[目に見えないゴリラ] 『錯覚の科学』(チャプリス/シモンズ)が解き明かす思い込みと錯覚の世界

  

『錯覚の科学』(2011)を読みました。



ハーバード大学医学部の二人の心理学者による一般人向けの教養書です。原題の『The Invisible Gorilla(目に見えないゴリラ)』というのは、あるユニークな心理学実験(後ほど紹介します)に基づいています。


以下、本著の紹介文からの一部引用です。


・サブリミナル効果などというものは存在しない

・いくらモーツァルトを聴いても頭は良くならない

・レイプ被害者はなぜ別人を監獄送りにしたのか?

・脳トレを続けてもボケは防止できない


(引用おわり)


著者が指摘する思い込みと錯覚の世界は、すべて実験によって実証された内容なので、説得力があります。


自分には自分が良くわかっていると思い込んでいましたが、いやはや、この本を読むと如何にその考えが誤りであるのか、直感的な思い込みがどれほど誤っているのか、痛感させられました。


『人間 この信じやすきもの』( T・ギロビッチ)という一般向けの心理学書と併せて読むと、人間の直感というのが如何にいい加減なものであるか思い知らされます。


[確率論的な科学が誤信を防ぐ] 『人間 この信じやすきもの』( T・ギロビッチ) - 誤信を持たないための処方箋


以下に本著の内容の紹介と、個人的な所感をまとめました(太字は本文より引用)。

1. 錯覚の科学

『錯覚の科学』(2011年)は、ハーバード大学教授のクリストファー・チャブリスとダニエル・シモンズという二人の心理学者共著の社会心理学に関するロングセラー本です。


2017年本屋大賞 発掘部門「超発掘本! 」に選出されました。

以下はAmazonの商品説明からの抜粋です。

「えひめ丸」を沈没させた潜水艦の艦長は、なぜ“見た”はずの船を見落したのか。ヒラリーはなぜありもしない戦場体験を語ったのか。―日常の錯覚が引き起す、記憶のウソや認知の歪みをハーバードの俊才が科学実験で徹底検証。サブリミナル効果、モーツァルト効果の陥穽まで暴いた脳科学の通説を覆す衝撃の書!

(抜粋おわり)

まずは、以下のバスケットボールのビデオ(ほんの45秒くらいの短いものです)を是非ともご覧ください。

ビデオのなかで、白シャツの選手がパスをする回数を是非数えてみてください(黒シャツの選手のパスは無視する)。

パスの回数を数えるビデオ

白シャツの選手がパスをする回数が正確に数えられたでしょうか?

実は、白シャツの選手がパスする回数を正確に数える能力を測ることが、このビデオの目的ではありません(正解は15回)。

パスを数えているときに、何か変わったものに気付きましたか?

この実験は、ウルリック・ナイサーが1970年代に行った、目の注意力と認識に関する画期的な実験をベースにしています(この実験で、二人は2004年イグノーベル賞を受賞しています)。

ビデオの途中で、ゴリラの着ぐるみを着た女子学生が登場し、選手の間に入り込み、カメラのほうに向かって胸を叩き、そのまま立ち去っている(その間およそ9秒)のです!

実験の参加者にパスの回数を訊ねたあと、なにか変わったものに気付いたかという質問に、半数の参加者がゴリラに気付きませんでした。

この見落としは、予期しないものに対する注意力の欠如から起きる。

そこで科学的には”非注意による盲目状態”と呼ばれている。

興味深いのは、人がこんな明白なことでさえ見落としをするという事実だけでなく、自分の見落としを知った時の、人々の驚愕ぶりでした。

自分の注意力についてどの程度自信があるか、アンケート形式でアメリカの代表的な成人の回答を集めた。結果をみると、75%の人が、たとえ別のことに集中していても自分は予期せぬできごとに気付くと答えている。

原題の『The Invisible Gorilla(目に見えないゴリラ)』というのは、まさにこのことを指しているのでした。

自分のことは自分が一番良くわかっているという思い込みは、間違いのものであると同時に、危険でもある。

携帯電話を使いながら車を運転しても、自分は道路に十分注意できると思う - そんなとき、私たちは錯覚に動かされている。

リーダーを選ぶとき、候補者の中でいちばん自信ありげな人物を選ぶのも、錯覚の影響である。

新しいプロジェクトで、完成予定期日に確信をもつのは、錯覚のせいかもしれない。

錯覚が原因で、偽証や冤罪など、社会生活で致命的な損害を受けてしまうこともあります。

興味深いのは、ゴリラのビデオの実験では、「気付く人」と「見落とす人」の違いに、何の違い(性別、IQ、パスの回数の正答率)や、統計的な有意性が見いだせなかったという事実です。

唯一の違いは、ベテランのバスケットボール選手は、ゴリラに気付く割合が高かったということです(一方、同じパスを多用するハンドボールの選手では割合が低かった)。

つまり、予想外のものに気付く助けになるのは、専門領域の知識くらいしかない、ということですね。

2. 交通事故

先ほどのゴリラの実験で、ゴリラを黒い着ぐるみから、赤い着ぐるみにすれば、誰でも気が付くと思うかもしれません。

しかし、実験の結果、たとえ色を赤に変えても、被験者の30%が見落としました(正確には、赤いゴリラの着ぐるみが調達できなかったので、赤い十字が突然画面を横切るようにしています)。

これは何を意味するのか?

派手なウェアでも事故は防げない

派手なウェアは、バイクや自転車、歩行者など、自動車を運転しているドライバーから目立ちますが、見落とされやすいことに変わりはありません。

なぜなら、それは、小さくて目立ちにくいからではなく、見落とされやすいのは、「車と違うもの」だからです。

カリフォルニアでの調査結果によると、

歩行者と自転車が事故に遭う件数は、この手段による移動が最も多い都市部でもっとも少なく、歩行者や自転車が少ない地域でもっとも多かった

つまり、ドライバーが自転車や歩行者を見慣れているかどうかのほうが、派手なウェアや自転車や歩行者の総数よりもはるかに重要なファクターなのです。

黒いゴリラであろうが、赤いゴリラであろうが、パスを回すという行動のなかで、予期しないものが登場すると、人間はそれを認知することが(自分が思っている以上に)難しいということです。

3. 映画のシーンでの連続性のミス

映画を観ていて、明らかに編集ミスだという例を挙げることができますか?

例えば、特定のシーンの前後で、登場人物の服装が瞬間に変わってしまっているとか、ローマ帝国時代の話なのに奴隷が腕時計をしているとか、そういうミスです。

ご存知のように、映画は、ひとつのつながりのシークエンスを最初から最後まで通して撮影することは滅多にありません。

それは、俳優のスケジュールや、撮影現場の都合や、天候なでさまざまな要因で、撮影は細かなカットに分けて行われるからです(2020年に公開された『1917 命をかけた伝令』など、全編ワンカット創出された作品は例外)。

『1917 命をかけた伝令』ワンカットを体感せよ!3分半超えの本編映像

『ゴッドファーザー』で、ソニー・コルレオーネの車が料金所で一斉の銃弾を浴びるが、数秒後には、フロントガラスが奇跡のように元通りになっている。

『プリティ・ウーマン』で、ジュリア・ロバーツがリチャード・ギアとホテルの部屋で食事をとっている。彼女はクロワッサンをつまみあげるが、パンケーキにかぶりつく。

好奇心の強いマニアのために、そうしたミスを集めた本やウェブサイトがいくつも作られている(『ゴッドファーザー』では連続性のミスが42か所指摘されている)。

10 Biggest Movie Mistakes You Missed

上のYouTubeは、そのような有名映画の編集ミスを集めたものですが、ネットで "famous film flubs" と入力すると、その手のサイトがたくさん出てきます。

しかし、そのような連続性のミスは、ほとんどの人が気付かないと予想されるため、修正されずに公開され、実際ほとんどの人が気付きません。

これは無理のないことです。

なぜならば、人間は、目に入るすべての情報をいちいちチェックするような、エネルギーの無駄遣いをしないからです。そのような脳の仕組みを持っていたら、現在のような進化した思考能力を身につけることができなかったでしょう。

瞬間ごとに目が捉えたものを細かくチェックし、入れ替わったものはないか確認するのは、まさに脳の無駄遣いでしかない。

問題は、ミスに気付かないことではなく、記憶の働きに対する人々の錯覚、つまり、「人は目の前のすべてのついて正確に記憶し、前後矛盾があればすぐに気づくと考えている」点にあります。

この錯覚が、事故現場での証言の食い違いを発生させたり、自分の考え方が変わると記憶も変わってしまったりします。

この錯覚が発展すると、何かの証言や、自分の過去の出来事を、「自分が嘘をついているという自覚なしで」捏造してしまうことにもつながります。

以下は余談ですが、デヴィッド・リンチ監督の『マルホランド・ドライブ』では、このような前後での矛盾したシーンが意図的に次から次へと現れます。

しかし、ほとんどの人はその矛盾に気付きません(私もそうでした)。

実は、『マルホランド・ドライブ』は、ある女優の夢をそのまま映像化している作品(という解釈が定着している)ので、すべてのシーンは夢のなかの出来事なので、このような矛盾が(編集作業でのミスではなく)堂々とまかり通っているわけです。

以下のYouTubeはその『マルホランド・ドライブ』から、Winkiesというレストランでのシーンですが、(3分12秒あたりを)良く注意して見ると、矛盾だらけです。

Mullholand Drive - Diner Scene

いちばんわかりやすいのは、男が席を立つ直前には、テーブルには食べかけの朝食が残っているのですが、席を立った直後には、すべて片付けられており、新しいコーヒーカップと皿がセットされているのがわかります。

4. 自信の錯覚

またまた映画の話で恐縮ですが、スピルバーグ監督の『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』では、レオナルド・ディカプリオ演じる主人公のフランク・アバネイル(実在人物)は、高校生のころから詐欺師としての頭角を現します。

『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』【予告編】

パンナムのパイロットになりすまして操縦席に入れてもらって無銭旅行を繰り返したり、高校教師や病院の医師にまでなりすまして大金をだまし取るのですが、彼があまりに自信満々に詐欺をするので、トム・ハンクスが演じるベテランの刑事まで何度も騙されてしまいます。

自信ある態度にはだまされやすい

これは誰でも異論のない通説ですが、では、診断の前に医学書を開いて調べる医師と、そうでない医師とでは、どちらを信用するでしょうか?

私たちは自信ありげな医師を有能だと思い、自信なさげな医師の診断に不信感を抱きがちだ。

私たちは相手から示された自信で、その専門的な能力、記憶の正しさ、専門知識の豊かさを判断する

これは、私たちの生活のあらゆる場面に共通の問題です。

政治家の選挙運動、企業のトップ経営者のコメント、メンバーのなかでのリーダー選び、などなど。。。

ちなみに、グループリーダーは自信のある人が選ばれるのでしょうか?

実際の実験でグループリーダーに選ばれた人は、ほかのメンバーより能力が高いわけではなかった。

彼らがリーダーに選ばれたのは能力のせいではなく、性格的な力だった。支配的な性格の人のほうがリーダーになる傾向が強かった。

ではなぜ支配的な人は、能力がさほどなくてもリーダーになれるのでしょうか?

答えは、あきれるほど単純だった。彼らのほうが先に発言したのだ。

実験の数学問題の94%で、グループが出した最終回答は誰かが最初に行った答えだった。そして、支配性の高い人は、一番先に強い調子で話す傾向がある。

本著が巷の多くの啓蒙書と違って説得力があるのは、著者の個人的な見解や単なる自信から、リーダーシップを語るのではなく、実験の結果に裏付けされているからです。

迷いを表に出す医師は、表に出さない医師よりも自分を良く知っていると思われる

だが、ふつうの人は、専門家の実力を見抜く手がかりを知らない

自己啓発書では、自信をもつことが大切だと力説されている。しかし、誰もが自信をもって行動すると、すでに信号として限りのある自信の価値がさらに損なわれ、自信の錯覚がより危険なものとなる。

5. そのほかの錯覚の実例

本著には、人間の錯覚に関しての実例が、上に紹介したものを含めて豊富に挙げられています。

サブリミナル効果などというものは存在しない、いくらモーツァルトを聴いても頭は良くならない、などなど。。。

すべてを紹介することができないので、最後に、個人的に印象に残った3つの実例を紹介します。

5.1 専門用語に惑わせられるな

オーディオマニアもオーディオケーブルの製造元も、ステレオ装置の機器同士をつなぐケーブルの質の高さを美しくうたいあげる。

だが、少なくともある非公式なブラインドテストの結果では、オーディオマニアが高級品のケーブルと、針金のハンガーを使ったスピーカーケーブルの違いを聴き分けられなかった。

非公式なブラインドテストの結果というのは、モンスター・ケーブルと針金ハンガーの比較試聴を行ったこちらのサイトのことです。


私自身、元オーディオマニアなので、このトピックには興味を惹かれました。

記事によると、ブラインドテストは5人のオーディオマニアを集めて実験されたようですが、(この手の話では常ですが)いろいろな環境要因などを考えると、正式な実験結果として学会報告できるようなレベルではないので、いくらでも反論の余地はあるかと思います。

かといって、厳格なブラインドテストで、高級ケーブルと針金ハンガーの音の違いを明確に証明できたケースも存在しないので、「高級ケーブルのほうが針金ハンガーより音が良い」と証明されているわけでもありません。

そしてデノンは、1.5mのオーディオ装置用イーサーネットケーブルを500ドルで発売した。アマゾンを見ると、このケーブルには次のような説明が書かれている。

デノンリンクのことですね。こちらも槍玉にあげられています。

Amazonには出品されていないようですが、「DENON LINK」用ケーブル「AK-DL1」の発売当時の記事がみつかりました(こちらです)。

2006年発売で、標準価格は52,500円。


オーディオ沼から足を洗った身としては、こんな娯楽享楽の趣味に目くじら立てなくても。。。と思いますが、著者は、誇大宣伝がさらに滑稽になる例として紹介しています。

5.2 戦争も会社経営も、原因の錯覚を逃れられない

ベストセラーのビジネス書によく顔を出すのが、話の前後の流れに都合のいい要素だけを選んで、同じ結果をもたらす別の要素を無視する傾向だ。

たとえば、『エクセレント・カンパニー』から『ビジョナリー・カンパニー2/飛躍の法則』まで、どの本も成功した会社だけを取り上げて、彼らの行動を分析するという誤りを犯している。

ほかの会社が同じことをして失敗したかどうかについては、検証していないのだ。

今度は、ビジネス作家として著名なジム・コリンズの著書が槍玉にあげられています。

『ビジョナリー・カンパニー2/飛躍の法則』は、20年くらい昔に読んで、内容に感銘を受けたビジネス書です。


あまりに素晴らしい内容だったので、私は英語の原書(原題 "Good to Great")まで買ってしまい、今でも手元にあります(笑)


愛読書をストレートに批判されてしまったのですが、確かに「ほかの会社が同じことをして失敗したかどうかについては、検証していない」のは事実です。

ケースごとに、成功した会社と失敗した会社をそれぞれ対比させた分析に留まっているのです。

そして、出版後20年以上経って、当時は偉大な会社とされた企業がその後低迷したりしています。

典型的な例が、サブプライムローンの問題で破綻し連邦政府の傘下になったファニーメイです。本著では偉大な会社としてその好業績が継続する理由を解説しています。

また、偉大な会社と取り上げられたサーキット・シティー(家電量販店)も、2008年のサブプライムローン破綻が経営を直撃。同年11月10日、連邦倒産法第11章の適用を申請し、事実上破綻しています。

因果関係のトリックが偉大な企業として今度も継続・繁栄を続けるという錯覚を生み出してしまったわけです。

5.3 脳トレをしてもボケは防げない

ボケ防止のために任天堂のゲームをやったり、数独やクロスワードパズルを解いたり、あるいは麻雀を続けている人は多いと思います。


しかし、残念ながら、ここ10年の臨床実験の結果では、鍛えられるのは、自分が挑戦した課題に関わる能力のみで、脳を鍛える結果に繋がる効果は皆無ということが証明されています。

そのソフト特有の問題を解く能力は高まるが、新たに身に着けた能力をほかの問題に応用できるわけではない

ではボケ防止にはどうすればよいのか?

任天堂宣伝部は、認知能力を鍛えることが、脳機能の改善にとって必要だと訴えている。だが実際には、有酸素運動のような、肉体を使うエクササイズのほうが、脳にははるかに効果があるのだ

なんと、脳の活性化に何の関係もないと思われるジョギングや水泳といった有酸素運動が、実は脳の活性化にもっとも効果があるというのです。


意外に思えるかもしれないが、あなたの知的能力を長くたもつ最良の方法は、脳を直接鍛える方法より、体を鍛える方法(特に有酸素運動)のほうが効果がある

おおお!これはまさに私の趣味である持久性スポーツのことではないですか!(笑)

エクササイズは激しいものである必要はない。トライアスロンをやり遂げる必要はないのだ。週に数回、適度な速さで30分以上歩くだけでいい

あ。。。トライアスロンやる必要はないのですね、まあそうですよね(笑)


以上、乱筆ぎみになってしまいましたが、『錯覚の科学』の書評でした。

6. 『人間 この信じやすきもの』(1993)と併せて

以前のブログ記事で紹介した『人間 この信じやすきもの』と、本著『錯覚の科学』を2冊合わせて読むことで、人間の錯覚や誤信がいかにして生まれるのか、そして、どうすれば錯覚や誤信を防ぐことができるのか、体系的に理解することができます。



(2024年11月17日 追記)
NHKの『フロンティア 世界は錯覚で出来ている』という科学ドキュメンタリー番組を観ました。


立体錯視の研究をしている杉原教授


ボールが坂をかけ登る?


反対から見るとこの通り(中央の支柱が実は斜め)


円筒を鏡に映してみるとまさかの角柱


脳はいとも簡単に騙されやすい


市販品もあります


脳が直角を見つけようとするのは、日常生活に直角が溢れているから


ハートやダイヤもこのとおり


脳の推論と真実は異なる


左右の円の濃度の差も


実は全く同じ


脳は2次元からの視覚情報だけを頼りに効率的に処理をしている反面、錯覚を起こしやすい

[確率論的な科学が誤信を防ぐ] 『人間 この信じやすきもの』( T・ギロビッチ) - 誤信を持たないための処方箋

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