お笑いや下品なギャクで皮肉るようなコメディの色が強いです。
映画という娯楽は、(書籍や音楽と違い)映像という特殊なメディアを如何に駆使するかが命だと思うのですが、この作品には、ムダな映像やダラダラとした情景描写というものが極力排除されています。
2時間12分と長尺で、映像は次々とシーンが切り替わりますが、それぞれの映像には社会的なメッセージがこれでもかとばかりに込められています。
そういう意味で、登場人物が皆ソックリさんだとか、クリスチャン・ベールの役に徹した身体づくりとか、アカデミー賞「メイクアップ&ヘアスタイリング賞」を受賞したという話題は、作品に含まれたメッセージとは無関係です。
フィルマークスの採点は、『マルホランド・ドライブ』『ゴッドファーザー PART III』『遊星からの物体X』『コラテラル』『乱』に次ぐ、4.8/5.0のハイスコアを付けました。
この映画には、良くも悪くも世界のリーダーである米国の偉大さと諸悪の根源の要素がギッシリと詰められており、観る者に壮大な問題提起します。
3. 見どころ
チェイニー副大統領が、飲酒運転で前科持ちだったとか、名門イェール大学を成績不振で退学したという事実はまるで知らなかったので、そんな落ちこぼれが副大統領にまで昇りつめたという事実が衝撃的でした。
しかし、妻からの叱咤に一心発起、ワイオミング大学に編入学して政治学を専攻し、学士号を取得。1966年にワイオミング大学大学院政治学専攻修士課程を修了し、政治学修士号を取得した。更にウィスコンシン大学大学院博士課程に移った(Wikiより)。
その後は政界へ進出するきっかけを上手く利用して、フォード政権で史上最年少の34歳の若さでアメリカ合衆国大統領首席補佐官となったのです。
ここまでのキャリア形成だけでも驚愕しかありません。
政界へ進出後は、ラムズフェルド元国防長官との長い信頼関係を築いて、政権のトップに邁進することになります。
ちなみに、このラムズフェルド元国防長官も、凄まじいキャリアの持ち主です。
名門プリンストン大学で、レスリング部のキャプテンを務め、卒業後はアメリカ海軍でパイロット及び飛行教官を務めた。また全米海軍レスリングチャンピオンの経歴もこの時に得ている(Wikiより)。
映画では、ラムズフェルド元国防長官も、相当なアクの強い政治家として描かれています。
彼が部下に求めたのは3つだけ
これって、日本の古い大企業の上司と部下の関係と全くソックリではないでしょうか?
良く米国企業の上司と部下の関係は、日本よりもあっさりしているという話を聞きますが、それは大間違いです。
米国企業の社員の上司への忠実度や気の遣いようは、日本企業と変わらず非常に厳しいものです。
映画では、ニクソンとキッシンジャーが密談しているシーンをラムズフェルドがこう表現します。
これはベトナム戦争のことですが、政治判断が、遠く離れた東南アジアの異国の罪のない住民たちの生死をあっさりと決めてしまうという、実に怖ろしい現実が突き付けられます。
こんな政治判断ができる国は、(独裁政権の軍事国を除いて)アメリカ、ロシア、中国くらいのものでしょう。
本作は、基本的にはディック・チェイニーが如何に「ワルイ」(Vice)な副大統領であったかという点をこれでもかとばかりに暴露します。
若き日のチェイニーは、ラムズフェルドに、「理念はどこに?」と訊く場面があります。
ラムズフェルドはその質問を受けて、大笑いしながら、取り合う事もなくさっさと自室に戻ってしまいました。
このシーンは非常に重要だと思います。
なぜか?
それは、映画を通して伝わってくるメッセージは、チェイニーの暴政ともいえる政治手法は、実は、彼自身の強固な理念に基づいていたのではないかと思えるからです。
映画の終盤に、プレスインタビューの質問に対して、
「私は国民に尽くしてきた」
「国民を守るという役目を果たすことができて光栄だ」
と真顔で答える場面があります。
チェイニーは極めて独善的な性格で、手段を選ばない形で、自らの理念を具現化した政治家ではなかったか、と。
その手段を選ばない極端なケースが、一元的執政府論(unitary executive theory)という、副大統領の権限を、法も解釈を歪曲させて際限なく拡大させる解釈です。
チェイニーが、フォード政権で史上最年少の34歳の若さでアメリカ合衆国大統領首席補佐官となったことや、ジョージ・ブッシュ(父)政権では国防長官を歴任したこと、アメリカのハリバートン社のCEOという民間企業でのトップを務めていたこと(1995年~2000年)などから、大統領の単なる付属品でしかない副大統領という役職を目指す理由は何もありませんでした。
ハリバートンという会社について。
私はこのハリバートンという会社の存在を、イラク戦争の報道で知りました。
巨大な石油関連企業として、現地のプラント製造やパイプラインの建設など、大規模なプロジェクトを推進する会社ですが、従業員の多くは、湾岸地域の紛争地帯の現地で仕事をする機会も多く、アルカイダなどのテロリストの恰好の人質になってしまったのです。
記憶が正しければ、人質にされたり襲撃を受けたりと、多くの従業員や派遣社員が犠牲になったはずです。
当時、なぜあんな危険地帯にビジネスに行くのだろうかと不思議に思いましたが、それはイラク戦争で発生する莫大な油田の利権確保のためだったのですね。
そのハリバートンのCEOを務めたチェイニーは、副大統領へ立候補するために退職するのですが、退職金はなんと2600万ドル!
現場で命を賭けて仕事をしていた社員の何百倍という報酬を受け取るCEOという、まさにアメリカ格差社会のバイス(悪)の象徴です。
しかも、ハリバートンの莫大な利益は、不正受注など怪しい面だらけで、どう見てもチェイニーが主導したイラク戦争の裏の目的が油田確保という疑いは晴れようがありません。
話を戻します。
ニクソンがウォーターゲート事件で失脚し、フォード大統領の民主党政権が発足すると、チェイニーも職を失います。
映画では、これでおしまいとばかりにご丁寧にエンドロールまで出てきます(まだ映画は45分しか経過していません)。
それが、ジョージ・ブッシュ(息子)大統領候補から、副大統領を要請されたことで、チェイニーの政権への復活劇が始まるのです。
映画では、ブッシュ(息子)が、机に脚を載せてチェイニーと話をしていますが、如何にマナーの悪いアメリカ人でも、さすがにこれはジョーク、誇張(フェイク)だと思います。
これもアダム・マッケイ監督のジョークですね、今度は引っ掛かりません(笑)
ブッシュの「今は民間企業にいるのか?」というセリフからは、民間企業を見下した態度が滲み出ていますね。
たとえ大企業のハリバートンのCEOだろうが、アメリカという大国を動かす政治家に比べたら、資本家や実業家など卑しい身分と言わんばかり。
このウルトラ上流階級意識。。。もはや理解を超えました(笑)
ちなみに、一元的執政府論の解釈だと、「大統領は何をしても合法だ、大統領だから」となります。
司法やマスコミの抑制力も効かず、宇宙魔人だ、というわけです。
アメリカの利益、アメリカ国民の利益が常に最優先されるという理屈。疑わしきはすべて攻撃して抹殺すべきという姿勢は、9.11の同時多発テロ事件でも、怪しい旅客機はすべて撃ち落とせという自主判断(UNODIR - unless otherwise directed)とチェイニーは言い切ります。
ライス国務長官は、チェイニーに懐疑的だったことを匂わせるシーンも挿入されています。
そして。。。一元的執政府論をかざして、アメリカ政府は、根拠のないイラク戦争へ突入するのでした。
アメリカの軍事力は圧倒的です。地上の兵士を遠隔からピンポイント爆撃して殲滅させる(おそらく実写)シーンは戦慄でしかありません。
次々と爆撃の犠牲になる味方をみて、左上の兵士は恐怖のあまり座り込んでしまっているのが確認できます。
アメリカの軍隊について。
アメリカの軍事力が世界一であるのは、軍事費が膨大であるとか、最新兵器の技術力というだけではありません。
アメリカの軍隊のトップに立つエリートたちは、ウエストポイント陸軍士官学校などを優秀な成績で卒業している強者揃いなのです。
それに比べて、日本の自衛隊のトップはどうでしょうか?
太平洋戦争の敗戦を受けて、かつての上級将校教育機関であった海軍大学校・陸軍大学校は廃止されました。
現在は、防衛大学校と、海上自衛隊幹部学校が、幹部候補生を養成する教育機関ですが、果たしてどれほどのレベルなのでしょうか?
「自衛隊幹部が異様な低学歴集団である理由」という記事によると、自衛隊幹部の51%が高卒以下であり、大卒率ほぼ100%のキャリアの国家公務員や米軍の現役幹部の83.8%(15年時)と比べると異常な低さだとあります。
この記事の信憑性は不明ですし、マスメディアとしてのプレジデント社は私はあまり信用していないのですが、すべてが誇張のガセネタとも考えにくいです。
もちろん、世の中頭の良さが全てではありませんが、国務の重責を担う立場の人間が、高度な教育を受ける意味というのは、過小評価できないと思います。
確かなのは、自衛権のみを行使する自衛隊には、米国のような高度な戦略策定や遂行能力は求められていないということです。
政治の世界では、憲法改正だとかいろいろ騒がれていますが、現在の人事的な仕組みや人材育成がなければ、いくら自衛権の行使を議論しても意味がないですね。。。
話を映画に戻します。
映画の視点は、米国の一般市民の無教養や、好戦的な性格にも及びます。
ラウンドテーブルで各自が意見をぶつけ合うといういかにもアメリカらしいディベートのシーンでは、映画はアメリカ市民までバカ扱いしていますね。
確かこのシーンの続きでは、意見が衝突した男性二人が殴り合いに発展して、アメリカ国民のアホさ加減を増幅させています。
アダム・マッケイ監督は、この作品をコメディに仕立てただけでなく、チェイニーのような政治家が一方的に悪と決めつけるのではなく、アメリカ国民に蔓延している「喧嘩っ早さ」「優越感」「傲慢」をも痛烈に批判しています。
そのため、映画が単なる物事の片方の側面だけでなく、両面から説得力のある内容に仕上がっています。
また、チェイニーに対しても、単に批判するだけでなく、彼の家庭思いという知られざる一面などにもスポットを当てています。
チェイニーが妻や二人の娘たちの家族思いだったことは、おそらく事実でしょう。
現に、映画のとおり、次女が同性愛を告白したときに、その姿勢を(政党のポリシーに反して)支持しています(むしろ妻のリンのほうが同性愛には反対の姿勢を取っています)。
妻との固い絆についても、ネブラスカの古い価値観を共有していたものと想像できます。
現に、チェイニーには離婚歴もなく、女性問題の噂もなかったようです。
政界では容赦なく強権を振るった威圧者が、家庭では良き夫であり父である一面も持っていた。。。
アメリカ映画に深みやリアリティがあるのは、こういうところがあるからです。
結局、チェイニーはイラク戦争の大量破壊兵器が見つからなかったことなどの責任を取って、副大統領を辞任する圧力が高まります。
映画のラストでは、チェイニーらが仕掛けたイラク戦争での犠牲がデータとともに示されます。
ベトナム戦争での米兵の死者58,220人と比較すると、約8%というところでしょうか。
米兵の自殺率と米国の一般市民の自殺率はほぼ同じとのことです。
ちなみに日本の自殺率は10万人に約20人で、世界で10番目に多い数字(先進国では最多)。
イラクの人口2350万人(2000年)のうち60万人以上ということは、全国民の2.5%もの人が犠牲になったという計算です。
ちなみに、太平洋戦争での日本の民間人犠牲者は、約80万人(軍人や軍属を含めると310万人)と言われていますが、これは当時の人口7100万人(1940年)の1.1%です。
こうして比較すると、イラク戦争が如何に大量殺戮の戦争だったか良くわかります。
イラク戦争の大義名分であったアルカイダとフセイン政権には繋がりがなかったこと、大量破壊兵器が見つからなかったこと、フセイン政権後にイスラム国が暗躍したことなどを踏まえると、間違った戦争であったことは明らかです。
私は、かつてのカンボジアのポルポト政権の大虐殺は、アメリカのベトナム空爆が間接的な原因ではなかったかと考えています。
イラク戦争での国民大虐殺が、その後のイスラム国家の誕生の間接的な原因となったのでああれば、アメリカのイラク戦争は、かつてのベトナム戦争と同じ負の遺産を生み出したことになります。
この映画を観終わって、自分自身、目先のことばかりに囚われずに、生活に直結しないけれど、国際政治の理解をもっと深めたほうが良いと反省しました。
同時に、アメリカの底力と怖ろしさ、現代社会の悪(バイス)の病原の申告さと、人類のサガというか、生存繁栄のために避けて通れない理不尽さという、なんとも言えない悲しさを感じました。
以上、勝手気ままに書き殴りましたが、自分自身、理解できていないことが多く、もしかしたら間違った内容や認識もあるかと思います。
こちらの投稿を見ると、ネットでの反応も賛否両論で、つまらないという意見も多いようですね。
しかし、私のとってこの映画は異色の傑作としか言いようがありません。スゴイ映画に巡り合ってしまったものです。
コメント