先日、仏教の信者だった身内が、享年93歳の大往生で亡くなりました。
熊野観心十界曼荼羅
お通夜と告別式(二七日の法要)が済んだところですが、普段は意識することのない死後の世界、これを機にどうなっているのか調べてみました。
【参考資料】『仏教が好き!地獄と極楽』(2018年)
仏教では、人が死ぬと、初七日(死後七日目)に始まり、七七日(四十九日)までの都合七回、1週間ごとに閻魔王をはじめ冥府の王たちによる裁判を受けるとされています。
また、亡者は1週間ごとに様々な仏から教えを受けて魂を浄化させるとされています。
- 初七日(秦広王、不動明王)三途の川に到着
- 二七日(初江王、釈迦如来)
- 三七日(宋帝王、文殊菩薩)
- 四七日(五官王、普賢菩薩)
- 五七日(閻魔王、地蔵菩薩)
- 六七日(変成王、弥勒菩薩)
- 七七日(秦山王、薬師如来)最後の裁判
この四十九日間を「中陰」または「冥土」と呼びます。
7回目の裁判が行われた後、生前の行いによって死者の行き先が決まります。
それは、地獄道、飢餓道、畜生道、修羅道、人道、天道の六道に、仏界、菩薩、縁覚、声聞を加えた十界です。
2. 六道
人間に生まれ変わるとは限らず、天道から地獄道まで裁判によって以下の6つの世界に振り分けられます。
- 天道(神々の世界。快楽に満ち、長生きできるが、いつかは寿命が尽き、輪廻を繰り返す)
- 人道(私たちが住む世界(娑婆)。唯一、仏の教えを受けて輪廻から抜け出すチャンスを手にしている)
- 修羅道(嫉妬に満ち、戦いに明け暮れる)
- 畜生道(弱肉強食の動物の世界。生きていくのが精一杯)
- 飢餓道(飢えと渇きが支配する世界。欲望だけがあり、決して満たされない。食べることができても、糞尿や自分の脳みそだったり、食べた瞬間に燃え出したりする)
- 地獄道(悪行を重ねた者が責め苦を受ける。憎しみに満ちた世界)
死後にこの六道のどこに転生するかは、生前の行いによるとされます。
3. 六波羅蜜
生前の行いは、(出家して修行するのではなく)普通に暮らす者たちが悟りの世界(彼岸)に至るために実践できるものとして、以下の「六波羅蜜
」(ろくはらみつ)があります。
- 布施(親切)
- 持戒(言行一致)
- 忍辱(忍耐)
- 精進(努力)
- 禅定(反省)
- 智慧(修養)
4. 十善業道
「十善業道」(十善行道ともいう)は、人々が行うべき善行を十の行為に分けたものです。これらは三業(身・口・意)の調和を目指し、悪業を避けることで苦しみを減らし、安穏な生活を送る基盤を築きます。
- 不殺生(生きものの生命を奪わない)
- 不偸盗(他人の財物を盗まない)
- 不邪淫(不適切な性行為をしない)
- 不妄語(嘘をつかない)
- 不綺語(無意味、無益なことを言わない)
- 不悪口(悪口を言わない)
- 不両舌(二枚舌を使わない)
- 不貪欲(貪らない)
- 不瞋恚(怒らない)
- 不愚痴/不邪見(誤った見解を持たない)
十善業道は、仏教の教えにおいて六波羅蜜と密接に関連していますが、それぞれが異なる目的と実践方法を持ちながら、共通して悟りへの道を示しています。
十善業道をしっかりと守ることで六波羅蜜の実践がスムーズになり、六波羅蜜の実践を通じて十善業道が完全に具現化されます。この二つは相互補完的な関係にあると言えます。
5. 十界
仏教では、すべての生き物が六道を輪廻転生すると言われています。
この六道輪廻から解き放たれることを「解脱」と言って、そこには安らかな仏界(極楽浄土のような仏の世界)があります。
六道から解脱するには、人に生まれて修行をすることが必要ですが、加えてチャンスは稀にしか訪れません。
仏界に至るための修行には、「声聞」「縁覚」「菩薩」の3段階があり、それを「修行の三界」と呼びます。
前述の六道に修行の三界を加え、さらに解脱の先にある安らかな仏界を合わせて「十界」と呼びます。
- 仏界
- 声聞(出家して釈迦の弟子になった僧のように教えを聞いて、修行する者の段階)
- 縁覚(すべてはその原因が縁に触れて、生起した結果だという因果応報の教えによって、修行する者の段階)
-
菩薩(声聞と縁覚が出家して自身の解脱を目的に修行する段階なのに対し、菩薩は俗世間を離れずに世の人々とともに解脱を目指す段階)
- 天道
- 人道
- 修羅道
- 畜生道
- 飢餓道
- 地獄道
6. 八大地獄
冥府の王たちの裁判を受けた亡者は、四十九日を経て十界のいずれかに転生することになりますが、生前に殺生などの重い罪を犯した者は地獄に堕とされます。
地獄は最上階にある等活地獄から最下位の阿鼻地獄まで、8つの層に分かれており、下に行くほど収容人数が大きく、苦痛も大きくなります。
最もマシな等活地獄でも、その刑期は人間の時間で1兆6千億年以上!
- 等活地獄(殺生を行った罰として、死ぬまでケンカを続ける。勝っても鬼に殺され、殺される苦しみを味わう)
- 黒縄地獄(盗みを行った罰として、体を切り刻まれ、釜茹でにされる)
- 衆合地獄(邪淫の罪の罰として、刃のような葉で切り刻まれ、鉄の山に押しつぶされる)
- 叫喚地獄(飲酒の罰として、溶けた銅を口に流し込まれる)
- 大叫喚地獄(嘘をついた罰に舌を引き抜かれる)
- 焦熱地獄(灼熱の業火で焼かれる)
- 大焦熱地獄(あらゆる地獄の恐怖を見せられた上で、業火で焼かれる)
- 阿鼻地獄(他の地獄と違い、一瞬も休まず絶え間なく責め苦を受ける”無間地獄”。大焦熱地獄の千倍の苦痛
7. 生前の伴侶との関係
ところで、生前の伴侶との関係は、死後の世界ではどうなるのでしょうか?
ChatGPTに聞いてみました。
Q: 仏教では、生前に結婚していた伴侶とは、死後の世界でも一緒になるのでしょうか?
A:
仏教の教えにおいては、死後の世界で生前の伴侶と必ずしも一緒になるという明確な概念はありません。その理由は、仏教の基本的な教えが「無常」や「縁起」といった原則に基づいており、すべての存在や関係性が条件や縁によって成り立ち、永遠不変のものではないとされるからです。
仏教的な視点から見る結婚と死後の関係
輪廻と業(カルマ)
仏教では、生きとし生けるものは輪廻(生死のサイクル)を繰り返すとされ、その転生のあり方は各人の業(行い)によって決まります。そのため、死後に再び同じ相手と巡り会えるかどうかは、両者の縁や業の深さに依存します。
縁(因縁)
仏教では、人間関係も含め、すべての出来事は「縁」によって結ばれると考えられます。生前の伴侶との関係も特定の縁によって成り立っていますが、死後の世界でその縁が続くかどうかは保証されていません。
浄土や悟りの境地
一部の仏教の教え(特に浄土宗)では、阿弥陀仏の浄土に往生することを目指しますが、浄土では個人的な人間関係よりも、すべての存在が仏の慈悲に包まれる平等な状態とされています。
仏教以外の影響
日本や他のアジアの文化では、仏教と民間信仰が混ざり合い、「死後も夫婦で一緒に」という考えが広まることがあります。例えば、墓地に夫婦で納骨される風習や、「夫婦で同じ極楽浄土へ行く」という願いは文化的な影響が強いです。
まとめ
仏教の教えそのものでは、死後に必ず伴侶と一緒になるとは断言されていません。ただし、生前に築いた縁が深ければ、来世や死後の世界でも何らかの形で再び繋がる可能性がある、という解釈をする人もいます。結局のところ、仏教では現世での行いや関係を大切にし、今ここでの縁を尊重することが重視されます。
8. まとめ
以上、仏教での死後の世界と大まかな流れのまとめでした。
人は死ぬと、四十九日の間、1週間ごとに、様々な仏から教えを受けて魂を浄化させる一方で、閻魔王をはじめ冥府の王たちによる裁判を受けます。
裁判の最終結果によって、六道のいずれかの世界を輪廻転生することになりますが、六道から解脱(成仏)すればもう輪廻転生することはなく、仏教徒の究極の目標である悟りの境地に達することができます。
輪廻転生でどの道に行くのか、六道から解脱するかは、生前に十善業道をしっかりと守り、六波羅蜜の実践を行っていたかによるので、現生での善行が大事というわけです。
四十九日の法要が盛大に執り行われるのは、現生からお経を読んで亡者に声援を送り、冥府の王たちの裁判の結果ができるだけ有利になるように応援するという意味合いがあります。
日本の仏教は葬式仏教と揶揄されていますが、本当は日頃から仏教の精神を意識して善行を積むのが大事ということですね。
コメント