[ベトナム旅行記その1 - ハノイ] 混沌過ぎる旧市街をバイクタクシーで巡る

 妻とベトナム旅行に行ってきました。


北部のハノイとその近郊(ハロン湾、クアットドン村、ヴァンフック村、バッチャン村)を4泊6日、世界遺産や伝統工芸の産地を訪れてきました。

以下は旅行記その1(ハノイ市街)です。

1. ベトナム

1.1 旅行のきっかけ

ベトナムは、以前からいつか行ってみたいと思っていました。

ベトナムは、南北に1000km以上伸びた国土が特徴です。歴史のある北部の首都ハノイと、商業の中心の南部のホーチミン(旧サイゴン)の間を南北統一鉄道が通っています。

(出典: 南北統一鉄道

地球の歩き方のベトナム編が1994年に刊行されたときは、早速購入して旅行の構想を練りましたが、当時は観光ビザが必要だったり、いろいろと制約があり、これまで訪れる機会がありませんでした。

ではなぜ今回妻とベトナムに行くことになったのか?

それは、今年の夏休みの家族旅行にベトナム中部と南部(ホーチミンとダナン)に行くのですが、北部のハノイは旅程の都合で訪問予定に入っていませんでした。

しかし、妻がどうしても北部も行ってみたいということで、それなら夏休みの前に別に計画しようということで、家族全員のスケジュールを調整して、娘たちに留守番を任せてハノイに行くことにしたのです。

ちなみに妻との旅行はハネムーン以来 笑

1.2 ベトナムの歴史

ベトナムの歴史については、ベトナムの歴史:入門書というサイトに詳しく紹介されています。

2世紀から15世紀まで1000年に渡り中国の支配を受けましたが、王朝が独立、ハノイに独立政府を置きました。

15世紀から19世紀までは再び中国の侵攻を受けましたが、歴代の王朝が南北に渡る国家を統一。

ところが、19世紀にはフランスがベトナム全土の支配権を確立し、近隣のラオスとカンボジアと共にベトナム中部および北部地域を征服して植民地支配を受けることになります。

第2次世界大戦中に今度は日本がベトナムへ侵攻、1940年から45年は日本がベトナムを植民地化しています。

日本の支配下では、ベトナム国民に対する経済的な苦難や抑圧が多く見られました。たとえば、強制労働や資源の略奪、飢餓や物資不足などが問題となりました。また、日本の教育政策により、ベトナムの伝統文化や言語が抑圧され、日本の文化や価値観が押し付けられた面もありました。

そのため、ベトナム国民にとっては良い統治とは見なされておらず、むしろ苦難や抑圧の時期として記憶されています。

日本の支配下時代に、ホーチミンが共産主義者と民主主義者を団結させベトミンを結成、そのリーダーとなってハノイから南下、日本が第2次世界大戦に敗戦した1945年には、ハノイのバーディン広場において独立国家を宣言しました。

その後は、フランスが再びインドシナ戦争(1946~54年)で植民地化を試みましたが、停戦に関するジュネーヴ協定で,ベトナムを南北に2分する北緯17度線に暫定軍事境界線が引かれ,ベトナム民主共和国側の軍隊はその北に,フランスおよびバオダイ政権の軍隊は南に集結することになりました。

これがベトナムの南北分断の始まりであり、社会主義の北部と資本主義の南部の対立を生むことになります。

その後はアメリカの介入が徐々に強まり、ベトナム戦争に繋がります。

北爆の本格化と地上軍の投入された1965年からベトナム戦争は本格化し、1968年のテト攻勢により北ベトナム軍が有利な戦況となり、1975年4月30日に北ベトナム軍が南ベトナムの都市を占領したため、最終的にアメリカ軍はサイゴンから撤退してベトナム戦争は終結しました。

しかし、ドミノ現象(周辺諸国も共産国家化する)は起きず、国家も独自のドイモイ政策により、経済的にも成長を遂げて現在に至ります。

1.3 ベトナムの言語・文化

ちょうど先月、都内で開催されたベトナムフェスティバルに行き、ベトナム料理や民芸品についてはいろいろと知る良い機会になりました。

[ベトナム・フェスティバル2024] 大盛況のイベントに参加、ベトナム料理も堪能

代表的なベトナム料理は、フォー、バインミー、ブンチャーなど。

ベトナムの傘帽子はノンラー、女性の民族衣装はアオザイと呼びます。

ベトナムには54の民族が共存していますが、そのうちのキン族は総人口のおよそ9割を占める多数民族です。

言語はベトナム語、オーストロアジア語族であり、隣国のカンボジアやラオスとは異なる言語(クオックグー)です。

ベトナム語は男性名詞や女性名詞の語形変化がなく、時制の変化もなく、敬語表現もありません。

主な旅行のベトナム語は以下のとおり

こんにちは:Xin chao(シン・チャオ)
ありがとう:Cam on(カム・オン)
すみません:Xin loi(シン・ロイ)
さようなら:Tam biet(タム・ビエット)

ちなみにベトナムの名前で良く聞くのが、Nguyenさん(グエンさん)ですが、なんと全人口の4割がグエンさんだそうです。

1.4 ベトナム戦争

ベトナムでまず連想するのは、『地獄の黙示録』『プラトーン』『フルメタルジャケット』『カジュアリティーズ』『ディアハンター』『グッドモーニングベトナム』といった数々の名作映画に代表されるベトナム戦争です。


ベトナム戦争では、少なくとも300万人のベトナム人と5万8000人のアメリカ人が戦死しているんですよね。。。

農村地帯にはまだ当時の地雷などが埋まっているのではないかと調べたところ、国土の中部(クアンビン省、クアンチ省)は、地雷・不発弾が数多く残っているものの、ハノイやホーチミン周辺の観光地域は全く問題ないようです。

また、『地獄の黙示録』のロケ地は、ベトナムではなく、フィリピン(ルソン島南東部のパグサンハンと中部の太平洋岸にあるバレル周辺)なんです。


ロバート・デュヴァル扮するギルゴア中佐が激戦中にサーフィンをやる(やらせる)映画の有名なシーンですが、この場所もベトナムではありません。

個人的には『グッドモーニングベトナム』に出てくる田園地帯の風景が、ベトナムを象徴しているんですが、こちらは北部のハノイではなく南部のサイゴン。


そもそもベトナム戦争で米国兵と南ベトナム解放民族戦線(俗称ベトコン)が激烈な地上戦を交わしたのは、南部が中心でした。

なので、今回訪問する北部の地域はベトナム戦争とは関係の薄い地域です。

1.5 旅行の準備

6月はベトナムは雨季でベストシーズンではないのですが、航空運賃が割安で、成田 - ハノイ往復(ANA)大人2名で124,500円(税込)でした。


円安で海外旅行は割高な地域が多いなか、ベトナムはホテルも食事も日本と比較しても格安で行くことができます(為替レートは1ドンVNDが0.0063円)。


ホテルはAgodaで予約、ハロン湾はクルーズ船での1泊2日のツアーを申し込みました。


現地でのネット接続はauの海外スマホ利用(世界データ定額)の4日コース(2760円)を利用しました。


現地での移動手段はタクシーが安いのですが、シェアライドも便利で安いということで(UberやLyftでなく)Grabというアプリをインストールしました。


以下はガイドブック(まっぷる)の地図


以下はベトナム旅行記 - その1 (ハノイ市街)です。

2. 初日

成田からハノイまでは直行便で5時間45分、時差は2時間です


機内ではデューンのPART2観てました


映画『DUNE/デューン 砂の惑星』:ヴィルヌーブ監督の映像美でリメイクされ、新しく蘇った『デューン』の世界

空港から旧市街まではタクシーで50分、建物の室内灯が真っ暗、みな夜は早い?


深夜にホテルチェックイン


明日からの観光に備えてすぐに就寝

3. 2日目

朝6:00起床、朝食(6:30AM~)はホテルのビュッフェ


従業員がみな若い、そして必要以上に数が多い


中央にはドラゴンフルーツ


朝からガッツリとカロリー摂取


タクシーで出発、道路は大混雑


乗り合いバイクや、ノンラー(帽子)かぶったチャリなど


道路は右側通行だけど、交通ルールはないも同然


路面電車のレールが商店街に!


自転車もチラホラ

3.1 ホーチミン廟

ホーチミン廟に到着、メチャクチャ蒸し暑い!


残念ながら内部はメンテナンスで閉鎖中(6月10日~8月12日)でした


隣接するホーチミンの家の敷地へ


ベトナム語しかなくて読めません。。。


ホーチミンの書斎


ショップには多くの肖像画

3.2 一柱寺

一柱寺の円覚門、ベトナムは仏教(大乗仏教+儒教+道教)の国です


リー王朝時代(1009~1225年)に皇帝が息子の誕生を感謝するために建てられた寺


豪華絢爛な御堂内


蓮池の仏堂には


8手の黄金の観音が

3.3 ホーチミン博物館

ホーチミン博物館へ


家族連れで大賑わい、小さな子供がたくさん(総人口1億人、出生率1.94)


内部は斬新なデザインでした


トイレの壁には刺繍画が


ハンディ扇風機も、しかし暑くてたまらん。。。(当日の気温34℃/29℃

3.4 バイクタクシー

広場の出口でバイクタクシーに声かけられました


100,000VND(約630円)でタイ湖のチャンクオック寺まで


ノーヘルでスリル満点


いやーバイクタクシーめちゃ楽しかった!


西湖はハノイで最大の湖、全周17km


レンタサイクルで1周しようかと思いましたが、この暑さではムリ


3.5 チャンクオック寺

リー・ナム・デ王朝(541~547年)に建てられたハノイ最古の仏教寺院


Pagoda(仏塔)


御堂内、仏像の表情が柔らかい


徒歩でタンロン遺跡に向かうも、逆方向に進んでしまいました 笑


で、Grabで車を呼んで移動、31,200VND(200円)安い!


3.6 タンロン遺跡

世界遺産のタンロン遺跡、かつての首都タンロンの城跡


ドアン門に登ってみる


遠くに見えるのは国旗掲揚塔(世界遺産)


北側には発掘品展示室


そそくさと見物を終えて、再びバイクタクシーを利用することに


今回もノーヘル、で、どうせ安いだろうと値段交渉する前に出発 笑

3.7 トレインストリート

トレインストリートの観光スポットに到着、時刻は午前11:28


トレインストリートは、ホーチミンとハノイを結ぶ「統一鉄道」の列車を線路脇から間近に見ることができる観光名所。




わずか幅3mほどの狭い路地にカフェやショップがひしめき合い、その前を電車がスレスレの状態で通り過ぎていきます。


以前は線路内への立ち入りは自由でしたが、現在は安全上の理由からカフェなどを利用する場合に限り許可されています。


立ち入り可能なスポットは、ハノイ駅を挟んだ南北の2カ所がありますが、今回案内されたのは南側のスポットです(北側は後日訪問)。

このトレインストリート、なぜかガイドブックには掲載されていないんですよね。。。

ChatGPTに訊いてみました。

Q: ハノイのトレインストリートはなぜ日本語のガイドブックに紹介されていないのですか

A: ハノイのトレインストリートが日本語のガイドブックに紹介されていない理由として、以下の点が考えられます。

1. **安全性の懸念**: トレインストリートは非常に近い距離で列車が通過するため、安全面での懸念があります。事故のリスクが高いため、ガイドブックが紹介を控える場合があります。

2. **観光の混雑**: トレインストリートは地元の生活と密接に関わっているため、観光客が多すぎると地元住民にとって迷惑になることがあります。ガイドブックがこうした場所を避けることで、観光による混雑を防ごうとする意図があるかもしれません。

3. **正式な観光地ではない**: ストレインストリートは公式に認可された観光地ではなく、観光インフラが整っていないため、ガイドブックが紹介を控える場合があります。

4. **情報の更新**: ガイドブックの情報は定期的に更新されるものの、トレインストリートのような新しい観光スポットがすぐに反映されないことがあります。特に人気が急上昇したスポットの場合、ガイドブックの次の版に反映されるまで時間がかかることがあります。

これらの理由から、ハノイのトレインストリートが日本語のガイドブックに紹介されていないことが考えられます。

(ChatGPTおわり)

ベトナムニュースの総合サイトVIET JOによると、2022年には安全上の理由から線路沿いのカフェの営業が禁止されていたようで、バリケードを無理に突破した韓国人女性が電車に接触した事故も発生していたようです。

列車の通過時間はネット検索でもいろいろ出てきますが、頻繁に変わります。

以下はホテルで教えてもらったスケジュール


以下はネット検索した結果、全然違う


以下は現地のカフェの掲示、これも全然違う 笑


週末は平日よりも便が多いようですが、そもそも上りと下りでそれぞれ運行するし、見学場所によっても微妙に時間が異なります。。。

現地に到着したのは午前11:28

時刻表の11:45か11:40の通過を期待して333(バーバーバー)ビールを片手に列車の通過を待ちました


バイクタクシーの運転手(タンさん)に案内されたのは28 Railway Coffeeという店の前、観光客プライスは仕方なし


タンさんと一緒に列車を待っていると。。。


午前11:43 ハノイ発ホーチミン行きの列車が通過、スゴイ迫力


タンさんが線路の上に置いたビールのキャップはこのとおり


トレインストリートの区間を散歩


再びタンさんの案内で、ホアロー収容所に向かいます

3.8 ホアロー収容所

ホアロー収容所は、フランス軍がベトナム人民軍の捕虜を虐待した場所でもあり、ベトナム戦争では米兵から「ハノイ・ヒルトン」と呼ばれた収容所でもあります


当時の劣悪な環境が再現されています


ギロチン台とその犠牲者


ホーチミン博物館と違って子供は少なく、欧米人の観光客が中心

3.8 ハノイ大教会

収容所見学のあとは再びタンさんのバイクでホテル近くのハノイ大教会(聖ヨセフ大聖堂)に


ホテル到着、タンさんとはここでお別れ、総額340,000VNDの支払い(40,000VNDチップ含む)、タンさんには2時間も付き合ってもらったので、まあ妥当な金額でしょう


ホテルフロントのレモン水が冷えてて美味しい!


シャワーを浴びて再び外出、今度は徒歩で旧市街へ


バイクに車にシクロ(自転車タクシー)が混沌と。。。


少し歩くと汗が噴き出す


両替所でVNDを調達


レートは10,000円 = 1,610,000VND、空港の両替所のレート(10,000円 = 1,580,000VND)より1.8%ほど有利


花や果物をどっさり載せた自転車

3.9 Egg Coffee、バインミー

Cafe GiangはEgg Coffee発祥の店


とろりとした触感がコーヒーとよくマッチします


横浜にも店舗が


少し歩いてバインミーで遅いランチ


サクサクのパン生地とコンビーフが良くマッチしていて美味しい!

3.10 水上人形劇場

タンロン水上人形劇場へ、ベトナムの伝統芸能


チケットブースの前に並んでいたら、お兄さんに「余ったチケット買いませんんか?」と声をかけられました

最初はダフ屋かと疑ったのですが、どうやら観光客が直前で都合がつかなくなり余ったチケットということで、正規料金の200,000VND、席は最前列


チケットブースの順番を待っていると午後4:10の開始に間に合いそうもないので、お兄さんから購入して急ぎ足で会場内に


なんと最前列ど真ん中の特等席でした!


部隊の左右には演奏団員


パノラマだとこんな感じ


ベトナムの神話や伝説をテーマにしたストーリーの数々


龍が火を噴いたりする演出も


翻訳セットを借りる時間がなかったので言葉はわかりませんが、人形の動きと音楽だけでも十分楽しめました


再び大教会に立ち寄り、少しだけ夕方のミサに参列


ミサには非常にたくさんのカトリック信者が参列しており、ベトナムのカトリック教徒(10%)の多さを垣間見ることができました

夕方になってホテルに戻り、最上階のバーでくつろいでいるところ


ビルの屋上は風も吹いていて、昼間の猛暑からはずっと過ごしやすく快適、空は晴れて満月が


19:15からは、ホテルのエステ(現地では「マッサ」と呼ばれる)でマッサージ


Vietnamiese Traditional Massage 1時間 560,00VND(3500円)


強めでお願いしたらしっかりと全身マッサージしてくれて大満足


すっかりリラックスしたところで、ドンスアン通りのナイトマーケットへGo!

3.11 ナイトマーケット

場所は旧市街のドンキンギアトゥック広場(サークル)から、ドンスアン市場までの通り沿いに、衣類、おもちゃ、お土産、工芸品、食べ物の屋台など、さまざまな種類の屋台が並びます。


通りを歩いている映像です


ステージのパフォーマンスも人だかりで賑わってます


いろいろ物色して買ったのは結局ソックスセット 80,000VND 笑


屋台での食べ歩きはせず、口コミ評価の高いHOANG'S Restaurantで少し遅い夕食



スネ夫とのび太にそれぞれ似ている親切な店員さんが案内、それにしてもどこも店員さんは皆若くてよく働いているので感心してしまいます。。。


ブンチャーと生春巻き、どちらもメチャ美味しかった!


レストランからホテルまで旧市街のハンカン通りを抜けたのですが、まさにカオスの極致 笑


雰囲気は歓楽街だがエロはなし(社会主義国)


うへぇ


どの店も大賑わい


サタデーナイトフィーバー


Lakersジャージのおっさん


この雑踏になんでバイクが?


また来た


人多過ぎ


ここをバイク通るかね


そのときの映像です


ベトナムのパワーを感じた1日でした!

ホテルに戻って再び屋上のバーに、時刻は午後11時45分


今日は朝から夜遅くまでガッツリと観光しました

- ホーチミン廟、一柱寺、ホーチミン博物館
- チャンクオック寺
- タンロン遺跡
- トレインストリート
- ホアロー収容所
- ハノイ大教会
- 水上人形劇
- エステ
- ナイトマーケット

カオス過ぎるハノイ、歩数27,000越えでメジャーな観光スポットはほぼ制したぞ


妻も大満足で、しっかりと徳を積みました 笑

個人的にはバイクタクシーとトレインストリートがスリル満点で気に入りました。

ハノイを1日観光して特に印象に残ったのは、ベトナムの若者たちのパワーでした。

みんな朝早くから良く働くし、日本人以上に気遣いもしっかりしていて感心することしきり!

そして、日本の統治時代があったにも関わらず、日本人に対してネガティブな感情は持っておらず、むしろとても好意的であること。

日本の在留外国人でベトナム人は中国人に次いで2番目に多い(56万人)ので、日本とベトナムの交流が盛んなのは事実。

意外だったのは、ベトナム戦争の名残りは見かけず、フランス支配からの独立が市民の誇りのように感じました。


また、家族を非常に大事にしており、どこに行くにも家族連れで出かける。

バイクに乗っている無数の人たち(ほとんどが相乗り)が、一体どこに何の用事で行くのかがとても気になりました。。。


老若男女問わずみんな痩せてて太っている人がいない。

社会主義国なので、繁華街でもエロが皆無。非常に健全。

細かいところでは、クレジットカード決済がほとんどできず現金主義、現地人で英語を話せる人は少ない、トイレはウォシュレットの代わりにジェットホースが普及、など。

しかし日中は想像以上に蒸し暑くてバテバテに。。。お疲れさまでした!

(ベトナム旅行記その2に続く)

[ベトナム旅行記その2 - ハロン湾] クルーズ船宿泊でちょっと豪華な周遊の旅 [ベトナム旅行記その3 - ハノイ近郊の村めぐり] クアットドン(刺繍)、ヴァンフック(シルク)、バッチャン(陶器) [ベトナム・フェスティバル2024] 大盛況のイベントに参加、ベトナム料理も堪能

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