[沖縄戦跡国定公園をシェアサイクルで巡る] ひめゆりの塔から荒崎海岸〜喜屋武岬へ


沖縄でシェアサイクルを借りて、南部の沖縄戦跡国定公園にある沖縄戦のゆかりの地を巡ってきました。


ひめゆりの塔(ひめゆり平和記念資料館)を見学したあと、荒崎海岸と喜屋武岬(きやんみさき)まで、シェアサイクルで遠征。

自然に囲まれた美しい海岸ですが、かつて、沖縄戦で逃げ場を失った学徒や住民たちが崖から飛び降りて自決した場所です。

一般的な沖縄サイクリングの周遊コースではありませんが、何かの参考にしていただければと思います。

0. シェアサイクル

沖縄本島は今回初めての訪問、本島南端近くの糸満市に滞在しました。

沖縄の南部をサイクリングするルートは、Sports Islands Okinawaのサイトのこちらのルートを参考にしました(結果的には全然違うルートを走りました)。

ロードバイクを輪行するのも大変なので、現地でレンタサイクルをすることにしたのですが、那覇市を離れるとロードバイクをレンタルできる場所が見つからなかったため、シェアサイクルを借りることに。

ドコモのバイクシェアというアプリを利用しました(ちゅらちゃり)。



糸満市中心部でマップを検索したところ、サザンビーチホテル&リゾート沖縄のサイクルポートを発見。


サザンビーチホテル&リゾート沖縄は、美々ビーチいとまんの正面に位置する糸満市では最大規模を誇るリゾートホテルです。


日曜日の朝にホテルに到着


正面玄関を入ったすぐ横に、ドコモのちゅらちゃりシェアサイクルが7台ほど配備されたサイクルポートを発見。


料金は30分200円(延長料金は最大で2200円)、一日ICパスを利用すれば1,650円です(レンタル利用にはアプリへのユーザー登録とクレジットカード登録が必要)。


電動アシスト付き自転車


操作はカンタン。電源ボタンを入れるとパワーオン、シフトは右側のレバーで3段階


ロードバイクを乗り馴れていれば、サドルを一番高い位置に調整するのが良いでしょう


いざスタート、時刻は午前10時30分


ちなみに当日の天気予報は、晴れのち雨、最高30.9℃、最低27.0℃でした。

Tシャツに短パン、キャップとサングラス、持参品はスマホとモバイルバッテリー、現金、ハンドタオル、そして日焼け止めクリームでした。

1. 糸満市~ひめゆりの塔(ひめゆり平和記念資料館)

糸満市のサザンビーチホテル&リゾート沖縄からひめゆり平和記念資料館までは、田舎道をのんびりと走りたかったので、敢えて遠回りすることに。

最短ルートの国道331号線を通るルートではなく、国道250号線(糸満具志頭線)から国道54号線で国吉霊園を経由するルート(距離8.8km)です。


沿道にはハイビスカスの花


自転車を練習中の子供たち


道幅が広くて快適


国吉方面に向かいます


ここから登り坂、電動アシスト自転車の本領発揮


周囲は墓地が多い


沖縄の墓は、タマングサと呼ばれる独特の特徴を持った墓石や墓標


以前、台湾で見た墓とよく似ています

台湾の墓地(2019年12月13日撮影)

九十九折の坂を登ると


昔ながらの住宅街が


伝統的な沖縄の家は四角い形状をしている


多くの塀や屋根にはシーサーが


やがて周囲は「ざわわ」の世界に


本家はコチラ


さんまの映画は良く覚えています


暑い日差しが心地良い


沖縄県農業研究センター、彼方には雨雲が


真壁小学校、立派な建物


気付いたら、真壁地区(昔ながらの赤瓦の家屋が残っていて風情がある)をスルーしてしまい、奥武山米須線まで来てしまった 笑


国道331号に出たら、さとうきび畑の先に海が


左折すると平和創造の森公園だ


交差点には「ひむかいの塔」


国道を直進すると「ひめゆりの塔」の標識が


ひめゆりの塔(ひめゆり平和記念資料館)に到着



住所 901-0344 沖縄県糸満市字伊原671-1
駐車場 あり
電話番号(お問い合わせ先 ひめゆり平和祈念資料館) 098-997-2100
営業時間 午前9:00~午後5:25※入館受付は午後5:00まで
定休日 年中無休
ホームページ https://www.himeyuri.or.jp/
入場料 大人¥450 高校生¥250 中学生・小学生¥150


バイクを駐輪


ひめゆりの塔の記


慰霊碑、その手前は沖縄陸軍病院第三外科の壕口


この壕((6月19日の攻撃で約80名が犠牲)の跡はなぜか案内板がなく、私は見逃してしまいました。。。詳しくはこちらのサイト

沖縄戦殉職(医療関係者)の碑


ひめゆり学徒隊(沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の女子生徒及び職員総計240名)の運命が展示されている


内部を見学しました(館内は撮影禁止)


アメリカ軍が差し迫った1945年5月25日、沖縄陸軍病院は南部への撤退を命じられる。ひめゆり学徒隊は、砲弾が降り注ぐ中を、歩ける患者に手を貸しながら南部へと移動。

6月18日 解散命令が出され、壕を脱出した生徒たちは入る壕もなく、雨のように降りそそぐ砲弾の中、海岸方面の壕へと向かった。

6月19日 現在のひめゆりの塔にある沖縄陸軍病院第三外科壕に黄燐弾が撃ち込まれ、壕にいた96名(うち教師5名・生徒46名)のうち、87名が死亡。



終戦を迎えたときには、教師・学徒240人のうち136人が死亡。


そのうちの10人(教師の平良松四郎と9名の生徒)は荒崎海岸で集団自決(強制集団死)している。

また隣の洞窟でも米軍の銃乱射で3名が死亡、3名が重傷を負った(以上Wikiより)。

沖縄戦では住民も巻き込まれ、県民の4人に1人、12万人が亡くなったとされる。

戦争のあまりの悲惨さに絶句。。。

ちなみに、ポル・ポト政権(クメールルージュ)によるカンボジアの大虐殺(1975年から1979年の間)でも、当時のカンボジア人口(約780万人)の約4分の1に相当する150万から200万人の国民が犠牲となりました。


集団自決のあった荒崎海岸はここからそれほど遠くない場所だ


なので、行ってみることに!

2. 荒崎海岸

平和創造の森公園に向かいます


周辺道路案内図はボロボロで良くわからない


入口の観光案内図


荒崎海岸は平和創造の森公園よりも先のようだ


島根の塔


ひろしまの塔


右手に駐車場


左手に海岸方面へ散策路が


シェアサイクルで進んでみると


海岸に出た!


見渡す限り誰もいない


ここは米須山城海岸のようだ


海岸は琉球石灰岩からなる海崖が続いている


写真では分かりにくいが、10m以上のかなりの高さ


パノラマ撮影


来た道を引き返す


平和創造の森公園


白い丸い花(ギンネム)は沖縄のどこにでも咲いている


「荒崎海岸へ」の小さい標識を発見


狭い道路を進むと


ダート道、しかも大きな水溜まり


「荒崎海岸へ」


ここからはジープロード


シェアサイクルで来るところじゃない


荒崎海岸のバス停?


で、この茂みの先を行けと


シェアサイクルで強行に侵入


海岸に出た!


ついに荒崎海岸に到着


パノラマ撮影


海岸の様子(動画)です


我ながら良くここまでシェアサイクルで来た


海上を埋め尽くした米艦船に包囲され、自決を強いられた犠牲者に思いを馳せる


しかし人っ子ひとりいない


かつての流血の地に咲くグンバイヒルガオ


左手を進むと階段が


ひめゆり学徒散華の碑へのルートだ


琉球石灰岩独特のゴツゴツした岩場を100mくらい進む


ようやく見えてきた


墓碑と献花台


石碑


6月21日、平良松四郎教諭引率の生徒らは突然米兵に自動小銃で攻撃され、混乱のなか、手榴弾で自決して10人が命を失った


平良松四郎と集団自決を強いられた生徒の名前が刻まれている(ほかに隣の洞窟で米軍の銃乱射で死亡した3名の名前も)


南へ南へと追い詰められた果ての地


美しも険しい自然環境を感じる


しかし、ここを訪れる観光客は果たしてどれほどいるのだろうか


ふと岩壁を見るとヤドカリが



沖縄においても戦陣訓の「生きて虜囚の辱を受けず」という一節や長年にわたる皇民化教育の影響の他に、日本本土においても鬼畜米英の宣伝の結果として、「米軍が上陸してきたら男は殺され、女は強姦される」といった噂話が流布したりもしていたが、沖縄ではさらに、住民らがしばしば日本軍兵士らによって「捕虜になれば男は戦車でひき殺され、女は暴行され殺される」といったことを言い聞かせられ、米軍に降伏しても命が助からず、陵虐の果てに殺されるだけだと考えたこと等により、自決に追い込まれたという。

3. 喜屋武岬

荒崎海岸から、未舗装路を喜屋武岬に向かいました


荒れた路面を走ると、ペットボトルや荷物がカゴから何度も飛び出してしまう


シェアサイクルには過酷な道が続く


茂みを抜けると、ようやく舗装路に


左折して海岸方向に向かうと


やがて喜屋武岬園地に到着


駐車場やトイレも完備されている


平和の塔



高さ30mの断崖が切り立つ岬


見晴らし台からは絶景が。。。ここも投身自決の悲劇の場所だ(注:米国の記録映像で女性が単独で投身自決した場所は沖縄ではなくサイパン)


海岸の様子(動画)です


トンボの群れ、リュウキュウツバメ、そしてハチドリ(以下の動画)も


キッチンカー


ミートパイとコーラで昼食



灯台まで行くことに


ハブには注意


こんな茂みを進むが大丈夫か?


中には入れませんでした


絶景を眺めながら


地球が丸いのがわかる


景観が素晴らし過ぎて去り難い


前方の荒崎海岸方面を良く見ると


先端に何やら大きな岩のようなものが


Google Mapではカサカンジャーとある


アクセスできる場所かどうか不明だが。。。シェアサイクルで行ってみることに!

4. カサカンジャー

スマホで調べてみると、荒崎海岸の方が喜屋武岬より400mだけ最南端ということで、沖縄本島の最南端の箇所はどうやらカサカンジャーのあたりのようです。


せっかくここまで来たのなら、沖縄本島の最南端まで行ってみたい。

ということで、ジープロードを荒崎海岸方面に引き返し、カサカンジャーのあると思われる地点の海岸に抜ける道を探しました。


こんな茂みだらけの道を進んで良いものか。。。ハブも怖い


Google Mapの点線から、途中で右方向に逸れてしまいました


違うルートを試すも、今度は左方向に逸れてしまった


ようやく探し当てたルートはココ(目印の鎖と杭を左に見て直進)


これまで通って来たなかで最もコンディションの悪い道でした


あまりの路面の悪さに、シェアサイクルで転倒しそうになり。。。場所によっては自転車を降りて持ち上げるような場所も


なんだかやってることがエクステラと同じような 笑


やがて。。。茂みから周囲が開けて


カサカンジャー出現


よくぞシェアサイクルでここまでやって来た 笑


これぞ究極のパワースポット


こちらのブログによると、ジープロードから徒歩だと数十分かかるそうです


これはストーンヘンジか何かか?




周囲には誰もいない、というか、カサカンジャーをわざわざ訪れる観光客などほぼ皆無に違いない


カサカンジャー:7m×5m×1.5mの平らな岩塊の下に直径1mの岩塊が挟まっている


カサカンジャー周辺の海の映像です


遠方に喜屋武岬が


海は荒々しい





断崖絶壁


脚を踏み外したらタダでは済まない


危ない箇所はバイクを降りて進みます


カサカンジャーの正体はこちらのサイトに掲載されています(以下に引用)

カサカンジャーの起源は球陽(琉球の歴史書)の中に記載されています。
球陽には、1832年9月10日の台風襲来時に、この地域に3個の岩塊が打ち上げられたと書かれています。
さらに球陽の中には、打ち上げられた岩塊の大きさと海岸からの距離が1個ずつ記載されています。
記載されている岩塊の大きさ・位置とカサカンジャーの大きさが似ていることから、打ち上げられた3個の岩の中の1個がこの石であると見られます。

再び来た道を戻ります


ジープロードに戻りました


喜屋武岬方面に進み


舗装路に戻りました


荒崎海岸から喜屋武岬の間はガタガタの未舗装路ですが、糸満市から喜屋武岬へ行くルートは舗装路です

途中のスコールも沖縄ならでは


無事にホテルに到着


バッテリーは50%に半減


シェアサイクルを返却してサイクリングを終了、お疲れさまでした!


5. まとめ

以上、沖縄南部の沖縄戦跡国定公園に残る戦争の傷跡(ひめゆりの塔、荒崎海岸、喜屋武岬)をシェアサイクルで巡る旅でした。

カサカンジャーはシェアサイクルで行くにはややムリがありましたが、荒崎海岸や喜屋武岬は、ルートさえ間違えなければ、シェアサイクルなら徒歩よりも効率的に回れます。

太平洋戦争における沖縄での悲惨な事実を知ることができ、今回史跡を巡ったのは意義がありました。

カラー化した映像でよみがえる沖縄戦の人々

カラー版 第二次世界大戦 最終回 太平洋での戦い

黙祷

[同時多発テロから22年 - 人類は暴力を克服できるのか] 『暴力の人類史(上)』(スティーブン・ピンカー) アイヌ巡りの北海道旅行記(二風谷、白老、屈斜路、阿寒)

コメント

  1. 南部戦跡巡りは定番ですが
    荒崎海岸もカサカンジャーも
    なかなか行かないコースです。
    沖縄からイメージする砂浜とはかけ離れた鋭い岩の海岸を当時の住民は裸足で逃げ惑ったらしいです。
    機会があれば、摩文仁の丘と平和祈念資料館、糸数の壕なども訪れてください。
    お子さん、若者にもぜひ行ってみて欲しいです。
    チャリの旅お疲れ様でした。

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    1. 初めての沖縄でいきなりディープな体験でした。
      摩文仁の丘と平和祈念資料館、糸数の壕など、次回ぜひ行ってみたいと思います。

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