久しぶりにクラシックコンサートに出かけてきました。
シェク&イサタ カネー=メイソン デュオリサイタル、と聞いてもピンと来ないかもしれませんが、このイギリス出身のデュオ(姉弟)の実力は並大抵のものではありません。
チェリスト(弟)のシェク・カネー=メイソンは、名門デッカ・クラシックスとチェロ奏者として史上最年少で専属契約を結んでいるのです。
イサタ(姉)のほうも、デッカ・クラシックスと録音契約を結んでおり、数々の音楽賞の受賞歴も多数。
そのうち国内で知名度が上がったら、こんなスーパーデュオの演奏を聴けるチャンスはもう来ないかもしれません。
リサイタルは、期待どおりの素晴らしいものでした。
0. シェク&イサタ カネー=メイソン デュオリサイタル
まずはこちらの演奏をぜひお聴きください
Rachmaninoff: Cello Sonata in G Minor, Op. 19 - II. Allegro scherzando
リサイタルの演奏曲目だった、ラフマニノフのチェロ・ソナタの第2楽章(個人的に気に入っている)です。
シェク・カネー=メイソンのチェロは雄大かつ大胆、イサタ
カネー=メイソンのピアノはどこまでも抒情的です。
世界のクラシック界で、黒人のアーティストというのはなぜかほとんど存在していません。
ChatGPTに聞いてみました。
User
クラシック音楽で、演奏家や指揮者に黒人がほとんどいない理由はなんですか
ChatGPT
クラシック音楽界において黒人の演奏家や指揮者が少ない理由は複雑ですが、歴史的な要因や様々な社会的な側面が影響しています。
歴史的な差別:
長い間、クラシック音楽界はエリートであり、白人中心の環境でした。過去には、黒人や他の少数派の音楽家が差別や偏見に直面し、同等な機会や教育を受ける機会が制限されていました。これにより、黒人の音楽家がクラシック音楽の世界で成功することが難しかったのです。
教育へのアクセス:
音楽教育はクラシック音楽の世界での成功に不可欠ですが、一部の地域やコミュニティでは音楽教育へのアクセスが限られていることがあります。経済的な問題や社会的な制約により、多くの黒人の子供たちが音楽教育を受ける機会に制約を受けていることがあります。
業界の構造とネットワーク:
クラシック音楽界はしばしば既存のネットワークやつながりが重要となります。指揮者や演奏家になるためには、良い教育を受けるだけでなく、業界内でのコネクションや機会が必要です。これは、過去に差別された少数派の人々にとってハードルとなることがあります。
文化的な要因:
黒人の文化的背景や音楽の伝統が、クラシック音楽とは異なる場合があります。そのため、黒人の音楽家が他の音楽ジャンルで活躍することが多い一因です。
こうした問題に対処するために、近年では多様性と包括性を重視する動きがあり、黒人や他の少数派の音楽家に対する支援や奨学金プログラム、アクセス改善のための取り組みが進められています。その結果、少しずつですが、より多くの黒人の音楽家や指揮者がクラシック音楽界で成功を収めるようになってきています。
うーーん、イマイチ説得力に欠ける回答だなぁ
そういえば、映画『グリーン・ブック』(素晴らしい映画です)では、実在の黒人ピアニストが主人公だったっけ。。。
調べてみたら、ドン・シャーリー(1927-2013)という黒人ピアニストでした(以下Wikiより引用)。
シャーリーはシカゴ交響楽団やワシントン・ナショナル交響楽団との共演歴があるほか[8]、ニューヨーク・フィルハーモニックやフィラデルフィア管弦楽団のために交響曲を書き下ろしている。また作曲家としても活動し、オルガン交響曲、ピアノ協奏曲、チェロ協奏曲1曲、3曲の弦楽四重奏、一幕のオペラ1作、その他オルガン・ピアノ・ヴァイオリン曲、ジェイムズ・ジョイスの小説『フィネガンズ・ウェイク』を基にした交響詩、『地獄のオルフェ』を土台とした一連の「変奏曲」"Variations"
も作曲している[13]。
(引用おわり)
ともかく。。。
幸運にも、初来日のチケットが2枚取れたので、ピアノの恩師を誘って、四谷の紀尾井ホールへ。
12月初旬にしてはかなり暖かい日でした
上智大学のイグナチオ教会
紀尾井ホールに到着
S席、ピアノもバッチリ見える良い席でした
以下はリサイタルのプログラム
1. ブリッジ:チェロ・ソナタ 二短調
豪快なシェクのチェロと、華麗なイサタのピアノ伴奏。
いきなりテンションの上がる演奏で、この難曲を見事に聴かせてくれました。
ブリッジという作曲家は初めて知りました。
ウィキペディアによると
フランク・ブリッジは、イギリスの作曲家、弦楽奏者、指揮者。
ホルストやヴォーン・ウィリアムズらによる民謡に依拠した作風が20世紀初頭のイギリス楽壇の主流となる中にあって、同時代のヨーロッパ大陸のさまざまな新音楽に触発されつつ、独自の前衛音楽を貫いた。
管弦楽曲「海 The Sea 」(1911年)やチェロ協奏曲「祈り(オランダ語版)
Oration 」(1930年)、児童向けオペラ「クリスマス・ローズ The Christmas
Rose
」(1929年完成、1932年初演)といった大作があるものの、今日では室内楽の作曲家として高く評価されている。
とあります。
第1楽章は、ドラマティックで緩急のメリハリが際立つ展開。
第2楽章は、ピアノとチェロが対話をしているような静かな局面から離散的に盛り上がり、フィナーレは力強く締めくくられました。
イサタの演奏は抑揚を効かせて理知的、シェクの演奏は対照的に情熱的かつ実に朗々としていて印象的でした。
ブリッジのチェロ・ソナタは前衛的といっても決して難解な音楽ではなく、個人的にはスッと雰囲気に溶け込めました。
演奏を終えて、シェクのチェロは弦が切れているのが見えました。あれだけ情熱のこもった演奏ではムリもないですね。。。
久し振りのライブ演奏鑑賞はやっぱり至高のひとときですね~
2. ショパン:チェロ・ソナタ ト短調
ショパン最晩年の作品のひとつ、精神的にも深い曲です。
ショパンのピアノ作品はどれも猛烈に好きなのですが、これは個人的にはなかなかとっつきにくい曲なんですよね。。。
ちなみに私はショパンのピアノソナタ第3番があまりに弾きたくて、そんな技巧はまったくないにも関わらず、今でもチャレンジを続けています
笑
今回のリサイタルで、苦手意識が消えればと願って聴きましたが。。。
。。。うーーーん
演奏云々とは関係なく、どうしてもこの曲の良さが理解できず、消化不良となってしまいました。
3. ラフマニノフ:チェロ・ソナタ ト短調
白状すると、ラフマニノフの作品って、ピアノ協奏曲も含めてどれもあまりに抒情的過ぎて大袈裟で苦手なんです。
マーラーとラフマニノフはワタシの双璧をなす苦手作曲家 笑
第1楽章は、オーソドックスな感じで進みます。おっ、なかなか良い感じだぞ。
第2楽章は、ピアノとチェロのスリリングな駆け引きが楽しめますが、シェクのチェロは、どこまでも質実剛健でありながら、抒情的なしなやかさも併せ持ってます。
イサタのピアノも、ラフマニノフの豪華絢爛なスコアに忠実にダイナミックな演奏を繰り広げますが、チェロを引き立てて自分は自己主張を控えているようにも聞こえます。
第3楽章は、逆に、抒情的なピアノが主役になって、チェロは控えめに弾いているように感じました。
そして、チェロとピアノが激しく競演する第4楽章では、姉弟デュオなのか、調和が素晴らしい。
なんというか、アルゲリッチとマイスキー(なんかの名盤だったと思います)のような自己主張のぶつかり合いのような緊張感とは違うものを感じました。
ラフマニノフのチェロ・ソナタ、ラフマニノフでもこれは気に入りました!笑
ガツンと衝撃を受けたような余韻を残してリサイタルは終了。
拍手は鳴り止まずに、アンコールに応えて2曲(レナード・コーエン:ハレルヤ、ショパン:チェロ・ソナタより第3楽章)も披露してくれました。
シェク・カネー=メイソン、イサタ・カネー=メイソンともに、いずれ偉大な演奏家になるのでしょうか、将来が楽しみですね。
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