[暴力の減少を可能にした文明化と啓蒙の力]『暴力の人類史(下)』(スティーブン・ピンカー)

スティーブン・ピンカーの『暴力の人類史(下)』(2015年)を読みました。



9月に上巻(652ページ)を完読してから下巻(648ページ)は2か月余りで完読、ついに上下巻(合計1300ページ)を読破。



1300ページの文献を読破したのは人生初。。。我ながらよく読み終わった 笑

以下に下巻の所感をまとめました(2023年11月27日 完了)。

0. 『暴力の人類史(下)』

『暴力の人類史』の著者スティーブン・ピンカーは1954年生まれの米国の認知心理学者です(以下はwikiより引用)。

スティーブン・ピンカー(出典:Gettyimages)

専門分野は視覚的認知能力と子供の言語能力の発達である。ノーム・チョムスキーの生成文法の影響を受け、脳機能としての言語能力や、言語獲得の問題について研究し著作を発表している。言語が自然選択によって形作られた「本能」あるいは生物学的適応であるという概念を大衆化したことでよく知られている。この点では言語能力が他の適応の副産物であると考えるチョムスキーやその他の人々と対立する。

The Language Instinct (1994年、邦訳『言語を生みだす本能』)、How the Mind Works (1997年、邦訳『心の仕組み』)、Words and Rules (2000年)、The Blank Slate (2002年、邦訳『人間の本性を考える』)、The Stuff of Thought (2007)は数多くの賞を受賞し、いずれもベストセラーになった。特に『心の仕組み』と『人間の本性を考える』はピューリツァー賞の最終候補になった。また、2004年には米タイム誌の「最も影響力のある100人」に選ばれた。2005年にはプロスペクト誌、フォーリンポリシー誌で「知識人トップ100人」のうち一人に選ばれた。

(引用おわり)


Amazonのカスタマーレビューでは、4.4/5.0と高い評価を得ています。


[上巻]
第1章 異国
第2章 平和化のプロセス
第3章 文明化のプロセス
第4章 人道主義革命
第5章 長い平和
第6章 新しい平和

[下巻]
第7章 権利革命
第8章 内なる悪魔
第9章 善なる天使
第10章 天使の翼に乗って

上巻は、人類が誕生してからの暴力の歴史を膨大なデータから紐解いて、現代社会では暴力が如何に減少したかを解説します。

下巻は、心理学や脳科学を駆使して、人間が暴力を行うメカニズムと、如何に暴力を抑えることができるか(できないか)を理論的に追及します。

以下に内容を簡単に紹介します(以下太字は本文より引用)。

7. 第7章 権利革命

暴力に誘われるのは悪しきことと見なされ、だいたいにおいて刑事罰の対象とされるようになったが、この動きは「権利」を求める各種のキャンペーン、つまり公民権、女性の権利、子どもの権利、同性愛者の権利、動物の権利などを求めて次々と起こった。


ネイティブ・アメリカンのステレオタイプのスポーツチームの改名といえば、NFLのワシントン・レッドスキンズが、2022年からワシントン・コマンダーズに変更されたのは記憶に新しいですね。


改名の背景には、2020年の黒人男性のジョージ・フロイド(George Floyd)への白人警官の暴行致死事件(「息ができない」と訴えたにも関わらず窒息死させた)があったようですが、突然の変更に正直驚きました。

まあNFLはネイティブアメリカンには無縁のスポーツなんですが。。。

アファーマティブアクションとは:性別や人種等の理由で差別を受けている人たちに対する、格差是正のための取り組み。具体的には、教育や就業などで優遇(=肯定的・積極的な差別)するなどといった方法が採られているが、一方では逆に差別されることになるといった問題も含んでいる。

たとえば大学入学資格を全国のトップ何割かの学生ではなく、各高校のトップ何割かの学生に与えるといった方策

国内では。。。平成24(2012)年から平成29(2017)年の5年間で上場企業の女性役員数は約2.4倍以上に増加と着実に成果が上がっているが、その割合は依然として3.7%(2017年)にとどまっている。

アファーマティブアクションは、国内でも喫緊の課題ですね。。。

【レイプ】

レイプは人間の行う最も普遍的な残虐行為の一つだ。

被害者の女性に苦痛と不名誉と恐怖とトラウマのすべてを与え、彼女が後世に命をつないでいく手段を差し押さえて、彼女の子孫構成に無理やり介入する。

ジャニーズ性被害問題も、ほぼ同じ種類の残虐行為だったにも関わらず、長年にわたって日本のマスメディアは自社の利益優先のために黙殺してきました。

最近になった各メディアが一斉に、「性被害は許されるものではない」と偽善的に弁解している姿は、日本のマスメディアの救いようもない堕落ぶりを象徴していますね。。。TVというマスメディアは今後も衰退が進んで、いずれ消滅するでしょう。

ジャニーズ性被害問題は、人権の先進国であるはずの日本で起きた権利革命のひとつでしょうか。

古今東西の文化を見渡してみないと、被害者の見地からレイプの罪を認めているものはほとんど見つからない。

「汝、強姦するなかれ」は十戒のなかに入っていない。

聖書からそのほかにも、既婚女性がレイプの被害者になると、姦通罪が適用されて、罰として死ぬまで石を投げつけられることがあったとわかる。

レイプ犯は被害女性を自分の妻として買い取ることで、その罪をあがなうことができる。

なんと。。。かつてはレイプ被害者の女性のほうが処罰されるという、とんでもない時代だったのですね。。。

このような史実を知ると、リドリー・スコット監督の『最後の決闘裁判』で、ジャン・ド・カルージュの妻マルグリットが、従騎士で夫の親友でもあるジャック・ル・グリに強姦されたという物語は、全く異なった見解で認識せざるを得ません。


つまり、マルグリット自身は人権のない戦利品であり、その戦利品を盗もうとしたジャック・ル・グリと、所有者であるジャン・ド・カルージュが、命を賭けて決闘するという、現代の常識からすると茶番以外の何物でもないストーリー。。。

男性は女性の持っているもの(性)を浴する。

それを盗んだり(レイプ)、引き渡すよう女性を説き伏せたり(誘惑)、賃貸したり(売春)、長期リースの契約を結んだり(アメリカにおける結婚)、完全に所有したり(大半の社会における結婚)する。

なるほど~~~そんな解釈があったとは。。。

性別の一方が他方よりも速いペースで繁殖する種では、繁殖の遅いほうの性別の関与が希少な資源となり、それをめぐって繁殖の速いほうの性別が競争する。

どうしてレイプがあらゆる人間社会(そしてゴリラやオランウータンやチンパンジーなど多くの種)の害悪として存在してきたかを説明する一助にはなる。

進化論の観点からレイプが古今東西に横行する理由を著者は見事に解説しています。

繰り返し出てくる心象は「財産」である。

論文のなかで、世界中の伝統的な法律が女性をその父親や夫の財産として扱っていることを示した。

レイプは貴重な財産の窃盗と解釈されていた

女性を財産として見なすのは、現在の常識では有り得ないことですが、かつては当然と見なされていたわけで、その歴史的事実をしっかりと把握することで、現代の男女差別や女性蔑視の背景がより深く認識できるようになり、具体的な解決策にも繋がるのではないでしょうか。

レイプという暴力の分析はこのあとも20ページ以上にわたって延々と続くのですが、本著のアプローチは、単なる性的被害という現代の解釈を超えて歴史的な変遷を紐解くので、非常に説得力があります。

【DV】

レイプに続いてDV(ドメスティックバイオレンス)や配偶者虐待の暴力について議論は進みます。


グラフからわかるとおり、アメリカのDVによる深刻な暴力の件数は、ほぼ半分にまで減ってきています。

DVによる被害は日本でも話題になりますが、被害者の数や程度は米国の足元にも及ばないでしょう。

以下は、ヒップホップ界のスーパースターのエミネムと、女性ボーカルとして女王的存在のリアーナのデュエットソングですが、アメリカでのDVの常態化を象徴しているような曲です。

Eminem - Love The Way You Lie ft. Rihanna

曲自体は実に素晴らしいのですが、歌詞やPVの訴えるところは、アメリカのDVの病巣を鋭く批判していますね。

しかし世界を見ると、アメリカのDVも霞むほどの国がいくつも存在します。

前年にパートナーから暴行を受けたと報告している女性の割合が、ニカラグアでは27%、韓国では38%、パレスチナでは52%になっていた。

妻が夫に口答えをしたり、従わなかったりした場合には、夫には妻を殴る権利があると答えた人は、エジプトの片田舎では78%、インドのイッタルプラデシ州では最高50%、パレスチナでは57%にのぼった。

このような諸国と比較すると、日本はおろか欧米諸国のDVによる暴力は低いレベルと言わざるを得ませんね。。。

【子殺し】

子殺しは子どもの虐待の最も極端な形だ

。。。ところが、私の調査から浮かび上がってきた答えは、こんなことを示している - さまざまな種類のストレスにさらされたときに自分の子を自発的に殺すのは、人間にできる最も「自然な」ことの一つなのだと。

なんと。。。少なくとも私自身の理解では、子殺しが「自然な」ことの一つという状況を想像すらできません。

母親はすべての子を限りなく貴重なものとして扱うはずだという直観は、自然選択説の帰結であるどころか、自然選択説とは相容れないものなのである。

自然選択は、生物が生涯のうちに繁殖して残せる子孫の数を最大限にするように働くのであり、子孫の数を最大限にするためには、生物は新しく生まれた子に投資するか、それともすでに生まれている子やこれから生まれてくる子のために資源を蓄えておくのかのトレードオフを検討しなくてはならない。

た、たしかに。。。

もし生まれたばかりの子が病弱だったり、周囲の環境が厳しくてその子の生存が見込めないようだったら、最も健康なきょうだいに目をかける

生物学者から見ると、人間の子殺しは、このトリアージの一例である。

子殺しが普遍的であり、進化的に理解可能であることからして、これはいかに非人道的な行為に見えようと、基本的には不当な殺人などでなく、特殊な性質の暴力に分類されるだと考えられよう。

子殺しは、心の無慈悲さから来ているのではなく、むしろ生活の無慈悲さから来ているのだ。

ヤマノミ族の母親の苦渋の決断や、民族誌データベースからの社会の調査結果などを知ると、子殺しをする母親など有り得ないという(私自身を含む)現代人の常識が、如何に甘い幻想であるかを痛感します。

多くの文化伝統は、新生児の生存が見込めるようになるまで、赤ん坊に触ったり、名前をつけたり、法的人格を与えたりするのが禁じられていることもある。そして、過渡期が無事に乗り越えられたあかつきには、たいていお祝いの儀式がある。

欧米の文化で言えば、洗礼式や割礼などがそれにあたる。

たとえば伝統的なユダヤ教では、赤ん坊が生後三十日を過ぎたところで初めて法的に個人として認められる。

カトリックでは赤ん坊が生まれた直後に洗礼式を行うことが通例だと思っていたので、ChatGPTに質問してみました。

Q: カトリックの洗礼式は、なぜ赤ん坊が生まれた直後ではなく、生後一定の期間を置いてからなのですか?

ChatGPT
カトリック教会の洗礼式は、赤ん坊が生まれてから直ぐに行われることもあれば、生後一定の期間を置いてから行われることもあります。これは、カトリック教会内での慣習や教会法によるもので、特定の決まった期間が絶対的に定められているわけではありません。以下は一般的な考え方と慣習です:

早期洗礼: 一般的に、カトリック教会では赤ん坊が生まれた直後に洗礼を受けることが奨励されています。この早期洗礼は、魂の浄化や宗教的なコミュニケーションの開始として重要視されています。多くのカトリック信者は、赤ん坊が生まれてすぐに洗礼を受けることを選択します。

遅い洗礼: 一方で、一部の信者は洗礼を遅らせることもあります。これは、家族や洗礼を行う教区のスケジュール、または特別な家族の事情に関連することがあります。しかし、洗礼が遅れる理由は個人的な選択によるもので、カトリック教会がある特定の期間を義務付けているわけではありません。

カトリック教会では、洗礼は赤ん坊の罪を浄化し、キリスト教の信仰共同体への受け入れを示す儀式として行われます。したがって、洗礼を受けるタイミングは家族や信者自身の状況によって異なることがあります。

カトリックとユダヤ教では違いがあるようです。

女児殺し

多くのアジアの家族は病的なまでの息子偏愛をもっている

中国とインドは特にそうですね。

(中国やインドでは)息子は経済的な資産であり、娘は負債である。

二人の娘を持つ父親としては、かわいい娘たちに囲まれて父親冥利に尽きますが 笑

女児殺しは生物学的にみれば謎である。すべての子どもには母親と父親がいるのだから、後代の心配をするのであれば、それが遺伝子のことであるにせよ王朝のことであるにせよ、自分の娘を間引いてしまうのは愚の骨頂だ。

トリヴァース=ウィラード仮説

産後うつ

産後うつの有名な一例が、2001年に5人の子どもを浴槽で溺死させたアンドレア・イェーツの事件である。

この衝撃的な事件は当時のニュースで良く覚えています。


ヒューストンの病院に勤めるカトリック信仰(中絶に反対)に厚い36歳の看護師が、重度の産後うつにより殺人鬼になってしまった悲劇。。。

重度の精神病で、母親として子どもを育てる資格がないと神の啓示を受けたというのが原因だそうですが、精神が異常をきたすと如何に怖ろしいことになるかという事件でした(現在は終身刑で服役中)。

今日の世界の大部分では、過去の世紀で子殺しに帰結していたのと同じような割合で、妊娠が中絶に帰結している。西洋の先進国では妊娠した女性の12%から25%が中絶をしている。

旧共産圏のいくつかの国では、その割合が50%を超える。

これはほとんど知られていない事実だが、中絶率は世界中で低下の一途をたどっている。


現在の理解では、神経面での意識の基盤は、視床と大脳皮質のあいだに神経活動の反響があるかどうかで、それは妊娠から26週間前後で始まるとされている。

子殺しと中絶は、共通点も少なからず存在するということがわかると、子殺しだけを非難して、中絶を支持するという考えは、矛盾があるように思えてきます。

【いじめ】

多くの子どもを苦しめるもう1種類の暴力は、ほかの子どもから受ける暴力である。いじめはおそらく大昔から、つねに存在してきたと思われる。


いじめも大多数の他の暴力と同様、グラフのように年々低下傾向にあるのですね。。。

しかし子供の生活を変えた何よりもの原因は、子どもが見知らぬ他人によって誘拐される危険性である。

子どもの生活はもはや以前と同じではない。子どもは車で送り迎えされ、付き添いをつけられ、携帯電話で常に居所を把握される。

かつては公園で友達をつくっていた子どもたちは、今では母親の取り決めた遊びの約束にしたがって友達と会う。

30年前には70%の子どもが外遊びをしていたが、いまではその数字が30%に落ちている。

アメリカだけでなく、日本でも同じ状況ですね。

先日、こんなことがありました。

週末に大きな公園でフェスティバルがあり、たくさんの来訪者で賑わっているなか、2歳くらいの男の子が泣きながら「ママ~」と迷子になっていました。

公園のフェスティバル

私は立ち止まって、事情を尋ねようとしましたが、男の子は泣くばかりで、また歩き出そうと。。。

そこに、小さな女の子と一緒の女性が通りがかり、彼女が男の子に問いかけると、男の子は泣き止んで、無言でその女性と手をつなぎました。

私と、その親子連れで、迷子の男の子をフェスティバル大会の本部テントに連れていったら、ちょうどそこには、男の子の母親が泣きそうな顔で本部テントに待機しており、我が子の姿を見るなり大喜びで駆け寄ってきました。

こうして、無事に迷子の男の子は母親の元に戻ることができたのですが、この話を妻にしたところ、

「男の子が最初にあなたに気を許さず、子ども連れの女性に気を許したのは、そう躾けられているから」

ということでした。

つまり、子どもたちは、外で何か困ったことがあったら、助けを求める相手は、男性ではなく、できれば子ども連れの女性を選びなさい、と普段から躾けられているということでした。。。

話を元に戻します。

リスクを最小限にすることが人生で唯一の重要なことではない

子どもを学校に送っていく途中の親の車にひかれる子どもの数は、それ以外の交通事故にあう子どもの2倍以上にのぼっている。

著者は、子どもの生命を守る過去2世紀の運動は、歴史的に大きな道徳性の向上のひとつであるものの、直近20年の行き過ぎた運動は、いずれ馬鹿らしさに行き着くしかないと痛烈に批判しています。

事故を限りなくゼロに防ぐための行き過ぎた施策や政策。。。これは現代日本社会にもそのまま当てはまりますね。

身近なところだと、日本全国の公園内の至るところに設置されている「かれこれしてはいけない」「どこそこはこちら」「かれこれに関するルールはかくかくしかじか」など、氾濫する警告板や掲示板のせいで、本来の憩いの場であるはずの公園が、立て札や柵だらけで景観が損なわれているのが一例です。

同性愛者

アラン・チューリング
イギリスの数学者、コンピュータの世界では彼の名前を知らない人はいない偉大な科学者


イギリス政府はチューリングを「男とセックスした」として逮捕(1952年)、彼の機密情報取得資格を剥奪し、科学的去勢を施し、しまいには彼を42歳での自殺へと追いやった。

レビ記20勝13節
女と寝るごとく男と寝ることをした男に死刑を命じている

アメリカの同性愛者が暴行を受けなくなってきているとおは断言できないが、脅迫、差別、道徳的非難を受けることは確実に少なくなっている

動物虐待

著者は40ページ近くを動物虐待について述べていますが、そのほとんどが食肉についての分析で、狩猟(特にスポーツハンティング)についての言及はほとんどありません。


上のグラフが示すように、狩猟者の数も減少傾向にあるということですが、欧米人の狩猟という文化は、(多くの日本人にとっては理解しがたい)聖域なのでしょうか。。。

以前、アイヌ文化にまつわるイベント(UZUUZU ORUSPE、2014年8月17日)に家族で参加したことがありました。


ステージ終了後、主催者の知里幸恵さんを囲んでのディスカッションコーナーで、参加者の若い女性が、「自然に対して酷いことをしている身として申し訳なく思っている」と感極まって泣き出してしまったことを思い出しました。

8. 第8章 内なる悪魔

この章以降は、暴力の歴史を紐解く内容から、心理学や生理学、環境に焦点を当てて人間の暴力について分析が進められます。

人間は基本的に善なのか悪なのか、サルなのか天使なのか、という二分法は成り立たないのだ。

人間の本性は、私たちを暴力へと促す動機 - たとえば捕食、支配、復讐 - を持ち合わせているが、適切な環境さえ整っていれば、私たちを平和へと促す動機 -たとえば哀れみ、公正感、自制、理性 - も持ち合わせている。

とは言うものの、著者は本章で人間の暗黒面に焦点を当てて掘り下げていきます。

私たちの大半は、基本的に暴力をふるうようにできているのであって、実際に暴力をふるう機会が来ることは一度もない可能性が高いといっても、それは別問題であるということだ。

人間の脳の構造には、怒りや暴力を司る機関が存在するということですね。

猫の脳内の「怒り回路」と同じようなものは人間の脳内にもあり、やはり電流によって刺激できる。

人が自制を働かせて暴力を抑えるのは、人間が優しく哀れみに深いからではなく、単に進化論に基づいてそのほうが有利だと判断するからだそうです(何という事だ。。。)

報復(殺した相手の親類に報復で殺されるなど)の危険がほとんどない状況で憎い敵を滅ぼせる機会が到来すると、ダーウィン的な生物は必ずやその機会に飛びつく。

これは実際のチンパンジーの襲撃において確認されている。テリトリーを巡回しているオスの群れが、別の群れからさまよい出てきた単独のオスと遭遇すると、群れのオスたちは数の優位を利用して、単独オスを八つ裂きにする。

上巻にも出てきたチンパンジーが再登場。

暴力というのは、人類に固有の性質なのではなく、哺乳類やその他のすべての生き物に共通の性質だと理解すると、地球上から人類が滅亡したところで、(核戦争のような全てを殲滅する事態は起きないにせよ)、暴力は地球上から永遠に消滅しないということですね。

日常的な過失であれ重大な殺人であれジェノサイドであれ、それらの破壊的な行為を犯した人間が、自分のしたことをまったく悪いと思っていないということに気づいたからだ。

このパッセージは、人間社会に暮らす我々全員にとって決定的に重要だと思います。

暴力に訴える人たちを非難するのは当然だとしても、彼らは「意図的に」悪いことをしたわけではなく、場合によっては悪いことをしたという認識も反省も生まれないという事実を認識すれば、許容心が生まれるというものです。

もちろん、「暴力を許す」という意味ではなく、暴力に訴える人たちに対する見識が、「一体全体どうしてそんなことをしでかす性格なのか」という非難一辺倒から「そういう(治ることのない)性格を持っているに過ぎない」という冷静な見方に変わることで、日頃の人づきあいの仕方も変えるべきという意味です。

加害者、被害者、第三者の目から見た有害な行為の説明におけるずれ具合は、図2-1に示した暴力の三角形を、心理的にそのままなぞっている。

図2-1(上巻より)

このずれを「モラリゼーションギャップ」(道徳的見解の隔たり)と呼ぶことにしよう。

モラリゼーションギャップは、自己奉仕バイアスというもっと大きな現象の一部だ。人は自分をよく見せようとする。その「よい」というのは、有能だとか強力だとか、望ましいとか力量があるといった意味もあれば、善良だとか正直だとか、寛大だとか利他的だといった意味もある。

レイク・ウォビゴン効果:望ましい能力や特性の面で、大多数の人が自分を平均以上に評価していることをいう。

被害者側も加害者側も、自分が本気で正しいと思っており、それに合致する都合の良い歴史上の話や諸事実のデータを探して集めて一生懸命に傍観者を味方につけようとするのですが、大概のケースでは、傍観者はどちらが本当に正しいのか(どちらも正しくないケースがほとんど)判断がつかず、どちらも間違っているようにしか取られないという話をどこかで読んだ覚えがあります。

平たく言ってしまえば、どちらが正しいか軍配を上げるのが難しいような喧嘩は、当事者同士は如何に真剣でも、傍観者にはサルの言い争いにしか見えないというわけです。

このため、たとえ理不尽な喧嘩を売られても、それが勝利する価値のあるものでない限り、まともに取り合うよりも無視して不戦敗になるほうが賢い対処と言えます。

第二次世界大戦

アメリカは日本と平和的な関係にあった
挑発もしないのに仕掛けてきた、卑劣な攻撃
ハワイ諸島への攻撃で甚大なる損害をもたらした

アメリカは、石油と機械類の通商停止を一方的に日本に押し付けていた
日本からの攻撃があり得ることを予期していた
被害は受けたがそれは比較的小さな軍事的被害だった(2500人の人的被害)
何の罪もない日系アメリカ人を強制収容所に押し込めた
日本の民間人に核爆弾を落として史上最大の戦争犯罪を犯した

心理学の眼鏡を通して見ると、実際の悪行を犯している人々はだいたいにおいて普通の人々であり、本人としては合理的で正当と感じながら、被害者からの挑発も含めたもろもろの状況に応じて、その悪行を犯しているからである

【暴力の器官

中脳水道周囲灰白質:怒りの知覚運動成分を制御する回路

視床下部:情動状態や動機付け状態、食欲や喉の渇きや性欲などの生理状態を調節する神経核の集まり(ストレスホルモンが分泌される箇所)

扁桃体:情動と感情の処理や直観力、ストレス反応に重要な役割を果たしており、主に、「恐怖」「不安」「緊張」「怒り」などのネガティブな感情に関わっている

大脳皮質:大脳の表面にある厚さ1.5〜4.0mmほどの灰白質の6つの層で、知覚、随意運動、思考、記憶や学習などの高次機能を担っている

恐怖回路と怒り回路は別個のもので、各器官のそれぞれで別の神経核をつないでいるが、物理的に近接しているために相互作用しやすくなっている

人間の脳の構造


ラットの脳と比較すると、怒り回路や恐怖回路が収められている器官は、大きく膨らんだ大脳にそれらの構造がくるめられている

ホモサピエンスにおいては怒りや渇望といった原始的な衝動が、慎重さやモラリゼーションやセルフコントロールといった大脳の抑制力と張り合っているに違いない

眼窩前頭皮質(がんかぜんとうひしつ):眼球の裏にある

フィネアス・ゲージの頭に突き刺さった鉄の突き棒による損傷


脳(眼窩前頭皮質)の損傷によって性格がすっかり変わってしまったこの男の話は、以前に『生存する脳』という書籍で読んだ記憶があります


赤ん坊を窒息死させたりトロッコの前に男を突き飛ばしたりすることへの本能的な拒否反応が扁桃体と眼窩前頭皮質から来ているのに対し、最大多数の命を救おうとする功利主義的な思考は、背外側前頭前皮質という前頭葉の一領域で計算される

暴力の4分類】
  1. 実際的、道具的、搾取的、捕食的
  2. ドミナンス(支配、優位性)
  3. リベンジ(報復、復讐)
  4. 傷つけることそのものを喜びとする(サディズム)
男性人口におけるサイコパス(精神病質者)の割合は、おおよそ1%~3%というところである

サイコバスの脳内では、異常の兆候がほかに何も見えなかったとしても、社会的情動を調節する脳の領域、とりわけ扁桃体と眼窩前頭皮質だけが、収縮していたり敏感でなかったりする

サイコバスは、部分的には遺伝性でもある

サイコバスは、信じやすい協力的な多数派を搾取するという少数派の戦略として進化してきたのかもしれない

サイコパスとは(以下Wikiより引用)

オックスフォード大学の心理学専門家ケヴィン・ダットンは、精神病質者(サイコパス)の主な特徴を以下の様に定義している。

極端な冷酷さ・無慈悲
エゴイズム
感情の欠如
結果至上主義
中でも、最大の特徴は「良心の欠如」であり、他人の痛みに対する共感が全く無く[44]、自己中心的な行動をして相手を苦しめても快楽は感じるが、罪悪感は微塵も感じない[37][要ページ番号]。「人の心や人権、尊厳を平気で踏みにじる行動をしながら、そのことに心が動かない」という特徴があり、良心の呵責なく他者を傷つけることができる[45]。精神病質者の大部分は殺人を犯す凶悪犯ではなく、身近にひそむ異常人格者(=マイルド・サイコパス(※後述))であるとされている。このようなマイルド・サイコパスは、社会的成功を収めることも多いとされている。

犯罪心理学者のロバート・D・ヘアは以下のように定義している。

良心が異常に欠如している。
他者に冷淡で共感しない。
慢性的に平然と嘘をつく。
行動に対する責任が全く取れない。
罪悪感が皆無。
自尊心が過大で自己中心的。
口が達者で表面は魅力的。

サイコパス。。。以前、自分がサイコパスではないかと疑って、サイコパス関連の書籍を3冊読んだことがあります(自分は違うということがわかりました)。


ちなみにサイコパスは凶悪犯だけでなく、マザー・テレサやスティーブ・ジョブズなんかも該当するそうです。

人間の3%がサイコパスに分類されるそうです。結構多いですね。。。

モーガンフリーマンのサイエンスドキュメンタリー『時空を超えて』の「悪は根絶できるのか?」にもサイコパスが出てきました。


番組では、サイコパスは扁桃体を制御している前頭葉と側頭葉に何らかの障害が起きると、暴力行為をコントロールできなくなる可能性が高いとのことです。

スティーブン・ピンカーも番組に登場しています。


ジェームス・ファロンという神経科学者が、凶悪犯の脳のスキャンデータと、自分の脳が非常に似ており、自分では意識していなかったサイコパスであることを悟った話が印象に残りました。

自分の祖先を調べたら殺人を犯した人も見つかりました。

彼が、サイコパスの脳を持っていながら、なぜ犯罪を犯さずにいられたのかは、両親に愛情を注いてもらって育った後天的な環境のおかげだと述べています。

逆に、虐待を受けて育ったとしたら、サイコパス的な暴力を振るっていたかもしれません。

幼少期の環境というのは大事ですね。。。

戦争中、指揮官は妄想の域に達するほど無謀な決断をすることがある

ナポレオンのロシア侵攻、ヒトラーによるロシア侵攻

過去500年にわたって、最初に戦争を仕掛けた国は、1/4から2/1の確率で最終的に敗れており、勝った場合でも、その勝利にはたいてい引き合わないほどの多大な犠牲が伴う

軍事的な無能さはデータの不備や戦略の誤りというよりも、過度な自信が問題となっている場合がほとんど

【ドミナンス(支配・優位性)】

優位争いは、決して傍から見るほど馬鹿げたものではない

無政府状態では、自分の利益を守れる手段はただ一つで、略奪に対して自衛する意欲と能力があることを評判によって知らしめるしかない

「おれを怒らせるな」というメッセージ

同性を競争相手として優位を得ようと立ち回りする

個人の価値観を男女別に調べた調査によると、男性は職業上の地位に、ほかのどんな人生の喜びに対してよりも圧倒的な価値を見出だしていることがわかった

職業上の地位に圧倒的な価値を見出しているというのは、古今東西変わらない事実ですね。。。

日本ではこれが男性中心のサラリーマン社会を形成しているわけだし、欧米では、弱肉強食の出世競争や(政治だけでなくすべての組織社会における)苛烈な政権争いに繋がっているわけです。

こうした性差が収入と職業上の成功における男女格差の一因になっているのだろうと、大半の労働経済学者は考えている

男性は、もちろん女性よりはるかに暴力的な性別だ

この差は人間以外の大半の霊長類においても見られる

哺乳類のオスはメスよりも速く繁殖できる。したがってオス同士は性的な機会をめぐって競争するが、メスにとっては自分と自分の子の生存を確実にすることのほうが優先される

女性からすると暴力にはたいして旨味がない。ゆえに女性の競争戦術は、もっと身体的な危険の少ない、たとえば陰口を流したり仲間外れにしたりするなどの、人間関係面からの攻撃を中心とする

な、なるほど!

こうして理路整然と解説されてしまうと、男女の違いを痴話的に主張し合うよりもスッキリと納得してしまいますね

テストステロン

人間の男性の場合、魅力的な女性がそばにいるときにもテストステロン(厚顔や副腎で産出される)は上昇するが、ほかの男性との競争が始まると、たとえば、スポーツの試合のときなどにも同様に上昇する

テストステロンとアドレナリンの違い

テストステロンとアドレナリンは、両方とも体内で重要な役割を果たすホルモンですが、異なる機能や影響を持っています。

テストステロンは、男性ホルモンとして知られており、男性の性的特徴の発達や維持に関与します。しかし、女性の体内にも存在し、女性の性的機能や健康にも重要です。テストステロンは筋肉量や骨密度の維持、赤血球の生産、性欲の調節などに影響を与えます。

アドレナリンは、ストレス時や興奮時に放出されるストレスホルモンです。緊張や興奮時に、心拍数や血圧を上げ、エネルギーを供給し、身体を戦闘または逃走モードに切り替える役割を果たします。アドレナリンはストレス応答の一部として、体内で即座に作用します。

両者は異なる役割を果たしていますが、両方とも身体的な活動やストレス応答に関連しており、身体や精神の機能に影響を与える重要なホルモンです。

テストステロンは青年期に上昇し、中年期に低下する。男性が結婚したとき、子どもを持ったとき、子どもと一緒に過ごしているときにもテストステロンは低下する

テストステロンは男性をよき父親にしたり、野卑なオスにしたりする切替えスイッチのようなものかもしれない

なるほど。。。

女性が主導権を握っていたら、世界はもっと平和だったのか?

女性が今後さらに主導権を握るようになれば、世界は今後もっと平和になるのか?

世界中の戦闘兵の99.7%は男性なのだ(イスラエルは男性も女性も徴兵することで有名だが、女性兵士はほとんどの時間を診療所かデスクで過ごす)

「栄光」という言葉も「名誉」という言葉も、この1世紀半のあいだに英語の書物のなかで使われる頻度は着実に減っている

【リベンジ】

恨みを晴らすことに関してはやはり詩的になる

流血に対する流血の復讐は、全世界の文化の95%で明白に是認されており、部族間抗争があるところでは、つねにこれが主要な動機のひとつになっている

抑止力としての報復的な罰の必要性は、単なる理論上の話ではなく、協力の進化を説明する数学的なコンピューターモデルで繰り返し実証されてもいる

リベンジで真っ先に思い付くのは、忠臣蔵(赤穂浪士の討ち入り事件)です。

忠臣蔵は、年末のテレビでは必ず放映されるほど、絶大な人気を誇りますが、それは主君に対する忠義や集団帰属といった日本文化に根付いているからでしょう。

しかし、「忠誠」「名誉」からくる「復讐劇」というのは、まさに昔から変わらない暴力の源でもあるわけです。

「忠臣蔵」の美談は、ほとんど大ウソだった!」という興味深い投稿を見つけました。

再び仕官する道を見つけるのが目的でしたが、主君のための仇討ちという大義名分が認められず、意に反して全員切腹に処せられたという解釈です。

真偽の程はともかくとして、忠臣蔵も、復讐劇が詩的になって後世に美談として語り継がれる典型例であることは間違いないですね。

囚人のジレンマ


囚人のジレンマで繰り返し型の総当たり戦をやった結果、最初の勝者になったのは「しっぺ返し」戦略だった。最初の一手では協力し、パートナーも協力してくれたら次からも協力を続けるが、パートナーが裏切ったら自分も裏切るという戦略である。

しっぺ返しは「報復的」であり、また「寛容」でもある

この戦略は、敵が裏切りを繰り返したあとに協力に切り替えれば、しっぺ返しもそれに応じてすぐさま協力するのである

リベンジの減光スイッチ
  1. 類縁関係や共有する目標や共通の敵などによって互いの利害が結びついている場合
  2. 自分と加害者が切っても切れないほど大事だった場合
  3. 加害者が無害になったことを確信できたとき
【サディズム

シリアルキラーといえば、映画『ドラゴン・タトゥーの女』に登場するゴッドフリートとマルティン親子が真っ先に思い浮かびます。


『ドラゴン・タトゥーの女』は、スウェーデンの作家スティーグ・ラーソンの推理小説「ミレニアム」3部作の第1作目です。

デビッド・フィンチャー監督でダニエル・クレイグやルーニー・マーラが出演したハリウッド版 (2011年) も悪くないリメイクでしたが、オリジナルのスウェーデン版は稀に見る傑作でした。


シリアルキラーは病める現代社会の産物であるという一般的な見方に反して、彼らは数千年にわたって歴史のページに血を飛び散らしてきた

カリギュラ
ネロ
青髭
串刺し公ヴラド
切り裂きジャック
悪魔の理髪師

人間の本性には最初から、他人の苦しみに満足を覚える動機が少なくとも4つは備わっている
  1. 生き物の傷つきやすさに病的に魅入られること
  2. 強者が倒れていくのを見る楽しさ(ドミナンス)
  3. リベンジ
  4. 性的なサディズム
性的傾向に関する回路と攻撃性に関する回路は辺縁系のなかで絡み合っていて、そのどちらもがテストステロンに反応する

ある種の獲得嗜好の症候群があることを突きとめて、それを「無害なマゾヒズム」と名付けている。

そこで好まれている逆説的な快楽とは。。。ロッククライミングなどの極限的な経験に身を置いたりすることである

な、なに。。。!?

これらはすべて大人の嗜好であり、その世界に入ってくる新参者は、苦痛や吐き気や恐怖という最初の反応を乗り越えないと玄人には至れない。ストレス要因の量を少しずつ上げながら、自分を徐々にそれに慣れさせることによって獲得される

これらの嗜好に共通するのは、高い潜在的利得(栄養、薬効、スピード、新しい環境への理解)と高い潜在的危険(毒作用、体調悪化、事故)が一対になっていることだ

これらの嗜好の一つを獲得することの喜びは、現在の限界を押し上げることの喜びである。
すなわち、自分が不幸を招かずにどれだけの高さ、辛さ、強烈さ、早さ、遠さにまで到達できるかを、細かく調整した段階を踏んで探求していくことの喜びだ

その究極の利点は、局所的な経験のなかにある有益な領域でありながら、生来的な恐怖や警戒によって初期設定では封鎖されている領域を開放できることにある

この嫌悪と欲求のプロセスは、最終的に欲求と中毒にいたるまでに行き過ぎることがある

こ、これは。。。トライアスロンなどの持久系スポーツにハマる理由を見事に説明している!!

以下のアイアンマンへの道(IRONMAN | Reimagine Your Limits)というYouTube動画はまさにそれです。

IRONMAN | Reimagine Your Limits

At first, it's a bunch of choices. Hard, uncomfortable choices. Then it changes your life.

Soon these choices are no longer choices. They are habits, patterns, beliefs, ingrained in body and mind.

持久系スポーツはやはり「無害なマゾヒズム」だったんですね。。。激しく納得 笑

本章「内なる悪魔」で分析されたように、人間の本性には隠しがたい悪魔の側面があるのは間違いありません。


興味深いのは、人間の悪は必要悪であり、人類の進化だけでなく、国家繁栄の源にもなっているという点です。

「あらゆる悪を防いだなら、多くの善は宇宙に存在しないだろう」 - トマス・アクィナス(対異教徒大全)

悪徳こそが、財(贅沢な衣装、食事、邸宅等々)あるいはサービス(警察、規則、弁護士等々)の有効需要を形成している

人を死に至らしめる暴力は、究極の悪なのかもしれませんが、人類から暴力を殲滅した行き着く先には何が待ち構えているのでしょうか。。。

9. 第9章 善なる天使

人間の進化は、自然を克服する力の拡大によって測られるのみならず、共感の強化と拡大によっても測られるのだ。

しかし、他者への共感の意識を拡大することの効力について、著者は疑問視しています。

今日の共感は、1960年代における「愛」になりつつある。つまり、これはある種のセンチメンタルな理想で、キャッチフレーズのなかで誉めそやされはするが、暴力の低減剤としては過大評価だということだ。

激しく同意。

国内のメディア(特にテレビ)は、特に東日本大震災やコロナ禍の影響もあって、事あるごとに「絆」や「助け合い」という美辞麗句で世間に働きかけますが、誰もが異論のないキャッチフレーズを餌に視聴率を獲得する偽善でしかありません。

その最たるものが、日本テレビの24時間テレビです。

24時間テレビの“偽善商法”にモノ申す

NHKも「感動ポルノ」と批判する番組、けちょんけちょんですね。。。

そもそも出演タレントがギャラを貰っているチャリティ番組って一体なんなんでしょうか。。。?

まあ、営利目的で放送しているわけだから、いくら批判を受けても視聴率が稼げる限り決して止めないでしょう。

人間の脳内に共感を探してみても、共感ニューロンを備えた共感センターのようなものはどこにもなく、あるのは他者の苦境とその他者と自身との関係を知覚者がどう解釈するかに依存する、活性化と調節の複雑なパターンだというものである

オキシトシ 抱擁ホルモン 共感と信頼を育む

共感の科学は、共感が正真正銘の利他主義を促せること、および、共感が拡大されうることを明らかにしてきた

しかし同時に、なぜ私たちが現在抱えている問題の解決策として「共感の時代」や「共感文明」をめざすべきではないのかを思い出させてもくれる

共感と公平性のトレードオフ

【セルフコントロール(自己抑制)】

合理的行為者は未来を割り引かねばならないから、少なくなっている明日の楽しみを犠牲にして、今日の楽しみを選ばざるを得ないのである

現代の世界において自制の欠如と思われるもののほとんどは、国家以前の時代の不確かな世界において祖先の神経系に組み込まれた割引率を、いまでも私たちが使っていることに原因があるのかもしれない


イギリスで殺人件数が大幅に低下した数百年前に、実質的な利子率も10%以上から2%前後にまで大幅に低下したことを示している

神経伝達物質
  • カテコールアミン
  • ドーパミン
  • セロトニン
  • ノルアドレナリン
MAO-A遺伝子

1788年から1868年までのあいだに、168,000人のイギリス人が有罪判決を受けてオーストラリアの流刑植民地に送られたが、今日のオーストラリア人は創始者集団の乱暴者の形質を受け継いでいるといると思う人もいるかもしれないが、オーストラリアの殺人率は本国の殺人率より低いどころか、世界で最も低い部類に入るのである

【道徳とタブー】

心理学者のジョナサン・ハイトは、道徳規範を言葉で説明するのがいかに難しいかを力説し、その現象を「道徳の無言化」と称している

人はしばしば、ある行為が不道徳だと直感的に判断するが、それではなぜその行為が不道徳なのかを説明しようとすると、答えに詰まって、しばしば最後まで理由を考えつけないのだ

ジョナサン・ハイトの著書は偶然にも最近読んだばかりです。

道徳は人びとを結び付けるのと同時に盲目にする。

それは、自陣営があらゆる戦いに勝利することを世界の運命がかかっているかのごとく争うイデオロギー集団に、私たちを結び付けてしまう。

自分たちとは異なる道徳マトリクス(6つの道徳基の組み合わせで構成されている)のもとで生きている人々と理解し合うことを、不可能とは言わずとも極めて困難にしている。

ハイトの5つの道徳基盤は、シュウェーダーの三分法、フィクスの人間関係モデルの分類に以下のように体系化することができます。


イスラエル・パレスチナ問題において、仮想の和平協定を提案して実験を行った結果は実に興味深いものでした。

参加者に、人民が平和に暮らせる保証(たとえば年間10億ドル)を追加したうえで提案されると、絶対主義者はタブーのトレードオフを強制的に熟慮させられる結果になったため、さらに怒り、嫌悪して、すぐにでも暴力に訴えようとする姿勢をとった

表向きには神聖とされている価値の多くは、じつのところは疑似神聖で、タブー視されているトレードオフの枠組みをうまく変更すれば、妥協は決して不可能ではない

双方が自分たちの神聖な価値の一つを互いに譲るようになっていた場合は、敵が神聖な価値に関して象徴的な譲歩をしてくれて、しかもこちら側の神聖な価値を認めてくれるとなれば、絶対主義者も怒りや嫌悪を和らげて、暴力も辞さないという考えを引っ込めるようになるのである

人間の道徳感覚は、必ずしも平和の妨げとなるわけではない。しかし神聖性とタブーの心理が野放しにされている場合には、道徳感覚が障害となりうる。この心理をきちんと統制して合理的な目標も向け直せば、そのときにこそ、真に道徳的と呼ぶことのできる結果が生まれるだろう

2023年11月現在、イスラエル軍がガザ地区に侵攻してハマスとの戦闘状態に入っており、パレスチナ問題は長い歴史を経ても未だに解決に至っていません。

(出典:東亜日報

ひとつの明白な推進力は、地理的、社会的な流動性である。人々はもはや、順応や連帯が日常生活に必須とされて、排斥や追放が社会的な死となる、家族や村や部族などの狭い世界に閉じ込められてはいない

成功を求めて別の集団の輪に飛び込むこともでき、そこで別の世界観にさらされて、もっと普遍的な道徳律を知るようになり、その結果として、自分の属する集団を盲目的に崇敬することよりも、個人の権利を尊重することのほうが大事だと思うようになる

これは紛争問題に限らず、我々すべての生活シーン(人づきあい、転職、引っ越し、体育会、組織)においても極めて重要なポイントではないでしょうか。

【理性】

計量歴史学的な測定方法で24名の大統領のデータセットを分析

ブッシュ(息子)の数値も知識人層の平均値よりずっと上をいっているのだが、歴代大統領のなかでは三番目に低く、新しい経験に対する柔軟性では、100点満点中0.0という恐るべきスコアで最下位になっている

この手法で、日本の政治家、特に首相候補の政治家も分析してほしいと切に思います。。。

Q
計量歴史学的な測定方法で日本の歴代首相のデータセットを分析して、首相の行動や決定を分析する研究結果はありますか?

ChatGPT
日本の歴代首相の行動や決定を分析する研究はありますが、計量歴史学的手法を使って数値化する試みは限定的です。歴史学や政治学の分野では、特定の首相の政策決定や行動の詳細な分析が行われていますが、これを数値化し客観的に評価する研究はまだ一般的ではありません。

一部の研究では、特定の政策の成功や失敗、経済指標や政治的影響などを考察するために、データを使用することがあります。しかし、首相個人の特性や資質を数値化して評価することは難しく、多くの場合、主観的な判断や資料に基づく推測が含まれることがあります。

もしご興味があるのであれば、特定の首相の政策や行動に関する論文や学術的な文献を探してみることをお勧めします。また、歴史学や政治学の専門家や研究者が行った特定の首相に関する分析を探すことも有益かもしれません。

フリン効果:知能指数(IQ:平均値100)が、過去数十年間で平均スコアが世界中で上がり続けている


道徳の拡大と暴力の減少につながる理性のエスカレーターをフリン効果が加速させる

社会がある程度の文明化をはたしたところで、そこからさらに暴力を減らすのに最大の希望を与えてくれるのが理性なのだ

共感、セルフコントロール、道徳感覚は、もちろん重要なものではあるけれども、あまりにも自由度が少なく、あまりにも適用範囲が限定されている

10. 第10章 天使の翼に乗って

最終章は、上下巻1350ページの内容の総まとめです。

ここで私がやろうとしているのは、暴力の低下に向けて推進してきた大きな力を特定することである

そのための材料は、歴史に関する章(第2章から第7章)の展開と、心理学に関する章(第8章と第9章)の展開から探すことになる

「平和化のプロセス」「文明化のプロセス」「人道主義革命」「長い平和」「新しい平和」「権利革命」のすべてに通底する縦糸を見つけようとしているのだ

これらの6つの各項目は、プレデーション(捕食)、ドミナンス、リベンジ、サディズム、イデオロギーのいずれかが、セルフコントロール、共感、道徳、理性のいずれかに打ち負かされてきた過程なのである

兵器と軍縮
資源と力
豊かさ
宗教

著者は、これらの要素が暴力根絶の大統一理論にまとまるとは期待しないでほしいと述べています。

私たちの人生にどれほどの苦難があろうとも、そしてこの世界にどれほどの問題が残っていようとも、暴力の減少は一つの達成であり、私たちはこれをありがたく味わうとともに、それを可能にした文明化と啓蒙の力をあらためて大切に思うべきだろう

現代が過去の忌まわしい暴力の時代と比べれば恵まれた時代というのは間違いないでしょう。

11. まとめ

今回上下巻を読み直してブログにまとめるのにも膨大な時間を要しましたが、それだけの価値のある作業でした。

筆者は、現代の私たちは暴力を減らすたゆまぬ人類の努力の恩恵を受けている時代に生きており、人類にはさらに暴力を減らす良識を持っているはずだ、と締めくくっています。

[現代は歴史上最も平和な時代なのか]『暴力の人類史(上)』(スティーブン・ピンカー) [同時多発テロから22年 - 人類は暴力を克服できるのか] NHKのドキュメンタリー番組『暴力の人類史』  [目に見えないゴリラ] 『錯覚の科学』(チャプリス/シモンズ)が解き明かす思い込みと錯覚の世界    [対立を超えるための道徳心理学]『社会はなぜ左と右にわかれるのか』(ジョナサン・ハイト)より    [悪徳は社会の繁栄の源である] ベストセラー経済書『善と悪の経済学』(トーマス・セドラチェク)より

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