アップルの音楽配信サービスApple
Musicは、2021年6月から楽曲7500万曲以上のロスレスオーディオを、追加費用なしで配信を始めました。
楽曲によってはサンプルレートが48kHz以上、最大192kHz/24bitまでのハイレゾ楽曲も用意され、Apple
Musicのライブラリがより高音質で楽しめるようになりました。
ロスレスオーディオで先行していたAmazon Music
HDも、2021年6月9日から、音楽聴き放題サービス「Amazon Music
Unlimited」で、有料オプションだったハイレゾストリーミング「Amazon Music
HD」を無料にしたと発表しています。
また、ストリーミング配信最大手のSpotifyも、2021年2月にロスレスオーディオの音楽ストリーミングサービス「Spotify
HiFi」を2021年後半に提供開始すると発表しています。
このように、今年に入って、業界最大手3社がいずれもロスレス・オーディオで盛り上がっていますね。
実は、マイクロソフトのウィンドウズメディアでも、かつてロスレスオーディオの配信がされていたことをご存知でしょうか?
ウィンドウズメディアオーディオ(Windows Media Audio,
略してWMA)は、今でもパソコンのWindowsには標準搭載されている機能なので、名前を知っているユーザーは多いと思います。
遡ること15年ほど前、そのWMAでも、当時は画期的であったロスレスオーディオの音楽配信サービスが提供されていた時期があり、私もそのユーザーのひとりでした。
WMAはマイクロソフトの影響力もあって一時は広く普及しましたが、その後、Appleの台頭やFLACの普及、ハイレゾオーディオの人気などに押されて、今ではすっかりマイナーな存在になってしまいました。
以下に、当時のマイクロソフトのWMAロスレスの状況をまとめてみました。
1. ロスレスオーディオとは
ロスレスオーディオとは、その名前のとおり、デジタル信号にロスのない音楽フォーマットのことを指します。
その説明だけでは良くわかりませんね。。。
現在、音楽配信サービスで採用されているMP3やAACに代表されるファイルフォーマットは、配信の帯域を効率良く活用するために、元のデジタルデータ(CDの音源など)を圧縮しています。
このような場合、その楽曲データは、非可逆圧縮(圧縮前の状態に復元不可能な圧縮方法)により、CDの約11分の1のサイズに圧縮されます。
しかし、この方法では、人間の耳に「聞こえにくい」小さな音や「聞こえにくい」周波数の音が消されていまい、実際に聴く際には、圧縮前の元の楽曲データと異なって聞こえてしまうことがあります。
要は、圧縮率が高ければ高いほど、元のデータの情報量は削減されてしまい、結果的には「悪い音」に加工されてしまっているのです。
ロスレスオーディオ(Lossless
Audio)とは、この問題を解決するために開発された、楽曲データの可逆圧縮方式です。
この方式で圧縮された楽曲データは、元のデータの状態で復元できるため、音源を忠実に再現することができ、高音質で聴くことができます。
FLACというMP3と並んで普及の進んでいるファイルフォーマットも、基本的には非可逆圧縮なので、再生時の情報は元の楽曲データとは異なるものになっています(FLAC
Lossless Uncompressedは例外)。
Appleも、以前よりALAC(Apple Lossless Audio
Codec)という独自フォーマットをサポートしていますが、iTunesでCDをリッピングするときのオプションで選択できる以外は、Apple
Musicなどの音楽配信サービスではサポートされていませんでした。
もうひとつ、WAVという標準的な音楽用のファイルフォーマットがありますが、こちらはデータの損失がないという意味ではロスレスなのですが、ロスレスオーディオとは違い、元のデータを圧縮せずにファイル化したものです。
MP3, AAC, FLAC,
WAV以外にも、デジタルオーディオ用のファイルフォーマットは様々な種類のものが普及しています。
2. 「ハイレゾ」と「ロスレス」はどう違う?
デジタル音楽に詳しい方なら別ですが、一般にはこの質問に正しく回答できる人は少ないのではと思います。
硬い表現で言ってしまえば、
「ハイレゾ」= 従来のCDクオリティ(サンプリングレートが44.1kHzで、量子化ビット数が16bit)を超えた音源、例としては、48kHz/16bitや、96kHz/24bit、192kHz/24bitなど。圧縮か非圧縮かは無関係(DVDオーディオのMLPなど、圧縮されたハイレゾというものもあります)
「ロスレス」= 可逆圧縮フォーマットの総称。元の音源のクオリティはCDクオリティが多いが、ハイレゾ音源のロスレスというものも存在します。一方、WAVやDSDなど、圧縮されていない音源はロスレスとは呼びません。
という感じでしょうか。
まあ非常に厳密には、SACDにも使われているDSD(ファイル拡張子は.dsfや.dffなど)も、SACDに可逆圧縮で記録されているので、再生時にそれを元に戻しているのでロスレスオーディオに定義されてしまうのかもしれませんが。。。
ちなみに、「ハイレゾ」も「ロスレス」も、特定のファイルフォーマットには依存しません。
音楽配信サービスでの「ロスレスオーディオ」と言えば、元の音源のクオリティがCDクオリティまたは、ハイレゾの96kHz/24bitクオリティのどちらかを指すものと理解しておけばだいたい合っていると思います。
ちなみに、「ハイレゾ」というのは、国内の音楽業界のマーケティング向けに、日本で造作された用語で、欧米などの海外ではほぼ使われていない用語です。
3. マイクロソフトのウィンドウズメディアオーディオ(WMA)
パソコンのWindowsでお馴染みのマイクロソフトは、ウィンドウズメディアオーディオ(Windows
Media Audio,
略してWMA)という独自の音楽ファイルシステムを開発し、Windowsにプレーヤー(Windows
Media Player)を標準搭載することによって普及を進めてきました。
Windows Mediaのロゴ
WMAの歴史は古く、AppleがiTunesでiPod向けの音楽配信サービスを国内で開始したのが2005年頃ですが、WMAは1999年にver1.0がリリースされています。
Windows
Media音楽配信サービスは、国内では2005年にオンキヨーがe-onkyoを開始、2006年にはレーベルゲートがmora
winというサービスを開始しました(mora winは2012年にサービス終了)。
WMAは、パソコンだけでなく、カーナビやモバイル機器など、デジタル家電製品にも幅広く対応したのですが、AppleのiTunesの普及やMP3,
AACといったファイルフォーマットの普及に伴い、次第に姿を消していきました。
4. ウィンドウズメディアオーディオ・ロスレス(WMA Lossless)
ウィンドウズメディアオーディオ・ロスレス(WMA
Lossless)とは、WMAの拡張版として2003年にリリースされたマイクロソフト版のロスレスオーディオです。
2003年は、Windows Vistaがリリースされた時期で、WMA
LosslessはVistaに標準搭載されました。
今でも、Windows Media Playerの設定画面には、Windows Media
オーディオ・ロスレス(WMA Lossless)が選択肢のひとつとして表示されます。
Windows Media Playerの設定画面
実は、このWMA
Losslessは、オンキヨーの音楽配信サービスe-onkyoの当初には標準サポートされていました。
また、米国でも、WMA
Losslessの音楽配信サービスとして、新興ベンチャー企業のMusicGiantsという会社が2005年からサービスを提供していました。
MusicGiants
2005年当時は、AppleのiTunesサービスが日本で開始されたばかりで、配信されていた楽曲もAAC
128kbpsという圧縮フォーマットで、CDの約11分の1のサイズに圧縮された明らかに音質が悪いものでした。
それでも、音質より音楽配信の利便性のほうが市場に受け入れられ、音楽再生プレーヤーのiPodがウォークマンを駆逐して市場を制覇し、その後のiPadやiPhoneに繋がったのです。
マイクロソフトのロスレスオーディオであるWMA
Losslessは、今から15年以上も前に、AppleやAmazonなどよりも遥かに先行したロスレスオーディオ技術とサービスを展開していたのです。
5. マイクロソフトのロスレスキャンペーン
国内では、2007年ごろからPCオーディオと呼ばれる新しいデジタル音楽の流れが生まれました。
従来は、音楽を聴くのはCDプレーヤーやウォークマンに代表されるデジタル家電機器が中心だったのですが、PCオーディオでは、WindowsやMac、Linuxといったパソコン機器から音楽を再生させる新しい試みでした。
今ではパソコンで音楽を聴くスタイルはすっかり当たり前になりましたが、当時は、ノイズだらけで操作も難しいパソコンをチューニングして、忠実なデジタル音楽再生を実現するのは至難の業でした。
その2007年に、マイクロソフトはロスレスオーディオであるWMA
Losslessのキャンペーンを行い、ロスレスオーディオの普及に努めていたことはあまり知られていません。
ロスレスオーディオの高音質という特性を、AppleのiTunesに対抗して、キャンペーンを行ったのです。
A&Vフェスタ
当時はWMA
Losslessを再生できるデジタル家電機器は、東芝のモバイル音楽プレーヤーGigaBeatなどごく一部に限られていました。
東芝のGigaBeatポータブルプレーヤー
オンキヨーの展開するe-onkyoでのWMA
Lossless配信も、当時はストリーミング配信ではなく、ダウンロード配信のみだったため、音楽の再生はWindows
PCが必須という制約もあり、キャンペーン効果は限定的だったようです。
もちろん、2007年の当時は、モバイル通信の帯域も、現在の4Gや5Gのような広帯域とは比較にならないほど狭いものだったので、ロスレスオーディオのストリーミング配信は無理でした。
結局、ロスレス音楽配信は定着せず、e-onkyoはWMAロスレスからFLAC配信へ切り替えしてしまい、米国のMusicGiantsも倒産してしまいました。
やがて、マイクロソフトは、自社ブランドのモバイルプレーヤーZune(ズーン、日本未発売)と音楽配信サービスZune
Marketplaceをリリースして、AppleのiPod/iTunesに対抗しようとしましたが、その試みも失敗に終わり、2015年にサービスを終了します。
マイクロソフトのモバイルプレーヤーZune
ちなみに、このZune音楽配信サービスでは、WMA
Losslessではなく、通常のWMAでした。
マイクロソフトはその後、PDAや携帯電話といったモバイルデバイス向けのOSであるWindows
Mobileの事業もことごとく失敗に終わり、コンシューマ向けデジタル家電機器の市場から事実上撤退してし現在に至ります。
6. ロスレスオーディオの将来
今回、業界大手3社が一斉にロスレスオーディオを推進していますが、果たしてどうなるでしょうか?
15年前にマイクロソフトがロスレスオーディオを推進していた時と現在では、市場環境が大きく変わっています。
人々はもはやCDを買わなくなり、逆にストリーミングの音楽配信サービスの普及も進みました。背景には、モバイルインターネット環境の技術的な発展と、サブスクリプションサービスによる手軽なデジタル音楽のライフスタイルへの変化があります。
一方、良い音質への追求というのは時代を超えて変わらないものであるのも確かです。
2021年は、ロスレスオーディオ元年となりそうな勢いですが、果たしてロスレスオーディオは今度こそ成功するでしょうか??
個人的には、失敗に終わるのではと思います。
というのも、15年前と違い、現在の通常のストリーミング音楽配信サービスの音質が格段に向上したからです。
例えば、Spotifyは320kbpsのストリーミング配信を行っていますが、これは、以前のApple
iTunesの128kbpsの2倍以上のビットレートです(Apple Musicも現在は256kbps)。
再生機器側の技術革新も著しく、もはやiPhoneのようなモバイルデバイスでの再生音質に不満を持つ人は、ごく一部のマニアしかいません。
つまり、(ごく一部のマニアを除いて)現在のストリーミング音楽配信サービスの音質に不満を持っているユーザーはいないのです。
かといって、ロスレスオーディオを聴いてみたら、通常の音質より劇的な変化に感動するかというと、その差は僅かなものに過ぎません(あるいは、全く差異が感じられないかもしれません)。
とどめは、ロスレスオーディオを本当にロスレス品質で聴くためには、ワイヤレスのイヤホンやヘッドホンではなく、iPhoneへの直刺しのケーブル型のイヤホン/ヘッドホンが必須となることです(ちなみにApple純正のAirPods Maxは、Lightningケーブル有線接続であっても非対応)。
ロスレスオーディオを聴いているつもりで、ワイヤレスで「やっぱロスレスは音質が違うな」などと言ったら、己の無知をさらけ出しているようなものです。
しかも、ロスレスオーディオを有効にするためには、iPhoneの「オーディオの品質」設定でロスレスオーディオを有効に変更しなければいけません。
こんな敷居の高いことをわざわざ一般のユーザーが手間暇かけてやるでしょうか??
これは、ハイレゾオーディオで失敗した日本の事情に良く似ています。
ハイレゾも、音源がハイレゾだけではまるで意味がなく、96kHz/24bitや192kHz/24bitの広い帯域を再生できるシステム(特にスピーカーやヘッドホン)が必要なのです。
ハイレゾはやっぱ音がいいと言いながら、ハイレゾ非対応のオーディオ製品(世の中の大半のオーディオ製品はハイレゾ非対応)を使っていれば、同じように、己の無知をさらけ出しているようなものです。
現に、ソニーは、自社のワイヤレスヘッドフォンやイヤホンを、「ハイレゾ級高音質」という、全く意味不明の宣伝文句でマーケティングしています。
ちなみにソニーは、ウォークマンやMD(ミニディスク)では、ATRAC(アトラック)という独自開発のコーデック技術を採用していました。
Apple MusicもAmazon
Musicも、もはやカタログ数やブランドだけでは差異化が厳しくなってしまったので、窮余の措置としてロスレスオーディオをマーケティング素材として担ぎ出した気がしてなりません。
少なくとも、音にこだわる超ニッチなハイエンドユーザーの取り込みを狙っているのではないことだけは、間違いありません(笑)
いろいろネガティブなことばかり書きましたが。。。Apple
Musicだけにはロスレスオーディオに唯一最大のチャンスがあると個人的には思っています。
それはなぜか?
Appleが自社製品だけでロスレスオーディオ対応のエコシステムを作って、ロスレスオーディオ対応のワイヤレスイヤホンやヘッドホンなどのアクセサリーを製造・販売する手があるからです。
当然、Bluetoothのワイヤレス接続は、従来のAACやSBCではなく、ロスレスを伝送できる新しい規格を導入することが前提になります(ロスレスをワイヤレス伝送できる技術自体はKleer
Technologyを採用したSleek Audioなどいくつか存在します)。
Sleek Audio SA6 Wireless(販売完了品)
iPhoneと、そのようなオーディオアクセサリーさえあれば、ユーザーは何も考えなくても”ネイティブ”なロスレスオーディオを楽しむことができます。
そして、真の狙いは、ロスレスオーディオを無線で伝送できる新しい高性能チップを搭載したiPhone次世代モデルの拡販ではないかと勘繰りたくなります。
これは、iPhoneのようなHWプラットフォームを持たないAmazonやSpotifyが到底真似できない戦略ではないでしょうか?
日本国内だけで終わった「ハイレゾオーディオ祭り」と違って、Appleのロスレスオーディオにはそういう可能性を感じます。
ロスレスオーディオの未来は、果たしてどうなることやら?
(2021年6月13日 追記)
記事によると、
「アーティストと同じデータを渡せることが、ロスレス提供の狙いなのである」
と解説されています。
ひょっとしたらそれが狙いなのかもしれませんが、個人的には、そのようなアーティストに寄り添った姿勢のようなロスレス配信をAppleがわざわざ行うとは思えません。
というのも、ロスレスのような原音により忠実な楽曲再生というのは、別にアーティストが強く求めているものでもなければ、大多数のリスナーが求めてきたものでもないからです。
今から8年ほど前(2013年頃)、ニール・ヤングが、ハイレゾルーション音楽の高尚な理念を掲げて、Ponoというポータブル・プレーヤーと音楽配信サービスを提供していたことがあります。
私も、Pono
Playerは、個人輸入で入手して、それこそロスレスオーディオを堪能していました。
史上最強の携帯オーディオプレーヤーPono ~バランスケーブル編~
しかし、そのPonoは、他のアーティストの賛同もユーザーの支持もなく、数年で事業採算が取れずにサービス停止、ニールヤングは、PonoからTIDALにさっさと鞍替えしてしまい、怒ったユーザーが
アンチPonoサイトまで立ち上げる騒動になりました。
単なる高音質がビジネスに繋がらないことは、アーティストもAppleも熟知しているのです。
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