『限界は何が決めるのか?持久系アスリートのための耐久力 (エンデュアランス) の科学』(アレックス・ハッチンソン)

アレックス・ハッチンソンの『限界は何が決めるのか?持久系アスリートのための耐久力 (エンデュアランス) の科学』(2019年)を読みました。



マラソンや自転車競技、トライアスロンといった長時間のエンデュランス系のスポーツ競技において、パフォーマンスの限界を決定するのは、肉体(VO₂max)なのか、脳の指令なのか?

0. 『限界は何が決めるのか?』

本著の原題は
ENDURE: Mind, Body, and the Curiosity Elastic Limits of Human Performance
です。


エンデュランス系スポーツのパフォーマンスの限界を決定するのは何かを科学的な観点から徹底的に追及した良本です。

肉体(VO₂max)と脳と、果たしてどちらが限界を決めるのか?

これは20年以上経った今もなお、運動生理学における論争の火種となっているそうです。

本著ではこの問題に対して豊富な測定データに基づいて詳述しており、とても興味深い内容でした。

以下はAmazonのレビューからの引用です。

【人類はフルマラソンで2時間を切れるのか?
すべての持久系アスリート必読のニューヨーク・タイムズ・ベストセラー】

マラソン、自転車ロードレース、登山といったあらゆる持久系スポーツで、
パフォーマンスを左右する耐久力。これを決定するのは、心か体か?
既存のパラダイムを大きく変える科学的研究の成果から、一見、限界と思えるものの正体を明らかにする。

――――――――――――――――――
箱根駅伝最強ランナー&大学駅伝の名伯楽
渡辺康幸(現・住友電工陸上競技部監督 元・早稲田大学競走部駅伝監督)による日本版解説
「マラソンで2時間を切るのは時間の問題だ」
――――――――――――――――――

「限界」は幻想だ。

もうあと一歩、もうひとこぎ長く、もう1分、もう1秒速く――
そう願いながら、私たちは肉体の限界と闘っている。
私たちは、それを不変のものだと思っている。
だが実は、限界とは、自分が考える以上に柔軟なものなのだ。

本書に登場するのは、
1マイル(約1.6キロ)走4分切りに世界初で成功したロジャー・バニスター、
自転車のアワーレコードに挑戦したイェンス・フォイクト、
エベレストの無酸素登頂を成し遂げたラインホルト・メスナー、
不屈のレーススタイルで1980年代のマラソンスターとなったアルベルト・サラザール
といった有名アスリートや、
極寒の南極大陸横断に単独で挑む冒険者、
1000マイル(約1600キロ)のウルトラマラソンを走破するランナー、
素潜りで海中102メートルに到達したフリーダイバーといった、
極端とも思える方法で人間の限界を押し広げていこうと突き進んだ人たちだ。
著者のアレックス・ハッチンソンも、ケンブリッジ大学で物理学の博士号を取得しながら、
1500メートル走の選手としてカナダのオリンピック選考会に2度出場した経歴を持っている。

本書は、こうした持久系アスリートたちの物語を織り交ぜつつ、
過去から現在までの科学的知見を駆使し、
人間の耐久力を決めるものや、痛み、筋肉、酸素、暑さと熱、のどの渇き、
エネルギーといった肉体に影響する要素についても詳細に解き明かしていく。

また2017年5月6日、エリウド・キプチョゲ(現・マラソン世界記録保持者)が
ヴェイパーフライを履いてマラソンサブ2に挑戦したナイキのプロジェクト『Breaking2』に関し、
世界でたった2人、舞台裏の取材を許されたうちの1人である著者が、その模様を紙上で再現する。

人間の限界は何が決めるのか。自分の肉体の限界に、真に触れるためには何が必要か。
本書はすべての持久系アスリートに、耐久力(エンデュアランス)向上のヒントを与えてくれる。

【本書の内容】
ルポ ナイキ『Breaking2』プロジェクト
エリウド・キプチョゲのマラソンサブ2挑戦/“ヴェイパーフライ"の開発

PART 1 限界を決めるのは心か体か?
耐久力の定義/ペース配分/最大酸素摂取量(VO2max)/ランニングエコノミー/
乳酸性作業閾値/主観的運動強度/反応抑制/ストループ課題 他

PART 2 限界に影響するもの
クリティカルパワー/随意最大筋力と真の最大筋力/哺乳類の“潜水反射"/乳酸パラドックス/
暑熱馴化/深部体温と臨界体温/セルフトーク/水分補給/“ゲータレード"の発明/脱水症/
低ナトリウム血症/自発的脱水/低糖質・高脂質(LCHF)食/超回復/ハンガーノック/ファットアダプテーション 他

PART 3 より限界に近づくための可能性
脳の持久力トレーニング/認知課題/マインドフルネス/経頭蓋直流電気刺激(tDCS)/
脳の島と運動野/プラセボ効果/アイスバス/神経伝達物質/ファルトレク 他

(引用おわり)


著者のアレックス・ハッチンソンは、カナダ在住の作家兼ジャーナリストです。


ケンブリッジ大学で物理学の博士号を取得。カナダのナショナルチームの一員として中・長距離走選手を務めた経歴を持っています。

当時はかなりの速さのランナーで、1500 メートルで 3 分 42 秒の自己記録を持ち、カナダ オリンピック選考会の 1500 メートル決勝に 2 回出場しました。

以下に本著の内容をまとめました(太字は本文より引用)。

1. PART 1 限界を決めるのは心か体か?

1.1 耐久力 - 過酷な1分

もし私が4分を切れないのはどうしてかと1996年に聞かれていたら、最大心拍数や排気量、遅筋腺維、乳酸の蓄積のほか、ランニング雑誌で仕入れた用語を並べ立てていただろう

4つの用語 - 最大心拍数、排気量、遅筋腺維、乳酸の蓄積 - がさっそく登場しました。

エンデュランス系のスポーツをやっている人ならば、誰でも少なからずこの4つの要因には興味を持っていると思います。

心拍数が最大値を大きく下回り、乳酸濃度はそこそこで、筋肉はまだ思い通りに収縮する状態でも、壁にぶつかることはある

耐久力は身体的な生理指標だけで決まるわけではなく、精神面での「耐える力」も同時に影響するというのが、本著のメインテーマです。

人間にとってペース配分は重要であり、避けられないものだ

競争の優位性がどこにあるかを探るため、自転車競技とトライアスロンのエリート選手の脳に電極で電流を流す、経頭蓋直流電気刺激(けいとうがいちょくりゅうでんきしげき、tDCS)の実験を行った。

tDCSについては、以前のブログ(時空の彼方 - 潜在意識が秘める力)でもその効用について触れました。

[モーガン・フリーマン 時空を超えて - DISC 1] 面白すぎる科学ドキュメンタリー番組

脳と体はつながっており、特定の状況下で何が限界を決めるのかを理解するには、両方を一体として考えなければならない

スポーツ科学の世界は、まだまだ未知の領域が多いというのは意外でした。

1.2 体 - 人間機械

乳酸と筋疲労との関係

筋肉や血中のラクテートは、体から抽出されるとプロトン、つまり水素イオンと結合して乳酸を形成する

体内で見つかるのは、乳酸よりもむしろラクテート、つまり乳酸イオンだ

本著によると、19世紀までは、自然の法則(たとえば乳酸の値)が肉体の潜在能力の上限を決めるという考えだったそうです。

最大酸素摂取量(VO₂max)が心臓と循環器系の究極の限界、アスリートに備わったエンジンの大きさを示す測定可能な定数だと推察した

最大酸素摂取量(VO₂max)は、スポーツウォッチでも手軽に計測できるので、多くのアスリートが参考値として活用しています。

ワタシもマラソンのタイムを短縮するために、VO₂maxを参考にしてトレーニングをしていました。

マラソンの最大心拍数と最大酸素摂取量(VO2max)について

ちなみにワタシのVO₂maxの最大値は5年前に計測した45ml/kg/min、良くも悪くもないフツーの値です 笑

VO₂maxはその人にとっての有酸素性能力の限界を表している(筋肉が無酸素で収縮すると乳酸がつくられてしまう)。

VO₂maxの研究が進むにつれて、一時期は人間を機械と見る考えが主流になりましたが、やがて別の要因も重視されるようになります。

VO₂maxの他に、ランニングエコノミーその他を加味することで、耐久力のモデルを微調整していった

ランニングエコノミーとはなんでしょう?

ChatGPTに訊きました。

ランニングエコノミー(running economy)とは、ランナーが一定の速度で走るために必要とするエネルギーの効率性を示す指標です。具体的には、ランナーが一定の速度で一定の距離を走る際に消費する酸素量やエネルギー量を測定することで評価されます。ランニングエコノミーが良い(効率的である)ランナーは、同じ速度で走る際に他のランナーよりも少ないエネルギーを消費します。

ランニングエコノミーは持久力競技において非常に重要です。なぜなら、エネルギーを効率的に使えるランナーは、同じエネルギー量でより長い距離を走ることができ、レースのパフォーマンスを向上させる可能性が高いからです。ランニングエコノミーを向上させるためには、以下の要素が関与します:

生理学的要因:筋肉の酸素利用効率や乳酸閾値など。
生物力学的要因:ランニングフォームやストライドの効率など。
トレーニング:特定のトレーニング方法やランニングドリルがランニングエコノミーの改善に役立つ。
トレーニング方法やテクニックの改善を通じて、ランニングエコノミーを向上させることが、より速く、より遠くへ走るための鍵となります。

2016年1月7日、ヘンリー・ワースリーが単独で南極大陸の横断を開始して56日目。すでに体にかかる負荷が大きなダメージとなっていた

不幸なことにワースリーは南極遠征に失敗しただけでなく、多臓器不全で亡くなってしまいます。

ワースリーは、自分の肉体の能力の限界を超える挑戦をし、どれだけの精神力と粘り強さをもってしても計算を変えることはできなかった。

だがそれが事実なら、耐久力が原因の死がめったにないのはなぜか?

これは鋭い指摘ですね。

確かに、マラソン大会や自転車競技大会で、耐久力の限界を超えたためにその場で死亡するという事故はまず起きません。

運動で興味深いのは、大半の人は死なないということで、そのほうがずっと興味深いのではないだろうか

1.3 心 - セントラルガバナー

私たちの限界がなんであれ、限界を超えすぎないように防いでいる何かがある。そしてその何かとは、脳にちがいない

1848年の火薬の爆発事故で、フィアネス・ゲージの前頭前野が損傷し、性格が変わってしまった有名な事例については以前のブログでも書きました。

[暴力の減少を可能にした文明化と啓蒙の力]『暴力の人類史(下)』(スティーブン・ピンカー)

例えば、病気で右側頭葉を切除したアスリートは、苦痛を感じることがなく限界突破できるのでしょうか?

運動中に突き当たる限界は、筋肉の機能障害によるものではない。本当の機能停止に至らないように事前に限界を課しているのは脳だ

暑い室内でエクササイズバイクを疲れ果てるまでこいだ場合、深部体温が約40度の臨海値に達すると、脳が筋肉を動かすのをやめる

だが、ノークス(ケープタウン大学の研究者)に、自分の説に有利な、最も説得力のある証拠をひとつあげるならと尋ねると、彼は迷うことなく「ラストスパートです」と答えた

ラストスパートの謎

近代の男子800メートル走、1マイル走、5000メートル走、1万メートル走に関する、ほぼすべての世界記録のペース配分を分析した結果、最も短い800メートル走を除くすべてで最後の1キロが1番目か2番目に速かった


ラストスパートのように、レース終盤でスピードを上げられるのは、単に生理的なものではないという手がかりはほかにもある

世界中で行われた40年間のフルマラソンの膨大なデータから、タイム分布のグラフはよくあるベル型に似ているものの、3時間、4時間、5時間といった大きな時間の区切りでは、その直前の完走者が多く、直後は少ない

ちょうど、先日の東洋経済の記事「市民ランナーの心とらえる「サブ4の魔力」の正体」に、このタイム分布のヒストグラムが紹介されていました。


市民ランナーの目標であるサブフォー(4時間切り)のところは見事にグラフ分布が崖になっていますね。

本題から外れますが、この記事では、行動経済学の観点から、男子マラソンの日本記録の推移が、「1億円の報酬」の設定によって一気に変わったことが示されていて興味深いです。


このデータにはさらに興味深い事実もある。速いランナーほど、ラストスパートをかけられる率が低くなるのだ。3時間程度でゴールしたランナーのうち、レースの残り2.195kmで速度を上げられたのは約30パーセントだった。それが4時間では約35パーセント、5時間では40パーセント以上になる。

ちなみに、ワタシが初めてサブフォーを達成したレース(2009年11月22日 第29回つくばマラソン 3時間56分06秒)では、レースの残り2.195kmを、キロ6分27秒というラストスパートとは真逆の大減速で完走しています 笑

ハーフマラソン、フルマラソン、そしてウルトラマラソン

耐久力には脳が関係しているという考え方を、セントラル・ガバナーと呼びます。

セントラル・ガバナー説は当初から議論を呼んだが、現在ではセントラル・ガバナー論争はすこし鳴りを潜めている

激しい運動の最中に脳をのぞいて見るのもひとつの方法だろう。そんなことは最近までなら絶対に不可能だったが、脳撮像技術の進歩で今ではものすごく難しいといった程度になっている

機能的磁気共鳴画像法(fMRI)を使えば、脳の領域の血流変化をかなりの精度で観察できるが、1~2秒未満の変化をとらえることはできない

耐久力は、脳のどこかにある調整スイッチひとつで決まるものではない。脳のほぼすべての領域がからむ複雑なふるまいであり、だからこそセントラル・ガバナーの存在を証明しようとすると、とても抽象的になってしまう

1.4 心 - 意識的放棄

主観的運動強度について

ボルグスケール:強度は6(安静時)から最大20まで。それぞれの数値は、予測心拍数を10で割った数におおよそ相当している。ボルグスケールの13~14なら、ややきつい強度に当たり、たいていの人は心拍数が130~140になる

心理生物学的モデル


激しい運動中は、強度の認知と顔をしかめる筋肉の活性に強い関連があることがわかった

キツイからといって歯を食いしばったり、苦しい表情をするよりも、顔をリラックスさせるほうが効果があるというものですね。

わかっちゃいるが、なかなかできません 笑

市民ランナーの川内選手を見ていると、いつも死にそうに苦しい表情をしていますが、あれだけの成績を上げられるというのもスゴイです。

カフェインは人を元気にする。このこと自体は秘密でも何でもない。カフェインの錠剤は、最も多くのアスリートが利用する合法サプリメントだ。

カフェインで体力や耐久力が向上する仕組みについては多くの説明がある。筋収縮をじかに増強するという説もあれば、脂肪の酸化を促して代謝エネルギーをもたらすという説もある

カフェインがアデノシンを感知する脳の受容体の働きを阻害するという説もある

確かに。。。カフェインはさまざまなスポーツ用飲料や補給食に含まれていて、あまり疑問も感じずに摂取しますが、果たしてどのような仕組みで効果があるのかは考えたことがありませんでした。。。

プロは優れた反応抑制(衝動を意図的に無視する力、マシュマロ実験が有名)と精神的な疲労への耐性を生まれながらに持っていて、それが一流のアスリートになれた理由だということ。もうひとつは、長年のトレーニングで、体と同様に心も疲労に耐えられるようになれた理由だということ

著者は、そのどちらも正解だと考えています。

オリンピックのマラソンで金メダル争いをしながら最後の1キロを走っている時、先に失速してしまった理由が、きつすぎると感じたからとは考えにくい。ランナーの脳が重要な臓器へのダメージを防ぐために筋肉の動員を減らした結果であり、そのプロセスは無意識に行われ、ランナーの意識的な決定とは完全に異なるものなのか、それとも、単純に身体的な限界(筋疲労や酸素運搬能力の限界)に達したものなのか?

著者は、それも状況によりけりと言う他はないと述べています。

2. PART 2 限界に影響するもの

2.1 痛み

偉大なアスリートだからより痛みに耐えられるのか、それとも生まれながらに痛みへの耐性が高いせいで偉大になったのか?

真実はその2つの間にあるが、痛みへの耐性と、行っているトレーニングの種類に関係がある

インターバルをはさむ高強度グループは耐性が41%向上したのに対し、中強度グループには変化がなかった

体力の向上と痛みへの耐性は関係がなく、重要なのは実際に苦痛を感じる必要がある

この実験結果は直観的にも受け入れられやすいものですね。

薬物の使用

サイクリストに1.5グラムのアセトアミノフェン(解熱鎮痛剤)を与えて10マイルのタイムトライアルを行い、プラセボ(有効成分の入っていない偽薬)を与えた場合と比較した結果、成績が2パーセント向上することを発見した

薬物使用が禁止される以前の時代の選手は、アンフェタミン(鎮痛剤)やオピオイド(麻薬性鎮痛剤)といった薬物に頼ることは少なくなったが、レース中の事故も多かったようです。

被験者の脊椎にオピオイド系鎮痛剤のフェンタニルを注射し、脚の筋肉から脳に信号が送られないようにしたうえで、自転車で5キロのタイムトライアルを3回行った

被験者は夢中で自転車をこぎ、タイムトライアルが終わった時は自分でバイクを降りることもペダルのクリップから足を抜くことすらできない被験者もいた

この実験では予想外の結果も出ている

一時的にスーパーマンのような状態だったにも関わらず、最終的なタイムはプラセボを注射された時より速くはならなかったが、これは不規則なペース配分によるものだろう

2.2 筋肉

人がすべての筋肉を使えるかについては長く論争が続いているが、火事場のばか力は、私たちの理解を覆してしまう

子供が自動車の下敷きになってしまったとき、母親が有り得ない力で自動車を持ち上げて我が子を救ったというような逸話は果たして真実なのでしょうか?

トム・ボイルがカマロを持ち上げた行為はやはり考えられることではある。ボイルは車をまるごと持ち上げたわけではない。タイヤを1本地面から浮かせるだけなら約340キロを持ち上げるだけだ。経験豊富なウェイトリフティング選手が持つ20パーセントの予備の筋力を考えると、真の最大筋力は約381キロとなる。

火事場のばか力の理由は、予備の筋力の存在(およびその増加率)に関わるのですが、多くの研究結果から結論は出ていないようです。

トルデジアン(距離330km、獲得標高24000mの世界屈指のウルトラトレイルレース)の参加者の筋力を測定した結果、100時間以上かけて完走した選手の脚の筋力は、レース前から25パーセント低下したに過ぎなかった

この発見は、脚の筋肉が超持久系アスリートの限界を決めるものではないことを示している

超耐久レースの場合、筋力の低下は、筋肉の限界というより脳からの中枢性が原因のようです

高強度運動に伴う3種類の代謝物(ラクテート:乳酸イオン、プロトン:水素イオン、アドノシン三リン酸:ATP)を被験者の足の親指の筋肉に注射する実験を行った。

実験でわかったのは、代謝物はどれも単独ではほとんど影響がないということだ

ラクテートとプロトンは結合すると乳酸を形成するが、それらを組み合わせても結果は同様だった

ところが、3種類を一緒に注射すると、被験者が突然、親指に疲労と不快感があると訴え始めた。

なるほど、ひとつの疲労代謝物のせいで運動パフォーマンスが低下するわけではないのですね。。。

アマンの説によれば、”ラクテート、プロトン、ATP”でバーン(うずきや熱)を感じるのは、金行が危機的レベルのストレスを受けたり、破壊されたりしないように脳が守っているためだという

この防御システムをフェンタニルなどで無効化すると、人は筋肉を真の限界に近いところまで追い込めるようになる。だがその時はリン酸塩などの代謝物の濃度が上昇し、筋腺維の収縮能力をじかに阻害し始めるのだ

彼方立てれば此方が立たず。。。人間の体のメカニズムは複雑ですね

2.3 酸素

潜水について

水深10メートルで圧力は地面の2倍、肺の空気が圧縮されるにつれ、浮力が低下していく。水深25メートルあたりになると重力と浮力は逆転し、フリーフォール状態になってどんどん沈んでいく

プールでただうつ伏せに浮かんでいるのであれば、水圧や減圧症のような厄介な問題はない。現世界記録保持者はステファン・ミフシュドゥというフランス人で、2009年に11分35秒間、水面に浮かんでいた

人間は水に顔をつけているる魔法のようなことが起こる

水中に沈められたアヒルは平均23分間生き続けたのに対し、空気中だと平均7分間で絶命した

水につけられたことが心拍数の低下といった反応を引き起こし、それが酸素の節約になる ⇒ 哺乳類の ”潜水反射" と呼ばれる反応

ウェッデルアザラシは、水に潜るとすぐに心拍数が通常の10分の1程度まで下がる

ここまで極端ではないものの、人間にも似たような反応が起こる

センサーは主に鼻の周囲にあると考えられており、これは冷水を顔にかけると気分が静まるという考えの根拠にもなている

水中では鼻の周囲のセンサーが作動して心拍数が下がるというのは目に鱗でした。

実際、プールで泳いだときの記録では、心拍数の平均値や最高値が、ランニングや自転車と比較していつも30~50くらい低く出ます。

世界最高峰のエベレスト(標高8848m)への無酸素登頂は、徹底した調査の結果、確かに可能であるが、かなりギリギリであることが証明された(2016年6月現在で、合計7646回の登頂のうち、197回が無酸素登頂)

地球上の最高地点が人間が薄い空気のなかで生存できる絶対的限界だったことは、生理学者にとって非常に興味をそそられるものだった

エベレストの標高が人間の生存限界とほぼ一致しているという偶然は、宇宙の物理定数が生命が誕生する条件とほぼ一致しているという人間原理を彷彿とさせます。

トレーニングを積んでいない被験者の場合、海抜ゼロとキャンベラ(標高580m)とではVO₂maxに違いはなかったが、トレーニングを積んだサイクリストの場合、標高580mだとVO₂maxが平均6.8パーセント低下した

その原因は、血液によって運動中の筋肉に運ばれる酸素の量が減少したことにあるようだ

持久系アスリートは心臓のポンプ機能がとても強力で血液が勢いよく肺を通り過ぎるため、酸素を積み込む時間がもともとあまりない

なんと、アスリートのほうが標高の影響を受けるんですね、これも初耳でした

2.4 暑さと熱

人間のエネルギー効率は、おおむね20~25パーセントの値が記録されている。つまり、100キロカロリー摂取すると、25キロカロリーが有効な仕事、75キロカロリーが熱になる。無駄が多いように聞こえるが、これは一般的なエンジンのエネルギー効率と驚くほど似ている

高温下で繰り返し運動をすると体の防御反応は次第に高まっていく(こうした暑熱馴化のプロセスには2週間ほどかかる)

では体温低下が重要なのは体のどの部位でしょうか?

先日のブログで、体温を下げるのに効果的な身体の部位をChatGPTで確認したところ、首が一番効果的、次にわきの下、その次が手首/足首という順番でした。

臨界体温の研究に従うなら、深部体温が40度に達したところで運動を続けられなくなるはずだ。だが臨界体温は当初言われていたほど不動のものではないのかもしれない

熱中症とはただ体温だけの話ではない

体は熱に対し、血液を皮膚に送り、放出することで自分を守ろうとする。結果、内蔵では血液と酸素が不足する。すると、いつもは腸に囲われている毒素が血液中に漏れだして全身に炎症を起こす。さらにこれがさまざまな症状を引き起こし、ついには多臓器不全につながるのだ

熱中症のリスクを押し上げる3つの要因:
・通気性の悪い服
・病気であること
・アンフェタミン(ドーパミン再取り込み阻害薬)のような薬物の使用

2.5 のどの渇き

人の体重の約50~70パーセントは水で構成され、体液のバランスは食事や活動パターンによって1日の間でわずかに変動するが、日ごとで見ると驚くほど正確に調整されている(体重68キロの人なら一般的に体水分量は40リットルほどで、その変動量はほぼ一定して1リットル未満に保たれている)

理想的な室内の環境なら7日間程度、水なしで耐えられる可能性がある

もし高温の砂漠で迷い、夜間だけ移動するなら、生き延びられる時間は推定で23時間、日中も移動するとなると16時間に激減する

人間が水なしで生存する限界というのは、かなり短い時間ですね!

低ナトリウム血症

2002年のボストンマラソンで、28歳のシンシア・ルセロはゴールまであと4マイルというところで倒れ、数日後に亡くなった

彼女は大量のスポーツドリンクを飲んでいた。一般的なスポーツドリンクはナトリウムの濃度が低いため、血中のナトリウム濃度が薄まる。その結果、低ナトリウム結晶(または水中毒)になり、肺に水がたまり、脳が腫れ、数時間後に彼女は死に至った

水分補給に関する考えが急激に変化し、混乱しているため、逆にこまめな水分補給は良くないという意見も耳にする。結局ハイレ・ゲブレセラシエの体重がマラソン中に5~6キロ落ちるなら、その分速くなるじゃないかという理屈だ

しかし、筆者はそうした意見には賛成できないと述べています。

体液の減少は、酸素、暑さや熱、エネルギーと同様に、まず脳を経由して感じられるので、のどの渇きは主観的運動強度を増大させ、パフォーマンスの低下を引き起こす

水分補給の重要性は、まだまだ不明な点が多いようです

2.6 エネルギー

LCHF (Low-carbohydrate, high-fat) は2000年代初めからダイエット業界をかき乱していた

脂肪が少なく炭水化物の多い食品を食べるのが良いという従来の考えは間違っていたということです

アスリートは十分な備えをすれば約2500キロカロリーの糖質を体内に蓄えることができる。体重70キロのランナーがマラソンを走るには約3000キロカロリーが必要で、全力で走るとなるとそのほとんどは糖質がエネルギー源だ

一方で私たちは、最低でも3万キロカロリーの脂肪を持ち歩いている

高脂質食は脂肪燃焼を高めるが、ピルビン酸デヒドロゲナーゼという重要な酵素の活性を低下させることで、糖質利用を抑えてしまう

実験で糖質ドリンクでうがいをして吐き出すことにパフォーマンスを上げる効果があることを確認し、さらにfMRIで、被験者が糖質を口に入れるとすぐに脳の報酬系と関わる領域が光ことを示した

糖質を燃やすか脂質を燃やすかについては、ともに一長一短がある

代謝柔軟性(エネルギーとして脂質を使うか糖質を使うかを柔軟に切り替えられる能力)を目指すのが賢明だろう

3. PART 3 より限界に近づくための可能性

3.1 脳のトレーニング

2つの考え方
【人間機械】筋肉が十分な酸素を得られなくなったり、エネルギーが空になったりした時に限界に達する
【すべては頭のなか】無意識による自己防御か、自らの意識的な選択によって機能停止に陥るという考え方

脳トレーニング分野、とりわけ認知の低下を防ぐツールとしての脳トレーニングは、この数年、議論の真っただ中にある。いまや10億ドル産業へと成長したものの、2016年に行われた分析では、それまで発表された脳トレーニングに関する研究はほぼすべて、”移動可能性”を示す証拠がないと結論された

脳トレが認知の低下を防ぐといった間違った認識は、以前のブログでも触れました。

ボケ防止のために任天堂のゲームをやったり、数独やクロスワードパズルを解いたり、あるいは麻雀を続けている人は多いと思います。

しかし、残念ながら、ここ10年の臨床実験の結果では、鍛えられるのは、自分が挑戦した課題に関わる能力のみで、脳を鍛える結果に繋がる効果は皆無ということが証明されています。

そのソフト特有の問題を解く能力は高まるが、新たに身に着けた能力をほかの問題に応用できるわけではない

脳トレーニングがマラソンのタイム向上につながることは有り得るのか?

この判断は、さまざまな実験が行われ、さまざまな研究者によって結果が裏付けられるまでは保留されるべきだろう

一流の持久系アスリートに特有の身体意識は、”マインドフルネス”という仏教的な概念とかなり似ているように思える

mPEAK (Mindful Performance Enhancement Awarenewss & Knowledge)というスポーツの成績向上に特化した8週間のプログラムの開発

トレーニングを受けたあとの脳スキャンでは、BMXのアメリカ代表チームが呼吸の制限のようなストレスのかかる状況に対し、よりうまく対応できるようになったことが示された

UCSD(カリフォルニア大学サンディエゴ校)では、mPEAKの3日間の集中プログラムが開発されているようです。

3.2 脳への電気ショック

レッドブルは、脳の電気刺激と磁気刺激、末梢神経刺激、筋電図検査(EMG)、脳波検査(EEG)など、さまざまな測定ツールを使用し、アスリートが何度も限界に追い込まれる際の中枢性と末梢性の疲労の影響を解き明かそうとしている

tDCSの電流は500分の1~1000分の1の大きさで、これは直接ニューロンを発火させるには小さすぎる。だがこの小さな電流を10~20分間流し続けると、ニューロンの感受性が変化し、わずかに発火しやすくなる

tDCSに実際に効果があるのは間違いない。2013~2016年の間には、2000以上の研究結果が発表されている。これらの研究は、学習能力の向上、依存症や鬱の治療、神経疾患患者の歩行能力の向上といった多岐にわたる目的で、tDCSの可能性を探ったものだ

繰り返しになりますが、tDCSについては、以前のブログ(時空の彼方 - 潜在意識が秘める力)でもその効用について触れました。

[モーガン・フリーマン 時空を超えて - DISC 1] 面白すぎる科学ドキュメンタリー番組

運動中の脳のなかを見るのは技術的に厄介で、今でも極めて特殊な状況でしか実施できない

fMRIもEEGも被験者は頭をできるだけじっとしていなければ正確な測定ができないのですが、将来、技術的に精密な測定が可能になったら、運動中の脳の活動について画期的な発見がされるかもしれません。

脳への刺激に本当に効果があるとしたら、それは何を意味するのだろうか?

ひとつ明らかなのは、脳ドーピングになる可能性があることだ

奇しくも本日(2024年7月26日)からパリオリンピックが開催されましたが、「スポーツ脳科学とは? 「脳」から運動パフォーマンスのメカニズムに迫る」という記事には、スポーツにおける脳の反応や働きがまとめられています。


3.3 信じること

研究の場に身を置くスポーツ科学者なら、”プラセボ”という言葉にいい印象はないかもしれない

ただし実際に現場で一流アスリートたちと組んでいる科学者の場合は、状況がまた異なる

思い込みによる効果はアスリートのパフォーマンスを向上させる貴重なチャンスであり、抑え込むよりも強化して活かすべきということだ

耐久力が試されるほぼすべての競技で、少しづつではあっても、世界記録が更新され続けている。これは一見、トレーニングや栄養、水分補給などに関する知識が深まり、さまざまなテクノロジーが進化したおかげと思われるかもしれない。

だがそうしたものは、競馬などにも応用されているが、ケンタッキーダービーやダービーステークスのようなメジャーな競馬レースの優勝タイムは、1950年頃からほとんど変わっていない。

競走馬が果たして信念を持って競技に挑んでいるかどうかは、神のみぞ知るですが、人間としてのアスリートだけが、信念を持って、なおかつタイムを意識してレースに挑んでいるおかげで、真の限界に近づいて行けるのかもしれません。

ここまで私は、脳の秘めた力に関するさまざまな研究を紹介してきた

ではそうした力を、パフォーマンスの向上などに役立てることはできるのだろうか?

私自身は可能だと考えている

自分の限界に挑む人々は多くの場合、半ばそれが趣味であり、半ばその中毒となっている。健康面を考えるならけっして勧められるものではない

では、どうして彼らはそんなことをするのか?

本著の最後に、アスリートなら誰しもが常に考える問いかけが出てきました!

私事で恐縮ですが、自分はなぜこんなに取り憑かれたようにレースに出たのか?自分は何を目指しているのか?という問いかけを以前ブログにまとめました。

ブログの追記に紹介したのですが、持久系スポーツのマゾについて見事に解説したスティーブン・ピンカー『暴力の人類史』(下)からの引用を以下に掲載します。

これらはすべて大人の嗜好であり、その世界に入ってくる新参者は、苦痛や吐き気や恐怖という最初の反応を乗り越えないと玄人には至れない。ストレス要因の量を少しずつ上げながら、自分を徐々にそれに慣れさせることによって獲得される

これらの嗜好に共通するのは、高い潜在的利得(栄養、薬効、スピード、新しい環境への理解)と高い潜在的危険(毒作用、体調悪化、事故)が一対になっていることだ

これらの嗜好の一つを獲得することの喜びは、現在の限界を押し上げることの喜びである。
すなわち、自分が不幸を招かずにどれだけの高さ、辛さ、強烈さ、早さ、遠さにまで到達できるかを、細かく調整した段階を踏んで探求していくことの喜びだ

その究極の利点は、局所的な経験のなかにある有益な領域でありながら、生来的な恐怖や警戒によって初期設定では封鎖されている領域を開放できることにある

この嫌悪と欲求のプロセスは、最終的に欲求と中毒にいたるまでに行き過ぎることがある

(引用おわり)

著者も最後にこう締めくくっています。

私はスタートラインに並ぶ時、いちばんの敵はもともとは善意である脳の防御システムだと自分に言い聞かせるようにしている

今後は脳がどんな信号に反応してどう処理するのか、それが変更できるのかについて、もっと知りたいと考えている

未知の世界への飽くなき探求心こそが、世界中の持久系アスリートに共通した思いではないでしょうか?

”限界はまだ先にある”

コメント