[ベトナム旅行記その6 - ホーチミンその2] ベトナム戦争の爪痕~戦争証跡博物館

 家族とベトナム旅行に行ってきました。



南部のホーチミンと中部のホイアン/ダナンを6泊7日で家族4人で夏休み旅行。

ベトナムは、2か月前(2024年6月)に、北部のハノイとその近郊(ハロン湾、クアットドン村、ヴァンフック村、バッチャン村)を妻と一緒に旅行したのに続いて2度目です。

初日はホーチミン市内を観光、2日目はクチ地下トンネルとメコンデルタ 1日ツアーに参加しました。

[ベトナム旅行記その4 - ホーチミン市内] 二階建て観光バス、Pizza 4P's(フォーピース)、ルーフトップバーなど [ベトナム旅行記その5 - クチ/ミトー] クチ地下トンネルとメコンデルタ 1日ツアー

以下は旅行記その6(ホーチミンその2)です。

3. Day 3

今日はホーチミンからダナンへ移動日です。

3.1 朝ラン

昨晩もよく眠れず。。。夜中にスマホでダウンロードしたNHKの科学ドキュメンタリー「重力波で見えてるものとは?」を視聴

寝不足だが頑張って朝5:00に起床、市内観光を兼ねて脂肪燃焼ラン

朝5:30日の出前にスタート!暑くない 笑


平日の朝だからか、ジョギングしているランナーも少ない


ホーチミン市博物館前のヘリコプター


サイゴン大教会


中央郵便局


Metropolitan Towerというオフィスビル


道端に何かが


ネズミの死骸でした


早朝なのに通りに人はたくさん、ベトナム人は早起きですね


朝食


Techcombankビル


英国総領事館


英国総領事館の向かいが米国総領事館


Former US Embassy location、一番来てみたかった場所です



以下Wikiからの引用です

サイゴン陥落直前の1975年4月29日から30日のおよそ24時間の間に、在留アメリカ市民1373名、南ベトナム市民及びその他の国籍者5595名がアメリカ軍及びエア・アメリカのヘリコプターにより、南シナ海のアメリカ海軍艦船(空母ミッドウェー、ハンコックなど)に脱出した

(引用おわり)

(出典:産経新聞

米国総領事館は、ヘリコプターがサイゴンの陥落時に最後のアメリカ人を連れ去った場所です


観光地ではないので、ガイドブックにも掲載されていません


米国総領事館は、白い壁に囲まれています


入口には警備員の姿も





しかし、実際のヘリコプターが避難民を乗せて飛び立った建物は、この米国総領事館の敷地内にはないことは、帰国してから知りました 笑

以下、TripAdviserの口コミからの引用です



ヘリコプターが避難民を乗せて飛び立った建物(旧CIAビル)は、米国総領事館から少し離れた繁華街のビルの屋上バーの跡地に残っています。


口コミ情報によると、運が良ければ警備員にお金を払って実際に建物まで登って見学もできるそうです。

ホーチミンにまた来る理由ができた 笑

米国総領事館を後にして、市街を北に走りました


セブンイレブン


ミニストップ


ファミリーマート


シェアサイクル


統一会堂


時刻は午前6:45、出勤ラッシュ?が激しくなってきた


道路の横断は命懸け



バイクに混じって


自転車も頑張ってる 笑


路上の市場


豚足


朝食


ベトナム人は働き者です



朝ランでリアルなベトナム庶民の生活を垣間見ることができました


3.2 戦争証跡博物館

ホテルに戻ってシャワーを浴びて、ビュッフェ朝食


Grabで戦争証跡博物館へ


開館時間は朝7:30~、ベトナムはどこも早いです


個人的には一番来たかったところ


ベトナム軍の戦車やヘリコプター



アメリカ軍のヒューイ・ヘリコプター


戦闘機




パンフレットは日本語版もあります


オーディオガイドを借りました


展示の数は膨大で、とても半日では見切れないほど



平日の朝なので館内は空いていました


米軍の火器


射程内に次女が 笑


主戦場のほとんどはベトナム南部


国別の兵士の数、アメリカ同盟国の韓国、タイ、オーストラリア、フィリピン、ニュージーランドからも派兵されていたんですね


米軍の誤射によって撃墜された飛行機(Hiromichi Mineさんの作品)



Hiromichi Mineさんは、日本のフォトジャーナリストです

(出典:Flicker

1968年にベトナムで28歳の若さで取材中に命を落としています。

こんな日本人の写真家が活動していたとは知りませんでした。。。なぜかWikiにも掲載なし

ロバート・キャパの作品


下のベトナム家族の写真「安全への逃避」は、沢田教一さんがピュリッツアー賞を受賞した作品


戦争の犠牲者の方々


日本の資料も展示されていました


砲弾の破片、実際に触ってみましたが、これだけでも相当な殺傷力がある


ソンミ村での大虐殺(1968年3月16日)


村人500人が無抵抗で殺害され、生き残りはわずか3人というむごい事件


関与したアメリカ中尉と大尉は軍事法廷で起訴されたものの、関与した軍関係者のほとんど全員は無罪判決となったという


アメリカ国内で反戦運動が高まるきっかけになった事件


「ナパーム弾の少女」ベトナム戦争で最も有名な写真の1枚


撮影したカメラマンのニック・ウト氏によって、この少女は助けられました


ベトナムの軍関係者の団体が入ってきました


以下はベトナム戦争で使用された枯葉剤(ダイオキシン、Agent Orangeとも呼ばれる)で犠牲になった身障者たち


日本にもドクちゃんベトちゃんが来ましたね


生々しい写真の数々に圧倒されます




フェイク画像かと見間違うほどの衝撃





終戦後も現在までに50万人以上が後遺症に苦しんでいるとのこと


ホルマリン漬けの奇形胎児


枯葉剤の被害地域の地図、昨日訪れたハンディキャップ・ハンドクラフトの地域も被害が大きかった地域です


戦争証跡博物館、まだまだ見切れませんでしたが、ベトナム戦争の知られざる事実に触れることができ、大変な価値がありました

娘たちにも社会勉強になったかな。。。


徒歩で統一会堂まで


公園を抜けて


お目当てのプロパガンダ(Propaganda)で一休み


極彩色でカラフルな店内




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