[中東を席捲するジハード主義とテロリズムの脅威]『戦場としての世界』③(H・R・マクマスター)

H・R・マクマスターの『戦場としての世界』(2021年)を読みました。



トランプ政権で国家安全保障担当大統領補佐官を務めた著者が、中国、ロシア・イラン・北朝鮮などの脅威に対して、自らの経験に基づいて綴った超ハードな国際政治・外交の現代史です。

ロシア、中国に次いで、今回は中東のトピックを取り上げます。

平和な日本に住んでいる限り、決して知る機会のない(メディアでも報道されない)衝撃の事実の数々。。。私自身の生涯ベスト本に入る1冊です。

以下に本著の内容を所感をまとめました(太字は本文より引用)。

1. H・R・マクマスター

『戦場としての世界』の著者H・R・マクマスターは、1962年生まれのアメリカ合衆国の退役軍人です。

前回の投稿より一部抜粋して再掲載します。

陸軍能力統合センター長、陸軍訓練教義コマンド 副司令官、ドナルド・トランプ政権の国家安全保障問題担当大統領補佐官を歴任しました。

H・R・マクマスター(写真:ロイター/アフロ)

マクマスターは軍人として34年間にも及ぶ陸軍勤務(もちろん命を賭けた実戦も含む)を経験しているだけでなく、軍人は歴史を学ぶべきという信念に基づいて、ウエストポイント(陸軍士官学校)を卒業後にノースカロライナ大学で歴史学の博士号を取得しています。

2. 『戦場としての世界』

こちらも前回の投稿より一部抜粋して再掲載します。

日本に迫られる決意と覚悟!
戦略的ナルシシズムから脱却せよ!
安全保障担当大統領補佐官を務めた卓越した戦略家が、中国、ロシアなどの攻勢・企てに警鐘を鳴らし、 世界のリアリティを伝えます。


【目次】

第1部 ロシア
第1章 恐れ、名誉、そして野望:プーチンの西側に対する追い落とし作戦
第2章 プーチンの策略をかわす

第2部 中国
第3章 統制への執着:中国共産党が突き付ける自由と安全に対する脅威
第4章 弱みを強みに変える

第3部 南アジア
第5章 1年限りの戦争が20回もの繰り返しに:アメリカが南アジアに抱く幻想
第6章 平和のための戦い

第4部 中東
第7章 いとも簡単だなんて誰の入れ知恵?:中東への見方、楽観からあきらめに
第8章 悪循環を断つ

第5部 イラン
第9章 悪しき取引:イランの40年に及ぶ代理戦争と成立しなかった和解
第10章 選択を迫る

第6部 北朝鮮
第11章 狂気の定義
第12章 それらがなければ、彼はより安全に

第7部 アリーナ
第13章 新たな競争の舞台へ

3. 中東

スンニ派のジハード主義テロ組織の最新勢力であるISIS(イスラム国)が地球規模で大きな痛みと苦しみを引き起こしていた

イラクはそのISISを打ち破るための戦いの中心地だった

2003年のアメリカによるイラク侵攻の後に、アメリカは事態への準備を怠り、2011年に拙速にイラクから兵力を撤収したことで、治安の崩壊が連鎖的に広がった

9.11の同時多発テロ発生で、アメリカはイラクが大量破壊兵器を隠しているという大義のもとに戦争を始め、フセイン元大統領を処刑しましたが、その後のイラクの民主化への移行を完了させることなく撤退したことにより、イラクは治安崩壊を起こし、ISIS(イスラム国)の台頭という最悪の結果に繋がりました

イラクが中東で安定した民主国家となり、なおかつ隣国のイランとは連携しないことが不可欠という、困難極まる戦略にアメリカは大失敗したということですね。。。

イランはイラクを弱体化し、内部分裂させることに余念がなかった

同じ中東のイスラム主義の隣国でありながら、イラン(シーア派)とイラク(スンニ派)は、長年に渡って敵国同士であり(イラン・イラク戦争、1980-1988)、1990年には国交回復したものの、イランがイラクに住むシーア派を支援するなど、真の和解に至っていません

タル・アファル(イラク)


タル・アファルは、イラク北部のニーナワー県第2の都市。 県都モースルの63km西、シンジャールの52km東、キルクークの200km北西に位置する。 2015年7月1日の人口は16万7200人で、その殆どがトルクメン人である。 同国でトルクメン人が多数派の都市はここだけである(Wiki)


2005年のタル・アファルはアルカイダのイラク全土における作戦活動のための訓練場であり、中継基地になっていた

すでにアメリカ軍はイラク北部の駐留部隊を削減していたため、この都市はシーア派の警官たちと、スンニ派を主体とするアルカイダのテロリストたちの戦場となっていた

友人どうし、近所どうしの関係だった各家庭はスンニ派、シーア派のいずれにつくのか迫られた

人びとはバリケードを築いて自宅にたてこもり、警察は暗殺部隊に変貌して夜な夜な出勤しては、軍役に就く年齢層のスンニ派の男性たちを無差別に殺害した

テロリストは親たちに思春期やティーンエイジの男の子たちを手放すよう強要し、連行してきた若者たちを性的に虐待し、計画的に人間性を奪い去る通過儀礼を経験させて戦闘の現場に送り込んだ

こんな地獄のような状況が、今から20年前に人口15万の都市(東京でいえば中央区や武蔵野市くらい)で実際に起きていたとは。。。

でも、なぜISIS(イスラム国)でなくてアルカイダ?

実は、イラクに拠点を置くISIS(イスラム国)のテロ組織は、イラクのアルカイダ(AQI)から派生した組織なのです。

2005年5月、タル・アファルの治安を回復させるためにアメリカ陸軍の第3機甲騎兵連隊が現地に到着した

この先の話は、元イラク首相のハイダル・アル・アバディが、著者の要請に応じて、タル・アファルの治安回復に尽力した流れが説明されています

ハイダル・アル・アバディ

(以下はWikiより引用)

1952年生まれ。バグダード工科大学で電気工学を学んだ後、1981年にイギリスマンチェスター大学にて電気工学博士号を取得した。

1967年にダアワ党に入党した。反政府活動に参加していた兄弟のうち2人がサッダーム・フセイン政権下で処刑された。その後、2003年の米国主導のイラク侵攻まで、エンジニアリング業界のコンサルタントとして英国で働く一方、亡命イラク人達によるダアワ党指導者を務めた。フセイン政権崩壊後は2003年から2004年まで通信大臣を務め、戦争によって破壊された電話システムを再構築し、初の携帯やインターネット契約をもたらした。

2014年8月11日、過激派組織ISILの勢力が拡大する中、新たに選出されたフアード・マアスーム大統領により次期首相に指名された。

2018年9月にバスラで発生した暴動事件を受け、議会第1勢力のサイルーンと第2勢力のファタハ同盟はそろってアバーディに辞任を要求。10月にバルハム・サリフが新大統領に選出され、アバーディは10月25日に首相を退任した。

(引用おわり)

アバディはタル・アファルの暴力を扇動する警察署長を左遷して、後任にはスンニ派のナジム・アベド・アブドラ・アル・ジボウリ陸軍少将を新しい署長に任命した

アバディとマクマスターは、現在を知るためにはまず過去を理解しなければならないと信じていたという共通点があります

タル・アファルに住む様々な民族・宗派のグループ間の相互理解を促進し、すべての住民にアルカイダが戻ってこれないようにするための貢献を求めた

この都市に元の生活が戻り、学校や市場は再開し、バリケードを築いたままの家は珍しくなった

ジボウリ署長の極めて勇気あるリーダーシップでタル・アファルには平和が戻ったわけですが、ジボウリ自身が払わされた代償はとてつもなく残酷なものでした(後に記述します)

ちなみに、タル・アファルにアメリカ陸軍の第3機甲騎兵連隊が現地に到着した2005年5月の最初の1週間にイラク全土では何が起きていたか調べてみました

以下は「「イラク戦争」関連年表 2005年5月」より引用です


(引用おわり)

たった1ヶ月でこれだけの犠牲者が出ている(タルアファルは赤字の3件)。。。悲惨過ぎるとしか言いようがない。。。

以下はイラクの近代史について

イラクでは1921年にイギリスによって建国されたハシム朝が同じく58年にクーデターによって崩壊した

最後の国王は23才のファイサル2世だった。国王は7月14日、宮廷の中庭の壁に向かってほかの家族と共に並ばされた。機関銃が火を噴き、銃創だらけの国王の体は街灯柱に吊るされた

アフガニスタンのナジブラ大統領の最期を彷彿とさせます

軍事クーデターで失脚して軟禁されていたナジブラ大統領は、その後タリバンが首都カーブルを制圧して政権を獲得すると、逃亡用の自動車から引きずり出され、捕縛され、生きたまま?去勢され、遺体を街路に吊るされました(記憶が正しければ)

政権転覆の際には必ずこういった残虐な処刑がされるのは一体なぜでしょうか。。。

その後のイラクは、アラブのナショナリズム台頭の流れ(エジプトがイスラエルに敗戦、フセインのクーデター、イラン・イラク戦争)の歴史を進むことになります。

ところで、シーア派(イラン)とスンニ派(イラク)は何が違うのでしょうか?

シーア派:ムハンマドの従弟で女婿のアリー・イブン・アビー・ターリブがムハンマド自身によって指名された後継者だと信じる者たち

スンニ派:ムハンマドは後継者を指名せず、アブー・バクルがムハンマド没後の正当な初代カリフだと信じるものたち

両派はカルバラの戦い(680年)で激突し、シーア派の軍勢は惨敗した。シーア派にとっては自分たちの歴史、伝統、文学、そしてイデオロギーをめぐる感情を揺さぶる機転となる戦闘だった

うーーん、全く理解できません。。。

7世紀という大昔の後継者争いが、現代にまで引きずっているというのは、日本で言えば蘇我氏と物部氏の抗争の禍根が現代にまで日本民族を分断するというのとほぼ同じでは??

ちなみに。。。

世界のイスラム教徒の9割はスンニ派です

ただ、イランではシーア派が人口の9割、イラクでは6割を占めています。一方、サウジアラビアではスンニ派が85%を占めます。シリアはスンニ派が7割ですが、統治するのはシーア派に近いアラウィ派のアサド政権です。

スンニ派はコーラン重視
シーア派はリーダー(血脈)重視(偶像崇拝)

イランとイラクの確執や対立は、単にシーア派(イラン)とスンニ派(イラク)という宗派対立ではなく、イスラム世界全体では少数派のシーア派が中止のイランが、同じシーア派の同士が多いイラクを何とか併合したいという野望と捉えることができます

もちろん、アメリカを筆頭に欧米は、イラクを民主国家に変遷させたいので、イラク国内のシーア派とスンニ派を何とかして対欧米の急先鋒であるイランの影響力を排除した上で和解させたいのですね

タリバンやアルカイダといったテロリスト集団はスンニ派です

ヒズボラやフーシ派といったテロリスト集団はシーア派です

スンニ派にもシーア派も穏健派と過激派がいるので、どの国が何派で、どのテロリストが何派という単純な構図ではないですね。。。

では、イスラエルとガザ地区で交戦中のハマスは何派でしょうか?

ハマスはスンニ派です

しかし、ハマスはイラン(シーア派)から軍事支援を受け、対イスラエルでレバノンのヒズボラ(シーア派)と協調しています

中東情勢は複雑極まりないですね。。。

アバディは2014年に政権を引き受けるにあたり、当時、バージニア州に住み、アメリカの市民権の取得を予定していたジボウリにイラクに戻るよう依頼した

ISISのテロリストたちはジボウリがイラク北部に帰還したと知ると、彼の近親者を含む一族と彼が属する部族を集めて拷問を加え殺害した。数か月前にはISISがジボウリの家族のうち6人を金属製の檻に入れ、底の棒に鎖でつなぎ、プールに沈めて溺死させたという

覚えていますか。。。ジボウリとは、タル・アファルに平和を呼び戻したあの警察署長です!

凄まじい使命感。。。ぬくぬくとアメリカ市民になってイラクの混乱とは無縁の生活を送ることもできたであろうに。

そうすれば彼の家族も惨殺されることもなかったろうに。。。

ナジム・アベド・アブドラ・アル・ジボウリ陸軍少将の詳細は、ネットを検索しても見つけることはできませんでした。

アバディは、シリアの内戦がこの地域を悩ます宗派間の闘争の震央だと説明した。アサド政権が長年にわたり、スンニ派、シーア両派のテロ組織を支援してきた。その対象には、ハマス、ヒズボラ、AQI、パレスチナ・イスラム・ジハード運動(イスラム聖戦機構)、そしてクルド族のテロ組織であるクルド労働者党(PKK)が含まれていた。

アサドがイランの代理人として行動し、イラクおよびアラブ世界を弱体化させ、分裂させるためにこの地域の各地で紛争の炎を掻き立てていると説明した

シリアとイランが中東情勢やテロリストの黒幕として暗躍しているわけですが、現在は弱体化したシリアは別として、イランについては次回のトピックで詳しく取り上げます。

ジボウリもアバディも、アルカイダ、イランの両方にとって脅威だった。彼らは優れた調停者であり、人間愛を重んじる本物のヒューマニストだ。

この文脈から察すると、ジボウリもアバディもいずれはテロリストによって暗殺される結末を迎えるのではとハラハラしながら読み進みました

1991年のイラクのクウェート侵攻のあと、アメリカは砂漠の嵐作戦でクウェートを解放したわけですが、サダム・フセインを退陣(もしくは捕獲/殺害)するには至りませんでした。

その結果、アバディの家族(3人の兄弟のうち2人)を含む自国民25万人は、フセイン政権によって殺害されてしまうことになります

アバディと、タルアファルの市長になったジボウリは、治安の維持に不可欠だったスンニ派とシーア派のコミュニティの間の融和に貢献した。

しかし、2004年から2005年にかけてタルアファルを中心に繰り広げられた宗派間の衝突は、や2006年から2008年にイラク全土へ広がった。暴力が暴力を生む悪循環は、アメリカがイラクへの関与を大きく後退させる2011年以降、この地を再び苦しめることになる

結局、タルアファルに戻った平和は束の間のことで、再び暴力が吹き荒れる事態、というか、AQIから派生したISIS(イスラム国)の残虐なテロリズムは以前よりも悪化することになりました

戦略的ナルシシズム

イラクの政府と治安部隊には全責任を負う能力があるのだと、あまりに過大評価していた

ふと考えたのですが、今年の大統領選挙でトランプが返り咲いたら、NATOに軍事費の負担を強要し、それに応じなければロシアのウクライナ侵攻を含めて、自衛してくれというのも、NATOにはロシアの領土拡張を阻む全責任を負う能力があるのだと、過大評価することとになるのでは?

アメリカが欧州への軍事的関与を大きく後退させたことに起因して、もしロシアが次にバルト三国やフィンランドにも侵攻したら、それこそ戦略的ナルシシズムによる失敗ということになります

(出典:nippon.com

(上の地図のウクライナの北部に国境を接するのはロシアの同盟国ベラルーシ)

2011年12月にオバマ大統領は「我々は代議制の政府を持ち、主権のある安定し、自立したイラクを後にする」と宣言した。オバマ政権はアメリカの撤退を戦争の終結と同等に扱ったが、それは一方的なものだった

残念ながら、アメリカが外交・軍事の面でイラクに関与しなくなったことで、宗派間の大規模な暴力の復活、イランのイラク政府およびシーア派の住民に対する影響力の拡大、さらにはAQIの新バージョンであり、歴史上、最も強力なジハード主義のテロ組織であるISISの興隆へと道を拓く結果となった

まさに最悪の展開ですね。。。

ISISは2014年にシリアで日本の民間人2名を殺害しました

(出典:cnn

ISISによるシリアで最も残虐な事件は2014年8月に起きた。反アサドのアルシャイタト部族の約1000人が1日で殺害された

この事件は知りませんでした。。。犠牲者の数では、ISISに拘束されて処刑された犠牲者の総数を大きく上回ります

また、2015年には、拘束したヨルダン人のパイロットをガソリンで焼き殺すという惨殺事件のことも鮮明に覚えています

(出典:withnews

ISISのテロ活動は中東に留まりません

2015年11月にはパリで市民が大勢殺害され、イエメンでモスクが爆破され、チュニジアで旅行者たちがテロの標的となり、アンカラとベイルートで自爆攻撃が発生、シナイ半島上空でロシア機が爆破、墜落し、12月にはアメリカのカリフォルニア州サンバーナディーノで銃の乱射事件が引き起こされた

アメリカが費やした人的、金銭的な資源は、イラクから撤退せずに部隊を展開し続けて情勢を安定させ、さらにシリアの内戦に早めに手を打って多くの残虐行為を抑えるためにかかったであろう費用をはるかに上回った

しかし、ISISもやがてイラクから掃討されることになります

ISISは、2017年8月20日にイラク北部の都市タル・アファルにおいて、イラク政府軍と連合軍が掃討作戦を開始し、同月31日にISISに対して勝利宣言をしました

10月17日には、アメリカが主導した有志連合軍の支援を受けたシリア民主軍が、イスラム国が首都と宣言したラッカを制圧し、事実上イスラム国は壊滅しました

しかし、まだISISとの戦いは続きます

2019年10月、米陸軍特殊部隊はISISのリーダーのアブ・バクル・アル・バグダディと報道担当のアブ・ハッサン・アル・ムハジルを殺害した

戦闘に敗れたISISは大きく揺らいだが、持ち堪えた

予期しないタイミングで、また調整もないまま、トランプ大統領が米軍のシリアからの撤退を発表し、それに伴って一部のISISの囚人たちが解放された結果、ISISの再生、ないしその後継集団の登場の可能性が高まった

ISISは一時の勢力は失ったものの、現在もテロ活動を続けています。

以下は2024年1月5日のニュース記事「ISが犯行声明、イラン・ソレイマニ氏墓所での爆発について」からの引用です。

爆発は、2020年にアメリカに殺害されたイラン革命防衛隊のカセム・ソレイマニ司令官の墓所近くで起きた。ソレイマニ氏の死後4周年を追悼するために集まっていた群衆を襲い、84人が死亡、多数の負傷者が出た。


死者数は当初95人とされていたが、イランの緊急サービスは4日朝にこれを下方修正した。

(引用おわり)

4. まとめ

それでもさしあたり最も重要になるのはイランへの対抗かもしれない。イランは宗派間の暴力をあおってアラブ世界を恒久的に弱体化させ、アメリカをこの地域から追い出し、イスラエルを脅かし、自国の影響力を地中海にまで広げようとしている

ということで、『戦場としての世界』次回のトピック④は「イラン」です。


(以下順次追記予定)

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