[全く同じ宇宙が無限に存在する] 宇宙論の新書シリーズその5 -『宇宙は無限か有限か』(松原隆彦)

 宇宙論に関する新書シリーズその5 -『宇宙は無限か有限か』(松原隆彦)



最近、宇宙論に関する本を図書館からどっさりと借りてきました。


友人のおススメの著者の書籍を中心に、5冊の新書を一気呵成に読了しました(といっても斜め読みですが)。
  1. 『不自然な宇宙』(須藤靖, 2019年)
  2. 『宇宙の果てになにがあるのか』(戸谷友則、2018年)
  3. 『宇宙はなぜこのような宇宙なのか』(青木薫 2013年)
  4. 『マルチバース宇宙論入門』(野村泰紀 2017年)
  5. 『宇宙は無限か有限か』(松原隆彦 2019年)
どの書籍も極めて面白く、私のような物理学の素人でも宇宙論の魅力を存分に堪能できる素晴らしい科学本ばかりです。

138億年前のビッグバンによる現在の宇宙の誕生、ダークマターやダークエネルギーの存在と膨張する宇宙、超ひも理論で予言される果てしない数の他の宇宙(マルチバース)の存在、そして人間原理など。。。宇宙論のトピックに興味は尽きません。

この5冊の新書の書評を1冊づつまとめて、それぞれの宇宙論の特徴を整理しようと思います。

本記事では『宇宙は無限か有限か』(松原隆彦 2019年)を紹介します。

1. 『宇宙は無限か有限か』(松原隆彦 2019年)


著者の松原隆彦さんは、1966年生まれ、高エネルギー加速器研究機構(KEK)素粒子原子核研究所・教授です。

本書もカバーは地味なツートンのものですが、内容はとてつもない奇想天外なスケールの宇宙論で、おまけに科学的難易度はかなりレベルが高いです。

2. オルバースのパラドックス

オルバースのパラドックスとは、宇宙の恒星の分布がほぼ一様で、恒星の大きさも平均的に場所によらないと仮定すると、空は全体が太陽面のように明るく光輝くはず、なぜならば、星は距離の2乗に反比例して見かけの面積が小さくなるが、距離が遠い星の数は距離の2乗で増えるので、これらはちょうど打ち消しあい、どの方向を見てもいずれかの星のまばゆい表面がみえるはずだから、というパラドックスのことです(Wiki)。


私はこのオルバースのパラドックスを知ったのは、小学生のときに読んだブルーバックスでした。

以来40年以上、どうも腑に落ちなかったのは、「しかし、恒星の光は、星間ガスや塵で弱められたりするのだから、空は暗くなるのは当たり前ではないのか?」という疑問が付きまとっていたからでした。

本書を読んで、まさにその疑問が解決しました。

「宇宙は透明ではなく、遠方の星の光が途中の空間で何か物質に吸収されるから、夜空が明るく輝かないのだ」(シェゾーとオルバース)

私と全く同じ考えですが、

「星の光が物質に吸収されるのなら、その物質は一時的にエネルギーを吸収するならともかく、いくらでもエネルギーを吸収することはできない。星の光を吸収すると、その物質は温められて温度が高くなり、光や電磁波を放出することになる。いずれは吸収するエネルギーと放出するエネルギーは釣り合った状態になる」

という理屈から、結局は恒星の光は、宇宙が透明であるかどうかに関わらず、すべて届くことになるわけです。

長年の疑問が解決しました!

3. 空間曲率の測り方

空間曲率を高い精度で測定することで、マルチバースが正しいかどうかわかるというのは、『マルチバース宇宙論入門』(シリーズその4 )でも説明されていました。

『マルチバース宇宙論入門』より

具体的には、宇宙の平均的な空間曲率が正であった場合は、宇宙は有限に閉じている可能性が高くなります。

一方、宇宙の平均的な空間曲率がゼロか負の値であった場合は、宇宙は無限に続いている可能性が高くなります。

空間曲率については、ボンネ・マイヤーズの定理により

「空間曲率がある正の最小値より常に大きい空間は、必ず有限に閉じている」

と定められています。

"ある正の最小値"、という点がイマイチ理解できないのですが。。。

では、どうやって実際の宇宙の空間曲率を測定するのでしょうか?

一般的には、空間にできる限り大きな三角形を取って、その角度を測定すれば良いのですが、そのような巨大な三角形の辺を精密に測定することができません。

そこで、ハッブル・ルメートルの法則という、宇宙膨張によって遠ざかる天体の速さは、
その距離に比例して大きくなる、という性質を利用することになりますが、この法則は、比較的近距離の天体I(赤方偏移が1位内程度)にしか使えません。


それ以上遠くなると、光が届く前に空間の膨張速度が変化してしまうのです。

三角形の頂点を形成する2天体の相対的な距離を測定する方法としては、バリオン音響振動というものが利用されています。

バリオンとは、原子核を構成している粒子(原子核、電子、光など)のことで、宇宙初期のプラズマ状態では、物体のまわりの密度の濃淡が振動しており、これをバリオン音響振動と呼びます。

宇宙誕生の初期の37万年に限って、このバリオン音響振動の音波が、40万光年の距離で届いているということです(37万光年にも関わらず40万光年を音波が進むのは、その間に空間が膨張している、具体的には1300倍の5億光年に広がっているから)。

空間曲率の値を精密に測定するには、3000億光年(実際の宇宙の半径464億光年の5倍以上)の距離が必要となるので、現状では宇宙の平均的な空間曲率がゼロかどうかは結論が出ていません。

4. 無限大を手なずける

本書の第7章「無限大を手なずける」は、読み応えのある内容です。

物理の計算というのは、最終的には測定できる数値を求めるのが目的なので、無限大をそのままでは計算ができません。

無限大自体は計算が不可能ということですね。

そのため、無限大をあたかも有限の数値のように扱って、その有限の大きさがどんどん増えていくようなイメージになるそうです。

(といってもイメージがしにくいのですが)

場の量子論は、いたるところに無限大が出てきてしまうので、「くりこみ理論」という方法で処理することになります。

「くりこみ理論」とは、ざっくり言うと、無限大引く無限大の結果、有限の数値が得られるということのようです。

(ますます理解が追い付きませんが)

量子ゆらぎが真空エネルギーになるというのは、これまで紹介した書籍でも何度か登場しましたが、その数値を計算する過程でも無限大が何度もでてきます。

ここで無限についてさらに考察を加えます。

整数と自然数の数は、どちらも無限ですが、全体の集合の大きさを比べると、整数のほうが自然数よりも数が多いことになります。

整数の数 = 自然数の数 x2 +1(ゼロ)

が成立しそうです。

これが、実数全体の数となると、数えることすらできない無限大ということになります。

(無限大とひとくくりに言っても、実は大小関係がある)

整数の無限大と実数の無限大の間に、別の無限大が存在するかどうかという問題を、「連続体仮説」と呼びます。

この連続体仮説を数学的に証明しようとした研究者(カントールやゲーテル)は、難問すぎて、やがて精神を病んでしまったというほどです。

結局、連続体仮説は、証明することも否定することもできない問題だということが証明されました。

(こちらも頭がおかしくなりそう。。。)

5. 宇宙人が無限人いる

上記の無限に関する考察を宇宙に当てはめると。。。途方もないことがわかります。

一般に、可能性がゼロでなければどれほど小さい可能性であっても、無限回試みると、無限回実現するということは。。。

生命が誕生する惑星は宇宙のなかに無限個あり、宇宙人は無限人いて、さらにさらに、私とほとんど瓜二つだが、ほんの少し違っている(ホクロがあるとか、尻尾が生えているとか)宇宙人も無限人存在していることになります。

もちろん、完全に私やあなたと同じコピーの生き物も無限人いるわけです。

観測可能な宇宙全体において、原子が占める場所の組み合わせは無限にあるわけではない(パウリの排他律)ので、宇宙全体に詰め込むことができる陽子の数は、10¹¹⁸くらいと見積もることができます。

ここから、私たちが観測可能な宇宙と全く瓜二つの宇宙の場所は、おおざっぱに1ゴーグルプレックスの100京乗メートル離れたところになると見積もることができます(!!!)

1ゴーグルプレックスというのは、10の1グーグル乗のことで、1グーグルというのは10¹⁰⁰(10の100乗)です。

1ゴーグルプレックスの100京乗メートルというのは、信じられないほど大きな数ですが、それでも無限大に比べると、ゼロに等しいほど小さいのです。

瓜二つのものというのは、日常生活のなかには存在しないのですが、素粒子の世界では、まったく瓜二つのものの存在が可能です。


ということは。。。

地球(というよりこの宇宙)から1ゴーグルプレックスの100京乗メートル離れたところにある全く瓜二つの別の宇宙には、素粒子レベルでも全く同一な私やあなたのコピーが存在して生きているということになります。

しかも、コピーはそれだけではなく、無限の宇宙には、無限人存在するということになりますね。。。

これまで何度も登場してきたマルチバース宇宙というのも、ここまで来るとあまりに奇妙で常識では考えにくいものになります。

6. 多世界解釈

量子論の曖昧な状態がどのようにして現実となるのでしょうか?

極小のミクロの世界であれば、そんなことは日常生活に無関係ですが、宇宙レベルのスケールとなると量子論の解釈問題は避けて通ることができません。

多世界解釈とは、人間がなにか測定を行うと、量子的に存在した複数の可能性はすべて実現し、その可能性の数だけ世界が分かれる(分岐する)というものです。

無限に拡がるパラレルワールドの世界感ですね。。。

一方、その対極にあるのが、宇宙がひとつもない、我々の住む宇宙も実は幻影にすぎない、という色即是空の考え方があります。

この宇宙全体が、超高性能のコンピュータによってシミュレートされた仮想のものだという主張です(アメリカの物理学者ジョン・アーチボルト・ホイーラーなど)。

今度は映画『マトリクス』の世界。。。

出典: 映画『マトリクス』

この超コンピューターは、それ自身が時空間を持っていなくても問題はないので、宇宙はもともと存在しないものであり、単に情報のやり取りに過ぎない、という究極の仮説になります。

もしこの情報宇宙の考え方が正しければ、宇宙はひとつも存在せず、時間や空間も存在しないことになります。。。

7. まとめ

最後に触れた「宇宙はひとつも存在せず、時間や空間も存在しない」という情報宇宙は、学問的な根拠はないものの、世界の最先端の科学者たち(が大真面目に議論しているということは、単なる空絵事の妄想ではないというです。

今回、宇宙論に関する5冊の新書を一気呵成に読みましたが、この最後に読んだ本書『宇宙は無限か有限か』は、発想のスケールの大きさでは偶然にも究極の領域に達したと思います。

いやはや。。。宇宙論とはとてつもないスケールで想像力を掻き立てられるばかりです。

実は、今回宇宙論の本を5冊も読んだのは、新進気鋭の哲学者マルクス・ガブリエルのベストセラー著書『なぜ世界は存在しないのか』を読んだのもきっかけでした。


『なぜ世界は存在しないのか』は、哲学素人の私には難し過ぎてサッパリ理解できない内容でした。


『なぜ世界は存在しないのか』は哲学書なので、哲学での「世界が存在しない」と、本書の科学での「宇宙はひとつもない」というのは、違うレベルでの議論ですが、科学と哲学が二つの双璧を成して発展してきたことを考えると、テーマは共通しているのではと思います。

人間原理やマルチバース、情報宇宙のレベルまで科学が突き詰めると、哲学や宗教との考え方との衝突が避けられません。

以前「カトリックの信仰」というブログ記事を書きましたが、個人的には(カトリック信者ではありませんが)神の存在を信じています。

『カトリックの信仰』について ~ なぜ人は神の信仰を必要とするのか

ただし、「この宇宙は神が創造された」ということではなく、「知的生命体である人間は神が創造された」と信じています。

このトピックは別の機会に。。。

無限について具体的に突き詰めてゆくと、そこにはもっと深遠な新しい世界が見えてくる。。。科学の力とはスゴイものだと改めて感じました。

SF映画やSF小説を読むのも楽しいですが、このように第一線の科学者たちの本を読むのがこれほど知的好奇心を刺激するとは。。。

そして、何より驚いたのが、小学生時代に宇宙や天文に興味を抱いた40年前と比較して、現代の物理学・天文学の、まさに膨張加速している宇宙の如く恐るべき進化です。

当初は、宇宙は調和の取れた美しい場所であり、それを構成する科学や物理も整合性の高いものに違いないと思っていましたが、宇宙論を知れば知るほど、現在の我々の住む宇宙はなんて無秩序でランダムな数値の元に成り立っているのか呆れてしまうほどです。

このギャップが進化というものなのでしょうが。。。

しかし、宇宙や天文学の道を進まずに、ごく普通のサラリーマンとなった身からすると、このような宇宙論の発展に寄与する理論や実験を、想像できないほど気が遠くなるほどの労力をかけて解き明かしてきた科学者たちへの畏敬の念を感じずにはいられません。

最後に、5冊の新書と著者の方々には、私のような素人でもわかりやすい解説本を執筆してくださったことに感謝をしたいと思います。


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